シリーズ  《群と孤灯》

           第1話 衆議院選挙で投票する意義

              あるいは、憲法の太陽系を壊す惑星の寓話

                                           


  【70年前の選挙で『村八部』になった女子高生の家】
 家の前がバス通りなので、このところ毎日のように選挙カーがやって来ては候補者名やら政党名を連呼して行く。辟易とするが、これは公職選挙法が原因らしい。選挙期間中は演説会場以外での連呼行為に制限があって、車上からなら認められているそうだ。走行している車から演説しても断片しか聞き取れないから、いずれの候補者も連呼するということになるのだという。   こういうことが、あるいは選挙の投票率を低くしているのかもしれない。うるさくされたなら、選挙になど行くものかと思うのは人情としてあり得る。


 一方で、自由に投票できることも事実である。自由に投票ができなかった事例として、1952(昭和27)年に行われた参議院選挙で実際にあった話をしたい。
 静岡県のF高校に通う女子生徒は、自分の集落で行われている不正選挙を摘発した。不正というのは、有権者が1票ずつを投じるのではなく、集落の代表者(どうも〝権力者〟と言い換えた方がいいらしい)が、全有権者の票を一括して投じるというものだった。
 その後、女子高校生一家は、いわゆる『村八分』にされてしまった。非常な不自由を耐え忍ばなくてはならなくなったのだ。しかし、告発した女子高生はそれに屈せず、不正への抗議を続けた。  

       *


【今に残る『村八分』2話】
 義理や習慣、忖度などで投票するということが、憲法施行から5年経っても、依然として行われていたのだ。しかしこれは、むかし話として片づけられる類のものではないように思われる。近未来にそうなるのかもしれないし、もしかすると、まだ日本に残存しているのかもしれない。


 さて、次のむかし話は、いつ、どこでのことかは分からない。
 むかし、むかし……、ある王様のところへ教育者がやってきて、こんなことをいった。「王様、王様、あなたはたいへん立派な方です。私はあなたのような人間を育てたいと思っています。その学校を造る土地を安く手に入れられないものでしょうか」王様は大臣に話して、王国が持っていた使っていない土地を、その人に安く売った。大臣には「安く売ったことを民が知れば、わしの人気が落ちてしまう。妹婿がひそかに王位をうかがっているのを知っている。ここは、高く売ったことにしといてくれ」と指示した。そこで大臣は、役人たちに売却した記録を書き換えるよう命じた。しかし、公僕として自らを任じるレッドツリー君は、書き換えを拒んだ。「ばかな奴め」王様に諛(へつら)う大臣や役人たちは、レッドツリー君のことをいじめ、とうとう彼は、自殺してしまった。が、諛った役人たちは、その後それなりに出世したのだという。
 書き換えを拒んだ公僕は、おそらく〈秩序〉にのっとってそうしたのだろう。追従(ついしょう)者たちは、秩序を守ろうとした公僕を自殺に追い込んだ。なぜなら公僕が忖度をしなかったからだし、彼らには王様がついていたからだ。このむかし話は、最悪の『村八分』のように思える。


 また別なむかし話。
 とんとむかし……、ある国が東の国と不和になった。東から攻めてくるかもしれない、そう考えたその国の殿様は、西の国の殿に助けてもらうことにした。西の殿はいった。「あなたの国を助けましょう。あなたと私は友達同士ですからね」しかしほんとうは、その国に兵を出すことができたら、それを足掛かりにしてほかの国を攻めることができるという計算があったのだ。そのことを、助けを求めた殿様だってうすうす知ってはいたのだ。かさねて、西の殿はいった。「ところで、あなたの国を守るために、あなたの国に私の兵が詰める砦を築きたい。場所は龍久(りゅうきゅう)村がいいでしょう」しかし、村人は反対した。彼らは平和が好きだったし、そこは沼地で、砦など築くには莫大な金と時間がかかるからだ。それに先代の殿さまは、もう戦争で民を困らせるようなことはしないと、お触れを出したのだ。しかし、今の殿は構わず、そこに砦を築き始めてしまった。家来を龍久村にやって、反対する村人を弾圧さえしたので、砦の工事はどんどんと進んで行った。
 龍久村の人たちは、『お触れ』にのっとるよういっただけなのに、弾圧されてしまった。お触れ破りの殿様の手によって――。一番得をしたのは、西の殿だ。彼の友が国主だったお蔭で、その国に足場を築くことができたのだ。


