《群と孤灯》

                                   栗城 理一

     第2話 野党に捧ぐ


 【開戦前夜と安保法成立前夜】

 今年の12月8日は、日本がハワイ真珠湾を奇襲攻撃し日米戦争がはじまってから80年目にあたる。

 あらためて書くまでもなく、この戦争は日米の国力の差を無視した無謀な戦であった。今年亡くなった作家の半藤一利の指摘では、開戦前、海軍は天皇にみせる資料を都合よく書き換えていたそうだ(「半藤一利 語りつくした戦争と平和」)。

 今の日本でもこれに近いことが行われているといえないだろうか。政府が、首相の関与が疑われている事案についての文書を改ざんしたとか、首相が支持者を厚遇したと疑われている事案についての公文書を隠蔽したとか、そのような報道がある。いわゆる〈森友疑惑〉とか〈桜を見る会疑惑〉と呼ばれる、政権に向けられた黒灰色の容疑である。

 政府が改ざんや隠蔽をしていたなら、主権者・国民に真実を教えなかったことになる。負ける可能性が濃厚だった戦争を前に、書き換えた資料で大本営を欺いていた海軍と、本質的に変わらないのではないか。

 政府が国民を欺瞞していたなら、それは持病のようなものだろう。80年前も、6年前の〈安全保障関連法〉の時も、そうだったからだ。

 2015年、安保法案を国会に上程した時、安倍首相(当時)はこの法案を「合憲」だといった。しかし法案は、〈集団的自衛権〉の行使を一部容認する内容であった。緊密な関係国が攻撃を受けた際に日本が自衛権を行使できるとする集団的自衛権は、どう理屈をこじつけても、戦争を放棄し、武力による威嚇・武力の行使を禁じる憲法9条とは相容れない。多くの野党、市民、法学者の指摘もそうであった。しかし与党(自民・公明)は、反対意見に耳を貸さず、安保法を成立させた。

 その後、首相は「国民にキチンと説明する」といっていたが、政府からのきちんとした説明はいまだされていない。だから、今もって国民には安保法が合憲であるというコンセンサスは成立していない。


 【立憲主義のこと】

 さきの衆議院選挙、その後の新代表選出で、なにかと耳にする機会が多くなった立憲民主党。党名の『立憲』は、憲法によって国家権力を縛るという考え方(立憲主義)のことである。

〈立憲主義〉が壊されればどうなるかは、やはり80年前の歴史が語っている。ヒトラーは『全権委任法』によって議会から受任された権限で、ユダヤ人を迫害する法律をつくり、まずフランスに、ついでポーランドに侵攻。第2次世界大戦が勃発した。

 政府が違憲立法である安保法の成立を主導したのは、立憲主義に反する。また、政治疑惑を隠すため公文書の改ざん・隠蔽を行うことは、違法行為である。身びいきな検察官を重用するため国家公務員法の、あるいは政府とは違う意見の学者を学術会議から締め出すため学術会議法の解釈を勝手に変えるならば、それは、憲法を頂とする法体系をないがしろにするものだ。日本の〈立憲主義〉と〈法治国家〉という国の形が、いま危機に瀕している。これがもし崩壊すれば――、80年前と同じ状態になってしまうかもしれない。


 【野党共闘と選挙結果】

 10月の衆議院選挙では、その立憲民主党は立憲主義を護る立場で、共産・社民・れいわと〈共闘〉した。今までのように各党がそれぞれ候補者を立てるのではなく共通の候補者1名を立て、各党に分散していた票を集約する作戦が、多くの選挙区で実行に移された。

 国会では、与党の勢力があまりにも大きい。その結果、国会運営が強引になり、権勢による驕りもある。しかも、衆議院では改憲発議に必要な3分の2以上の議席を、改憲派の政党(自民・公明・維新)が占めている。そこで、野党の議席数を与党に拮抗させるため、野党は共闘することにした。毛利元就の教えのように、バラバラの4本の矢を1つに束ねたのだ。

〈野党共闘〉のはじまりは、安保法の国会審議時に反対する市民・野党がスクラムを組んだことだ。安保法が成立すると、このスクラムは解かれ、その後の選挙で野党は共倒れしてしまう。これを重く受けとめた市民は、立憲野党にはたらきかけ、選挙協力という形で共闘が復活した。今まで一定の成果はあったが、今回の選挙ではうまくいかなかった。立憲野党の議席は、選挙前より1割以上減ってしまったのだ。一方、改憲派は微増し、改憲発議ができる3分の2以上の議席となってしまった。

 つぶさな分析では、共産支持者のうち立民候補者に投票した者は8割いたのに、立民支持者のうち共産候補者に投票した者は4割しかいなかった。共産に賛同しかねる立民支持者が結構いたのだ。立民の支持母体である労働組合『連合』からして、共産を嫌っているようだ。それは、両党の根本政策の隔たりが原因らしい。安全保障政策では、立民は「日米安保条約を支持もしくは容認」、共産は「条約破棄」。経済体制では、立民は「資本主義」、共産は「共産主義へ移行」。ほかに、共産の排他的で独善的な体質を快く思わないとか、党自体が60年代の過激な左翼運動の悪夢を引きずっているようにみられているとかが原因かもしれない。

