コンクリート✖︎私
皆さんお元気ですか?おうち時間はどのようにお過ごしですか?コンクリートは今日も黙々と私達の生活の下支えとなってくれています。私は、コンクリートの代弁者というわけではございませんがコンクリートを勉強するものとして常に意識して携わっていきたいと日々心がけております。
前回の投稿からコンクリートについてどんな事を発信するべきかと試行錯誤いたしました。別に、特段賢いわけでもございません。文章を書くことに優れているわけでもおらず、語彙が豊富というわけでもございません。
こんな、私ですがコンクリートに関しては人並み以上の知識がありますので基本的にコンクリートについて記事を投稿していきたいと思います。コンクリートに関してだったら真剣に投稿することができると思われます。
Vol.0ということで内容に関して言及すると、このシリーズは「コンクリート✖︎〇〇」と題してコンクリートとあるものを組み合わせたらどんな記事が生まれるのかを、私自身もリアルタイムで楽しみながら投稿していきたいと思います。脱線するかもしれませんがそこはご了承ください。また、ためになるような知識もどこかに転がっているかもしれません。しかしながら一般的な知識に関しては、他の方の投稿やぐぐっていただいたらより理解できると思いますので、私は基本的に最低限知識にとどめたいと考えております。
前置きが長くなりましたが早速、「コンクリート✖︎私」をどうぞ。
コンクリート✖︎私 の出会い
私とコンクリートの出会いは高校2年生の時でした。高校といっても私は世の中であまり知られていない「高専」の生徒でした。高専について簡単に説明すると、5年制の学校で巷では比較的自由な校風であることが知られています。高専に興味がある人はぜひ教えてくださるとありがたいです。おそらく高専の情報に関してはそもそも高専出身の方が少ないと考えられることから需要がないと思います。決して私自身にクラスの女子が少ないとかの不満があったわけではございません。
高専2年生だった当時の私は「建設材料」という授業でコンクリートと出会いました。授業を担当してくれた先生は60くらいのおじいちゃんで口癖は「コンクリートはお好み焼きだ。」というもの。当時の私は、感動した!コンクリートを勉強したい!!!という気持ちになることなく、何言ってんだろうなーという学生ならではの反骨心と茶化したい気持ちでした。
今ならばおじいちゃん先生の言っていた気持ちも分かります。いかにして、私たちにコンクリートを身近に感じてくれるかを工夫した結果だと思います。その授業のテストで意外にも私は高得点を取ることができて、教卓でみんなに解説をやってくれとおじいちゃんに頼まれたこともありました。これは私のみに限ったことではなくて、私以外にも成績の良かった学生はいましたので、勘違いなさらぬようにご注意ください。おじいちゃんは疲れやすいんですね。あんまり喋りすぎると息が切れちゃうんですよね。皆さんおじいちゃんには優しくしてあげましょう。
おじいちゃんとはこれだけではなく、教卓に私を呼んで「このチョークを折ってくれ」と頼まれたこともありました。これはコンクリート梁の曲げの様子を模した物をみんなに見せたかったことから実施されたことだと思われます。ちなみに単純ばりの中央に集中荷重を載荷した系を考えていただけるとありがたいです。この場合チョークの破壊は下側が引張を受けて破壊します。
「君はどっちから破壊したと思うかね?」と質問されました。少し想像していただけるとわかりますが、チョークが壊れるのが早すぎてわかりません。同級生にも同様な質問をしていますがチョークが小さすぎて見えるわけがありません。答えは上か下ですので一か八か上からと答えましたが、案の定不正解となってしまいました。
私はこの授業で最も学んだことはお年寄りに対する接し方や考え方だったかもしれません。
このことが特別なきっかけになることはありませんでしたが、これ以降、材料って面白いなと考えるようになりました。そして、高専では実験で実際にコンクリートを打設する機会があります。それが自分は結構好きでした。珍しく一生懸命になって作業に取り組みました。他の男子といえば高専の数少ない女子に舌鼓を打っていました。こういうところで私は損しているのかもしれません。うらやましいったらありゃしない。
そんなこんなで高専5年生の時に卒研のための研究室配属が行われました。当時の私は特に所属したい研究室も決まっておりませんでした。とりあえず進学するしまあまあ厳しい研究室に行くかという安易な考えでコンクリート材料研究室に所属しました。卒業研究自体はうまくいって無事卒業できたのですが今でも思い出すエピソードを一つ紹介したいと思います。