     *


  【桜を見るのにお友達を優遇】
 ふたつのむかし話を彷彿とさせるような醜聞が持ち上がった。今からほぼ2年前、日本で――。
 政府の公式行事として(つまり公費で)、首相主催の『桜を見る会』というのがある。2012年暮に返り咲いた安倍首相は、2013年から2019年の毎春、その会に自分の後援会員を多数(19年は850人ほど)招待していたのだ。しかも前夜祭と称して、都心のホテルで自分との懇親会も催していたことが、野党議員の調査で明らかになった。懇親会の費用は、どう見ても安すぎた。後日、デスカウントされた分は安倍元首相が補てんしていたことが明らかになった(安倍氏は、補てんはあとで秘書から聞いたと説明。補てんの事実そのものは、認めている)。


 これに続いて、別なスキャンダルが聞こえてきた。検察官の定年には国家公務員法が適用されないという法の定めがある。検察官の定年は、公務員のそれよりも上が通例である。しかし、公務員法に定める定年を迎える検察庁長官に定年退職の辞令を出して(つまり、通例よりも若い年齢で定年退職させて)、後任に〝意に沿う〟検察官を充てるという政権の人事案が明らかになった。


 大きな問題は、検察官には、たとえ総理であっても法に触れた者を摘発する権限があるということだった。その人事に政権が介入したら、政権内で法を犯すような疑惑があった時、はたして公正な捜査をし摘発することができるだろうか。
 ふたつの醜聞(スキャンダル)によって、やはりさきのむかし話の大臣、役人、殿様は今の世にもいるのだと、思い知った。法を捻じ曲げても、自分の仲間のために事を図るという権力者が――。


 そして、安倍政権の継承を自認する菅内閣でも、似たことが起きた。政府の政策に影響がある『学術会議』のメンバーに、会議側から推薦された者を任命しなかったのだ。法文には首相が任命するとはあるが、推薦者が任命されなかったことは、かつてなかった。学問の自由を守るため、また政治が非科学的な意見に乗っ取られ(戦前みたいに)ないようにする防波堤として、そのように運用されていたのだ。そうなれば、推薦通り任命することは合理的だし、もはや法的拘束力を持つに至っている。任命されなかった学者には、後述する〝安全保障関連法〟に反対の立場の者もいるのだ。菅内閣は、法の精神を侵した上、学問・良心の自由の域内にまで侵犯したといってよいだろう。

     *


  【憲法の太陽系】
 検察官の人事で「政権が意に沿うと思った検察官」とは、安倍政権の『集団的自衛権』に理解を示した人物だった。
 2014年、第2次安倍内閣は、憲法9条のもと日本の自衛権は『個別的自衛権』に限られるとしてきた歴代内閣の見解を改め、『集団的自衛権』も合憲であるという閣議決定を行った。
 歴代内閣の、そして多くの国民が認めてきたのは、他国から攻撃を受けた場合にのみ自衛権は行使できるという憲法解釈だった。その重みを、安倍内閣は単独で覆した。日本と緊密な関係にある国が他国から攻撃を受けた場合も、やはり自衛権が行使できる――、そのように解釈を変えてしまったのだ。「日本と緊密な関係にある国」は、さしずめアメリカである。米軍は世界規模で展開しているから、以降、世界のほとんどが日本の自衛の範囲と解釈できるようになってしまう。これを、憲法9条が認めているはずがない。


 しかし翌春、与党の自民党・公明党は、『集団的自衛権』を具体化した法案を国会に提出。秋に疑問や反対の声をよそに、法案を半ば強行的に可決させ、〈安全保障関連法〉を成立させてしまった。


 憲法は国家権力を縛るというのが、〈立憲主義〉である。だから憲法は、大臣、議員、公務員などに憲法を守る義務を課している。自公政権は、自らの手で自らを戒める縛(ばく)を解いてしまったのだ。


 もし暴走してしまったら――
 市民や野党が止められればいいが、止められなかったならなにが起こるかは、ナチスを見れば想像がつく。ナチスは議会で多数党になると、〈全権委任法〉を成立させて、国民から自らに政治を委任させることに成功した。これにより、当時もっとも進歩的だといわれたドイツのワイマール憲法は、効力を停止する。以後、マチスは欧州を戦火に巻き込み、悪魔の所業としか思えぬホロコーストをやらかした。安倍内閣の誰かが「ナチスのあの手口」といっていたことが、私の記憶から不気味な影となって頭を擡(もた)げる。

 憲法は太陽に例えられよう。憲法という太陽の周りを、さまざまな法律が惑星のように公転している。大臣、議員、公務員が決めることは、さしずめ、その惑星を回る衛星である。安部・菅内閣と続いた自公政権は、この宇宙の体系を乱してしまった。さきのむかし話の役人や殿様みたいに〈法〉を破ったのだ。その上、安全保障関連法を成立させたことで〈憲法〉までも犯してしまった。ひとつの衛星が、太陽系の秩序を崩したのだ。


