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今、必要を感じて再掲_緊急事態宣言2020年に感じてたこと(2023年やっとコロナ陽性になっての手記)

(再掲の動機)
身の回り整理中にちょっと残しておきたい自分の文章に辿り着いたので、
この個人のブログに再掲しておく。
「映画」の制作波動と、興行収入の抑揚とは、人々の集合意識に関係し、見えない統治エネルギーに影響しているんだな。と、過去から近代、現代の社会の動きを改めて思ったので、リマインドしておく。(目的は個人
の心理環境の平和と、穏やかで望むべき道程)

あの緊急事態宣言時から、ウイルスの実態は変わっていない筈なのに、法律に従って国民の集合意識は「安心の生活」を取り戻した。
そのさ中に、時代に乗り遅れた初コロナ感染をしてしまったが(今更かかったって、仕事も休めないし、保険も何にも貰えない!)年末には、この8月の自分に流行遅れ大賞をあげたいと思う。

【勝手に自分シアターvol.3 おっさんの文芸リハビリ】
先日の自分シアターは「十戒」でした。去年急逝された叔母さんに子どもの頃から観なさい。と、言われて続けていたのにずーーーっと観れていなかった。叔母さんは何かを思って言うてくれてた気がしていたのでなんだか罪悪感だけが募っていた。そして、その叔母さんの娘さんからは「キリスト」の立体絵本を頂いたのも初めて異国の文化に触れた何かしら良い思い出。

あれ?その娘さんかな?他の親戚のお姉さんかな?記憶が曖昧だ。とにかくこんな視野の狭い大人に育ってごめんなさい。一昨日は復活祭だったそうですが、仏教徒なのであまり実感はなく、理解も出来てはおりません。

———以下、個人的感想だが所々ネタバレあり———

モーゼが格好良かった。英語の発音で「モーゼス」って聞こえることでさえ格好良かった。育ての母に対しても、実母に対しても、恋人に対しても、モーゼはいつも正しかった。男らしかった。

映画を映画として観る感覚。とは別で、歴史や宗教について理解を深めたい。と思って観たので、今回は制作研究的な見方はしていなかったけど、見終わってから約3日意外にもこの映画への興味が尽きない。

それはこの映画の主題によるものか?はたまた映像の持つチカラそのもののエネルギーなのか?

終わって簡単にWikipediaで調べると1956年のアメリカ映画だと書いていたので何となくわかったような気になっていた。

アメリカは世界を統治する野望に燃えていて、冷戦の最中?宇宙開発戦争が白熱してる時か?(歴史不勉強なのでまた誰か教えて下さい。)

監督はセシル・B・デミル。製作費は$13,500,000。
当時の1350万ドルって???とにかく相当な額注ぎ込んであの映画って作られたのか?確かにあの美術や出演者やロケの規模考えるとそりゃそうもなるわな。というか凄いプロジェクトだったんだなぁ。ってことしかぼんやりとしかわからない。お金の規模って本当、実生活とビジネスで回るお金ってなんでこんなにもちがうのかなぁ???

ちなみに日本の配給収入がこれだって↓
3億5500万円(1958年)
3億1200万円(1973年リバイバル)
これって多いん?少ないん?もと取れてんの?知りたくてさらに調べたら、あ、配給収入ってのは、配給会社の収入のことね。と今更その区別を知る。

ぢゃあ観客がどんだけ入ったか?の興行収入は?
というと、🇺🇸で$80,000,000、世界で$122,700,000
だと。製作費から一桁増えてるから儲かったんだね。良かった。流石「聖書」だ。いや?監督が凄いのか?

〈参考WEB文献〉配給収入と興行収入の違い
https://allabout.co.jp/gm/gc/470791/

ちなみに日本での反響も配給収入じゃちょっとわからんかったから、円相場調べてみたら当時は1ドル360円の時代。日本での公開年の昭和31年って時代、日本の映画館の料金は160円だって。めちゃくちゃ凄いよ。それで3億円って!!何人が観たんだ!?
断トツでその年の洋画映画のトップ。因みに邦画のトップは「忠臣蔵」で4億!良いね!日本には日本の独自の文化があるんだね。確かに子供の頃、大人たちから忠臣蔵の話を良く聞かされたよなぁ。もっと真面目に聞いておいても良かった。今、あの爺ちゃんたちはだんだん居なくなってしまった。

〈参考WEB文献〉1958年の映画Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/1958%E5%B9%B4%E3%81%AE%E6%98%A0%E7%94%BB