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真夏のある日に研究のためにコンクリートを打設する機会がありました。サイズにしてφ300×250mmを10体ほど作るというものでした。当時の私からしたら結構なサイズで正直大変だなと感じておりました。ここで察しのいい人はわかると思いますが、コンクリートって気温が高いほど早く凝結するんですよね。水和反応が促進されるから。そんなことは当時の私でももちろん知っておりましたが、なんせ経験がないものですからどのくらいの打設時間が必要かなんて知る由もありません。やっぱり打設している最中に怪しい気配がしてくるんですよね。
「あれ?ペースト少なくね?」「これもしかして、、、。」
時として嫌な予感というものはいつも的中するものです。今回もズバリ的中いたしました。出来上がった供試体はジャンカ(セメントペーストが十分に行き届いておおらず骨材が剥き出しの状態)だらけでとても実験ができるものではありませんでした。このことだけでも十分なショックだったのに当時の高専の担当教員に相談に行くと彼からとんでもない言葉をいただきました。
「これどうすんの?これじゃ卒業できないよ。早くやり直して」
、、、折れました。完全に。
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当時19の私には詰められるという経験がなく、対処の仕方もわからず教官室を出た後に残った感情は「何て嫌な先生だ」でした。落ち着き始めると、客観的に自分を見直すことが出来ますがこれは完全に八つ当たりです。3日間は八つ当たりしてました。しかしこのままではうまく行くことは絶対なかったので先生に謝罪(line)し、再打設の計画を作成しました。1回目に作製した供試体は自らの手でハンマーを使って破壊しました。涙が止まりませんでした。飛散したコンクリート片が目に入らないようにするためにゴーグルを装着していましたが破壊しなければならない供試体がよく見えませんでした。そんなこんなで次に作製した供試体は無事実験に使用することが出来ました。
これが私とコンクリートの初めての出会いです。しょっぱいですね、、、涙で。今でも、当時の担当教官に会いにいったりするんですけど、やっぱり話のネタになります。それぐらいインパクトが強かった事件だったと思われます。
完全な余談ですがジャンカだらけの使えなかったコンクリート供試体は無事文化祭の展示物として、ダメなコンクリートの例として供養されました。はい、完全に晒しあげられています。ちなみにどの部分がダメかということを私自身が説明しておりました。
コンクリート✖︎私 の今
そんなこんなで無事高専生から大学生へとジョブチェンジ?を果たすことが出来た私は高専で経験することの無かった青春をエンジョイ、、、。することもなく編入生特有の単位に追われるという事案に苛まれていました。これは別に初めからわかっていたことなんですけど、やっぱり人並みに青春をエンジョイできなかった勢として辛いものです。しかし、高専5年間で鍛え上げた私の精神力はいともたやすく青春をエンジョイ出来ないという事例を乗り越えてしまったものでした。
単位は編入生ということもあり、授業も復習ばかりだったのでフル単で4年生に進級しました。
※ここで補足ですが、高専を卒業して編入すると大学3年次からとなります。
4年になったらまた卒研ですが今更、材料以外を学ぶ気もなくそのままコンクリート材料研究室に所属することとなりました。その研究室が何でも勉強していいと言ってくれた先生が率いる研究室です。研究は共同研究で実際に企業の方とディスカッションする機会もありました。ディスカッションと言っても私は話を聞くだけ、うなずく(ヘドバンする)だけとひどい有様でした。それでもこの研究が社会のために役立つことだけは理解して、思わず胸を躍らせていました。そこから企業の方に実験の方針を提示していただいて実験が始まりました。ここでも失敗エピソードがありますが、よかったら読んでいってください。
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私の実験は治具を使用しますがその治具を私が何かのはずみで倒してしまいました。倒した瞬間、あの時(高専時代)の記憶がフラッシュバックして思わず叫びそうになりましたが、同席していた担当教官の「落ち着いて。怪我は無かった?」に救われました。どうにか落ち着きを取り戻した私は最低限の被害をその場を収束させて、再び実験準備に取り掛かることが出来ました。先生にとっては何気ない一言だったかもしれませんが私にとってはかけがえのない一言となりました。私が大学院生になっても同じ研究室に所属しているのはこれがきっかけと言っても過言ではありません。(嘘です。過言です。)