 その共産支持者からも、「自民を倒したいだけの共闘。理念をないがしろにしている」という党批判が聞こえている。「安保破棄」「共産主義移行」に拘る共産支持者にとっては、立民との共闘は受け入れにくいらしい。


 【今は野党が共闘するとき】

 立民・共産の政策の隔たりは、長期的なイシュー(問題)である。しかし今、われわれの喉元に突きつけられている課題は、自衛隊や日米安保をどうするかよりも、「憲法に自衛隊を追記すべきか」「辺野古の軟弱地盤に、12年の時間と2兆円余の国費をかけて、地元が反対する米軍基地を建設すべきか」だ。「そうすべきではない」という点でなら、共闘はできるだろう。

「資本主義か、共産主義か」ではなく、「今コロナ禍で困っている者を資本主義の収奪から救うために共闘する」のなら、可能だろう。

 だいたい共産だって、ほかの野党に歩み寄りをみせている。暴力革命だって60年以上前に否定しているのだ。今、野党は内々でいがみ合う時ではない。立憲主義の危機に立ち向かうべく共闘すべきだ。ただちに――。憲法を変えようとしている側からの発信が、すでにはじまっているからだ。

 改憲派は、『憲法改正案』を国会で発議することに意欲を示している。彼らが改憲の目玉としている、〈自衛隊〉やコロナ対策に有用とされる〈緊急事態条項〉――、これらは、ほんとうに憲法に書く必要があるのだろうか。

 あるなら、今まで法律で対応してきた、そのどこに不備があったのか。また、議員や大臣までが改憲を主張するのは、「国会議員・国務大臣などは憲法を擁護する義務を負う」と謳った憲法99条に違反しないのか。改憲を発信するなら、まずそこを国民に説明してからだろう。いうまでもなく、国民の改憲へのコンセンサスができてはじめて発議できるのだ。その手順を、お忘れなきように。(憲法99条に触れると、改憲は党の総裁として、あるいは1政治家としての発信だと言い返されるかもしれない。なので、首相や国会議員の職の重さは、1党首や1政治家という立場を陵駕するものであることを、いい添えておく)

 コロナ禍でのオリンピック開催については、国民への説明がまったくといっていい程なかったが、同じ過ちは、まさか繰り返すまい……。


 【「反対のための反対」という野党批判への『批判』】

 繰り返させないため、また改憲論がほんとうに必要かどうかを見極める視座を確保するため、野党は束になるべきである。バラバラの矢では、政権に対してなんらのダイナミクスも働かなくなる。与党と野党の政策の対立から、弁証法的に、よりよい解決策が導きだされるはずだ。

 このことは野党のみならず、〈はくらかし答弁〉を繰り返してきた政権側も、肝に銘ずべきだ。いみじくも議員や大臣であるなら、対論を真正面から受けて立つ度量は持つべきである。

 改憲派を含めて「野党は、反対のために反対している」といわれているが、野党はこれに気を落としたり、唆[そそのか]されてはいけない。反対のないままで得た結論に、はたして重みがあるだろうか。まして、改憲という国の形にかかわるテーマであれば、なおさらだ。反対演説をし、賛成意見と闘うべきであろう。

 まずは、憲法審査会に出て、毅然として、改憲の意義や憲法99条との兼ね合いを質すべきだ。審査会は憲法の調査が目的である。そぐわないということは、ない。


  【野党の意義は『プランB』を示すこと】

 野党の敗因は、共闘がうまくいかなかったことだけではない。ほかに(こっちが主因だが)、野党の役割を認識しなかったことがある。つまり、与党に対するアンチ・テーゼを提示できなかったことだ。『プランB』を示せなかった、といってもいい。

 野党の(与党もだが)政治公約はバラマキだった。散発的な公約なので、彼らが国あるいは国民をどこにもっていこうとしているのか、分からなかった。コロナ禍で多くの人が不安を抱えていて、その1つひとつに寄りそうことも大事だが、不安のおおもとにある、弱者を切り棄てるという国のありようにノーと衝きつける声にこそ、多くの人が共感するはずだ。

 野党4党は、〈リベラル〉という一致点がある。そこに立脚すれば、貧困やコロナ禍に喘ぐ人びと、戦争を厭う人びとから共感を得られる『プランB』が示せるのではないか。リベラル政党らしい共通政策——たとえば、消費税、その他の税制(累進課税の強化)、年金、医療、介護、子育て支援、教育、コロナ対策、原発ゼロ、軍事費削減、ジェンダー平等、夫婦別姓……。

 前述したように、野党共闘を取りもったのは市民たちだった。野党は労組にばかり顔を向けるのではなく、市民と連帯することで新たな支持基盤を掘り起こしてはどうだろうか。

 またナチスの話になるが、ナチス党を野放しにさせた一因は野党にあった。ドイツ議会で社会民主党と共産党が手を結ばなかったのだ(両党を合わせた議席数は、与党・ナチス党を上まわっていた)。やがてドイツ国会が放火される事件が起き、ナチスはこれを共産革命の前触れだとして、共産党を弾圧していく。

 はたしてそうなのか? 歴史は語っていない。しかし、ここからなんらかの教訓を読みとることは、できるであろう。

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