 そして岸田内閣――、この内閣は組閣したばかりでなにも仕事をしていないのに、衆議院を解散した。不可解である。今解散すれば、与党に勝機があるからだといわれているのだが……。

 本来なら、臨時国会を開いて、コロナ対策を熟論し、その結果をふまえてから、選挙(衆議院を解散しなくとも、議員の任期は満了になる)という段取りであろう。まして、野党からは国会開催の要求が出ているのだ。憲法の定めに従って国会を召集しなかったのは(つまり憲法違反を犯してまで、国会を開かなかったことは)、余計に不可解である。

     *

  【究極の「自己責任」=自宅療養】
「自己責任」という言葉がいわれるようになったのは、小泉政権(2001~2006)からだ。この言葉は、公的な支出は抑え、代わりに民間の力を活用するということの中で、おもに政権の側からいわれたようだ。
『コロナ災害』が襲う前に、すでに矛盾は現れていた。弱者の――貧困にあえいだり、差別されたりする人たちの悲鳴は、あちこちから聞こえていた。彼らにさえ、「自己責任」という呪詛は向けられた。あたかも戦前の軍部の「統帥権干犯(とうすいけん-かんぱん)」の殺し文句のごとくに。
 福島第一原発は、原子力政策として運転していたはずである。事故が起こり、多くの人が故郷を捨てざるを得なかった。事故の数年後には「放射能はアンダーコントロール」と、時の首相によって被災者は切り捨てられた。
『自己責任』とは政府の責任放棄の謂(い)いではないだろうか。

 政治が見放した人たちの姿はどうかといえば、女性は、出産という機能のみに特化されて人格を認められていないのでは、と疑われる言説をたびたび耳にする。不幸にして難民認定を受けられなかった外国人の幾人かは、出入国管理局によって収監され、少なからずが虐待――死にもつながる――を受けている。

 貧困や差別は極まった感がある。コロナ感染で亡くなった方よりも自殺者がよほど多いという事実は、弱者へのしわ寄せがいかに凄まじいかを物語る。

 医療にも自己責任論は及んだから、病床も保健所も削られた。そしてコロナ災害が起きた。
 病床逼迫は、前々から用意されていたといえなくもない。それでも「自己責任」をいう。病院に収容できない人たちに対して、『自宅療養』という名のもとに――。もはやこれは、〈棄民〉というしかあるまい。

     *


  【1票を投じる意義】
 今は2021年。令和である。
 もう因習や忖度に捕らわれるのはやめて、自分の意思で投票しよう。
 
 もし、上のような状況を、もうご免蒙りたいのなら、あるいは、この状況になに不足はないといえるのでまだ続いてほしいのなら、今は――今ならまだ、投票の自由が保障されているのだ、選挙で票を投じよう。

     *      *     *

《参考》
 ○憲法
 第9条[戦争の放棄、戦力と交戦権の否認]
 1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国      権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

 2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


第11条[基本的人権]
 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保証する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与えられる。


第12条(抜粋)[責任保持]
 この憲法が国民に保証する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。


第13条[個人の尊厳、幸福追求権、適正手続]
 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政上で、最大の尊重を必要とする。


第15条(抜粋)[公務員の選定・秘密選挙]
1 公務員を選定……することは、国民固有の権利である。

2 すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない。
4 すべての選挙における秘密投票は、これを侵してはならない。選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問われない。


第19条[思想・良心の自由]
 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。


第23条[学問の自由]
   学問の自由は、これを保障する。


第25条[生存権、国の責務]
1 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。

2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

第53条[臨時会]

 内閣は、国会の臨時会の召集を決定することができる。いずれかの議院の4分の1以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない。


第98条(抜粋)[憲法の最高法規性]
1 この憲法は、国の最高法規であって、その条項に反する法律、命令、詔勅(しょうちょく)及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。


第99条[憲法尊重擁護義務]
 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う。

○統帥権干犯(とうすいけん-かんぱん)

 大日本帝国憲法では、天皇が軍を統帥するとされた。昭和のはじめあたりに軍部が力を得た頃、平和主義者や国際協調主義者たちが軍縮を唱えると、軍部はそれは天皇の統帥権を干犯する(侵害する)ものだと非難した。天皇の神聖な権利を侵害していると言われれば、反論は困難になり、結局沈黙するしかなかった。こうして日本は、軍拡へ、やがて戦争へと向かって行った。


《付記》
 執筆にあたり新聞記事、とくに朝日新聞のもの(19.11.12、20.6.11、20.12.23 朝刊)を参照にした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?