映画館に今では考えられない位に沢山人が入っていたのが、急に減ってしまったのは、カラーTVの普及が原因らしい。1964年東京オリンピック開催を皮切りに、人々の視聴は映画からTVに移行して行ったようだ。映画需要が減れば当然映画館は流行らなくなり、館は少なくなる。映画料金も上がって行く。そんな流れは1960年代後半から1980年代まで加速して行ったらしい。実際故郷の小さな街の映画館も僕が幼い頃は思い出話でしか聞いたことが無かったし、伝え聞く大人たちが映画行く。懐かしみ映画に行きたがるって行為は、幼い僕の目には凄く不思議に写っていた。

〈参考WEB文献〉映画館の料金の推移
http://www.garbagenews.net/archives/1190939.html

ちなみに戦後4年目の1949年昭和24年から1971年昭和41年まで22年間360円で続いて来たんだね。この間日本は世界に肩並べようと必死に働いて経済を回したのね。。。

〈参考WEB文献〉円相場の歴史
http://yasuma-guitar.com/ensouba.html

映画の歴史を感じさせられる超大作は流石に、とてもとても論じにくい。でもこんな美しい映画が、64年も前からあって、今ブルーレイで楽しめるなんて。本当にこれがフィルムの為せる技なんだなぁ。と現代2020年に生きるものとして思う。

フィルムは色褪せない?いや努力熱量は色褪せないということだろう。カメラの向こう側で、演者、美術スタッフ、スタイリスト、カメラマン、ライトマン、監督たちは何を届けようと、こんなに必死に動画を作ったのだろう?どうやってスタッフィングされたんだろう?

聖書の良さ?誰かのメッセージ?単純に憧れの職業だったから?お金の為?永遠のテーマ男女の美しさ?歴史?何を汲み取り何を感じても良いスクリーンの前で、この大作は一度や二度みても分からないよな。
ただ縁とかエネルギーって見えないところで働いているのかな?って感じさせられる。ただどうしてもこのタイミングで観たかった。

観た後に、高校3年生の時にレンタルVHSで観たアレハンドロ・ホドロフスキー監督のホーリーマウンテンを思い出している。←それはどうでも良いか。笑

紀元前3,000年から、西暦2020年、人間色んなことを経験して今に至る。自分が何者でいつからこんな魂で生きているか?久しぶりに立ち止まって宙ぶらりんになって考えさせて貰っている。聖書の教えを受け取るべきか?否か?変な葛藤に苛まれている。

でも何故だろう?この美しい映画より、昔観たレンタルビデオ終わりの四角いテレビの砂嵐の方が懐かしく恋しく思える。

★結論、僕には、この映画が今の世の「お金」のはじまりに見えて、なんだか?すごく考えさせられてしまった。生きること=労働。今でこそ、その対価として与えられて当たり前の通貨。それはあの後の世界からも、全てが幻だったのではないかとさえ思う。

奴隷として生きて来た祖先を想うと苦しくて辛いがその差別の歴史に実感がもてない。エジプトのファラオはそんなに悪い生活をしていたのか?ちゃんと統治してたからこその大国だったのではないか?終わりはそんなに悲しい滅亡の仕方だったのかな?と疑ってしまう自分があり、訳がわからない。

長子殺しの怖い夜なんてのはなくて、今のコロナのような疫病でファラオの国が滅んだのではないか?と思ってしまう。逃れた理由は迫害か?その迫害とは病気だったのではなかろうか?などと夢想する。

観て3日経つ。真の自由や解放とは?
社会、金、病気、誰が悪いと話したところで、何もスッキリしない。

私は自分のことしかわからないから、まず自分の仕事の行先と、生活の行先を真剣に考えたり、夢想したりして、心の中に生まれてくるモヤモヤを一つずつ払っていきたいと思う。

正直まだ元気になる気はしないのだ。
みんな自由にしてれば良いよ。
いや、少なくとも俺、自分の心だけは自由にする。

と、書いて3日後再度調べていたら、1956年の公開は1923年製作の一部リメイクとあるではないか!なんですかこりは?どこがリメイクだったの?!

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追伸 : 最近の自分シアター履歴
「JOKER」
「風の谷のナウシカ」
「天空の城ラピュタ」
「オーバーフェンス」
「リトルブッタ」
「ボヘミアン・ラプソディ」
「紅の豚」
「WE ARE LITTLE ZOMBIES」
「フリークス」
「スパイダーマン」
「写真映画ヤーチャイカ」
「ルーム」
「スーパーマン」
「JFK」

最後までお付き合い下さりありがとうございます。また、どこか生身で会話出来たら面白いですね。良きご縁に感謝します!