真実(マヨネーズを忘れる)

 朝食は食パンにマーガリンを付け,ハムをのせて,マヨネーズをかけ,スライスチーズをその上にのせて食べるのが常である。ときに,チーズをのせる前にツナマヨを入れることもある。今日はそうした。
 食パンは,一斤100円以下の安いものでよいのだが,売り切れていると少し高いものを買ってくる。昨日の朝で安いパンを食べ終わり,今日買ってきたのは山型の少し高いパンであった。
 概ねいつも通りに用意したつもりで食べ始めた。高いパンはやはり少しおいしい。しかし,いつもと違う気がする。安いパンの方がハムなどの挟んでいるものの味を引き立てるのか?それとも・・・
 食べ進めた最後の方にツナマヨが入っている。そこに来て,いつものツナマヨの味がする。もしかして,そこまで食べたところは,ハムとチーズだけで,マヨネーズの味がなかったのでは?自分の行動を思い出してみる。マヨネーズをかけた記憶がない。ツナマヨを先に入れて,そこにチーズを載せた気がする。
 味の違いは,パンの違いではなく,マヨネーズの有無であったのだ。これが真実である。
 マヨネーズが入っていると思い込んで食べていると,違いの原因をパンの違いに求める等,現実をゆがめて解釈するところが自分にはある。
 すでに食べてしまった後なので,証拠はない。マヨネーズの量を前日と比較するれば確認できるが,そのためには,前日までに使用した量が分かっている必要がある。しかし,その記録はない。他の方法は,吐き出すか,解剖するかするかであるが,そこまでするほどの問題ではない。残るは記憶というあいまいなものだけだ。しかも,加齢とともに記憶の信頼性は低くなる。
 何が真実なのか。結論はこうである。「真実は,自分に都合の良いところに落ち着くことになる。」
 社会に置き換えてみると,権力側に都合の良いことが真実なのだ。
アメリカ大統領選挙に不正があったかどうかが連邦議会襲撃にも発展している。双方が,お互いに都合の良いファクトを根拠に,自分たちの正義を主張する。「真実」と言われるものは,実はあいまいなものにすぎない。勝った方が真実なのだ。

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