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PDCAって遅れてるの?

昨年くらいから、「PDCAは古い、今からの時代は○○だ!」みたいな記事を目にすることがあって、なんだかそれを聞く度に違和感を感じるので、整理してみようと思った次第。

PDCAを簡潔に説明すると、Plan(計画)→Do(実行)→Check(評価)→Action(改善)のサイクルを繰り返し行い、継続的な業務の改善を促す技法のことで、簡単に言うと「失敗を繰り返さない為の、改善/学習サイクル」の事だ。

じゃあ、なぜ今PDCAはもう古いと言われているのかというと。。。 

❐PDCAがオールドスタイルな理由

①コモディティ化による解の価値の低下
みんながPDCAする事で最適解を求め、すべてのラーメン屋が美味しいラーメンを作れるようになると、だだ美味しいだけのラーメンは価値があがりにくくなった。

②スピード不足
どんなラーメンが売れるのかじっくりPLANを考えてみても、正解が多すぎてどのラーメンがヒットするか予測しにくくなり、やみくもにPLANに時間をかけるよりも、まずはある程度の仮説をもとにスピード感をもってラーメンを市場に投入する方がリスクヘッジ出来るようになった。

次にそれぞれについて、僕の感じている違和感を言語化してみる。

違和感の言語化

①コモディティ化による解の価値の低下
解の平均化は突出したものを産まないかもしれないが、それでも美味しいラーメンには一定の需要があり、価値が0になるわけではない。
しかも、「解の平均化に向かわない」ように計画/実行していくのも、またPDCAな訳で、大事なのはアウトプットをどこにするのか(目的をどこに置くのか)なのではないだろうか?

そもそも、企業が抱える仕事には
・0メイク(プロデュース/ディレクション的なもの)
・1→10(ライン化/量産化的なもの)
の両方の仕事がいつも必ず同時多発的に存在しており、どちらかの仕事だけが存在しているのではない。

前者には、解のオリジナリティが必要とされる場合が多いので、コモディティ化が問題視される事が多いことも理解できる。
しかし、後者はオリジナリティが重要ではなく、ある程度進む方向が定まった中で、より良い解を選択し続け、失敗を最小限にする方が成功するので、むしろPDCAは最適解ではないだろうか。

②スピード不足

これについてはその通りだと思う。市場には類似商品/サービスが溢れていて、何が受け入れられるのかを予想する事は難しい。まずは顧客や市場に各サービスを提供して、それをブラッシュアップ(時にスクラップ&リビルド)していくことは、「不確実性(何がウケるかわからない)」に対する一つの有効な解である。
どんなラーメンが流行るか判らないなら、まずは自分が勝負できると考える味でスタートし、反応に合わせて色々な調整を繰り返すのは、とても理に適っている。しかし、どんなラーメンでも少なからずPLANする訳で、これはPLANの立て方の問題(時間が掛かり過ぎている)であって、PDCAそのものが悪いわけではない。

まとめ

まず僕はPDCA信者ではない。ただ、PDCAというサイクルはとてもわかり易く、基本的で普遍的なものだと思う。PLANするまえに、その精度を上げるため、調査/理解のフェーズは必要だと思う。ただ、幅広いシチュエーションでPDCAはロジカルシンクを促してくれる素晴らしいツールであると思う。

最後に

PDCAを超えるってなんだろう?
PDCAが失敗を繰り返さないようにするためのフレームワークならば、「失敗しない/失敗が存在しない」事がこれにあたるのかもしれない。

これって、失敗さえもサービス化していくこと、つまり映画のエンディングNG集的な物の中に正解があるのかもしれない。
例えば、自分の会社で起きた失敗って、他の人から見たら需要があるのかもしれない。僕たちの失敗が誰かを安堵させ、勇気をもたせるのであれば、これほど面白いことは無いのかもしれない。

失敗って案外可愛いやつなんだな。

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