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終活って、できれば逃げたいことだよね(^_^;)

終活の知識が幅なかった私・・・


親の終活を考えること・・・

それって本当につらかった・・・苦しかった・・・
知らないことだらけ・誰も教えてもくれなかったことだらけでした(T_T)

その時に感じたのは「ほんのわずかでも知識があったらここまでてんぱらなくても済んだのかも・・」ということでした。

当時、私の周りには、介護経験者も体験者も皆無でした。


私の親は周りの同年代の友人の親御さんの中でも、年を取っていたほうでしたし、その中で、結婚したのも子供を産んだのも私が一番早かったこともあって、私が親の介護を体験していたころはまだ、その友人たちは子育てが少し楽になって、親御さんもまだまだお元気な頃でしたから、自分のことに時間を費やせる楽しい時期を過ごせている人が多かったんです。


介護や終活って実際現実にならないと目を背けたいんだよね…

(友人たちは)そういう頃って、介護のことってまだ現実的ではないし、できれば先延ばししたい事柄だし、介護に苦しむ私は、情報も気持ちも共有できる人は誰もいませんでした。


それに頼みの綱の兄は、海外勤務で、とても心配はしてくれていたけど、現実的に頼ることはできませんでした。

主人はもちろん協力してくれたし、気遣ってもくれていましたが、私自身に主人の実家への負い目がありました。

当時すでに義父は亡くなって、義母が田舎で一人で暮らしていました。義母と実母は同い年。
主人は一人っ子でしたから、状況は違えど自分の親の介護のことをそうそう主人に甘えてばかりもいられませんでした。


そんな時、誰かと気持ちを共有できていたら、どんなにか救われただろうかと考えます。

一度だけ、その気持ちに押しつぶされて吐露したことがあります。

その相手は、やっぱり「兄」でした。
遠い地で何もできないというもどかしさを本人も感じていたのでしょう。

電話で話していた時、「そんなこと言っても俺は何にもしてやれないから」と言われた一言に私の中の何かが切れちゃったんです。

思わず電話口で叫んでいました。

「そんなことはわかってる!!ただ聞いてくれるだけでよかったのに!」

受話器をたたきつけて電話は切れました。

後日、兄から電話があって


「悪かった。何でも聞くから」って(^_^;)

そんなこともあったなあって今は懐かしく語れますが、『その時』は、ほんとに泣いてばかりの日々でした。


「明けないけない夜はない」でもね・・・

と言いますが、確かにそうなんですよね。
ある程度のことは時間が解決してくれます。


でもね、『その時』はやっぱり苦しい辛いんでですよね(-_-;)

そんな時、誰かの『その時』を聞いていたら、少しだけでも、もうひと頑張りできるような、そんな気持ちになれたりするんじゃないかなって思うんです。


そこでそんな経験から、私が考え付いた終活が、

秋活

だったんです!

次回はこの「秋活」について語らせてもらおうと思います(^_-)-☆

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