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その後は大きな失敗もなく、卒研は無事受理され卒業することが出来ました。と言っても進路は大学院ですし、卒業式も編入生ということで胸から込み上げてくるものが何もありません。むしろ込み上げてきたものと言えば年度末までに仕上げなければいけない概要を作るいうプレッシャーでした。
大学院生になるとTA(ティーチングアシスタント)や就活等とにかく忙しい日々。初めて研究活動で後輩を持つこととなりました。しかしこれも大変なことだと学びました。研究に対する意識の差というのはとても辛いものがありました。私自身も特に自慢できるほど意識が高いわけではありませんが「研究どう?」と聞いた時に「卒業できればいいです。」と言われた時にはもう何も話題は広がりませんでした。その時の苦笑いは正直ドン引きの顔だったかもしれません。
こうして様々なことがあった前期を終えてついに初めての論文発表を行いました。
結果は惨敗。
わかりきってたことです。
企業の方々の本気度を知る良い機会になったと捉えるべきだと思います、、、。
コンクリート✖︎私 の未来
色々ありましたが無事修士2年生となり、絶賛自宅待機中です。担当教官からは勉強しておくようにと言われました。就職に関してはさすが工学部ということもあってどうにか内定をいただくことが出来ました。業界に関してはもちろんコンクリートを扱う会社となっております。お好み焼きから始まったコンクリートは僕が将来お好み焼き(メシ)を食うための一生の友となりました。ちなみに私は広島風とか関西風とか問わずお好み焼きは大好きです。失礼いたしました。
これもひとえに何かの縁かもしれません。やっぱたまたまかもしれません。でも、今ではコンクリートを考えない日はありません。てか、私のような若輩者が経験則が重要なコンクリートで日々鍛錬を積まないと、熟練者にはいつまで経っても追いつけませんからね。
将来のコンクリート利用に向けては、私自身の思いとしてより国土強靭化のための取り組みが必要であると感じております。なぜなら、台風をはじめとした九州地方で猛威を奮っていた災害が、近年首都圏付近で頻発していると最近見受けられるからです。当たり前の話ですが、一都集権の現在において首都直下系の災害は甚大なリスクを含んでいることが容易に想像できます。この状況に対して具体的な数値を知らないため深く言及することは避けますが、間違いなく国内でやるべきことは残っていると私は実感しております。
皆さんも今を生きる当事者として建設資材の一つであるコンクリートについて興味を持つ様になったのではないですか?少しでも、興味を持って頂けたなら幸いです。
私の未来はコンクリートと共にあります。これは当たり前のことですが記事を書くことで改めて気づいたことです。私の夢はみんなの未来がコンクリートと共にあること。そのために何ができるか今はわかりません。社会人になるまでに見つけることが出来るかもしれませんし、一生かけても見つけきれないかもしれません。どちらがいいとかありませんが、私は生コン(下画像参照。まだ固まってないコンクリート)のように自由気ままに流動できたらいいなと思います。
いかがでしたでしょうか? コンクリート✖︎私 は。こうして振り返ると失敗の経験の方が多かった気がします、、、。第一回ということでコンクリートをわかってもらうというよりは、私自身のコンクリート思い出話になってしまいました。コンクリートの知識に関してはボチボチ紹介していければいいかなと思っています。
理系というか研究者の端くれですが未来とか不確実要素を押しているのは同業者の方からしたらブーイングもいいところですよねー。これがリアルタイムです。ご愛嬌ください。
では最後に未来という言葉が出てきたので私の好きな名言(ちなみに私は名言好きです。何かいい言葉があったら教えてください。)を一つ紹介して締めたいと思います。この名言はシドニーオリンピック女子マラソン金メダリスト高橋尚子ことQちゃんが高校時代の先生からいただいた言葉だそうです。
「何も咲かない寒い日は下へ下へと根を伸ばせ。やがて大きな花が咲く。」
更新はぬるっとします。それではまた。
引用資料URL
イラストや https://www.irasutoya.com
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