『サピエンス全史』19章「文明は人間を幸福にしたのか」要約+感想

興味深い内容だったので、自分用に内容をまとめました。


この章の結論


「何が人間に幸福をもたらすか」についての研究は途上で、結論は出ていない。
ただし興味深い仮説がいくつかあるので、以下に述べる。

仮説1: 幸福は「物質的要因(豊かさ)」に直結

・仮説1-1「人類は進歩により幸福になった」説
(例)病気の減少、飢えの減少
(反例)農業の導入で労働が過酷になる、帝国拡大で奴隷増大、政治腐敗など

・仮説1-2「人類は進歩により不幸になった」説
(例)権力は腐敗を生む、狩猟の興奮がない
(反例)病気の減少、飢えの減少

・仮説1-3「人類は進歩で一度不幸になったが、中世以降に克服した」説
(反論)病気に打ち勝ったのはここ100数十年であり、結論を出すのは早い


●仮説1まとめ:幸福を物質的要因だけで測るのは無理がある。


仮説2:幸福は「精神的要因」の産物

※アンケートによる主観的な幸福度を統計調査

・仮説2-1「社会経済学的要因が幸福を決定」説
 → 統計によれば『物質的豊かさでなく「期待が満たされるかどうか」で幸福になる』。

 (例)おにぎり1個が期待通りなら満足。映画スターの容姿と比べると不幸。
  →マスコミにより現代人の期待・欲望が高まり、不幸になっている?


・仮説2-2 「体内の生化学的システム(快楽物質の量)が幸福を決定」説

→・統計によれば、快感物質の量は平準値に戻る性質あり。
  = 幸福も不幸もやがて薄まる。(外的要因は幸福に影響少)

 ・「平準時の幸福度」は大きな個人差があり。
  → 遺伝子上、幸福を感じにくい人は、基本ずっと不幸。


・仮説2-3 「人生に意義を感じると幸福」説
      (心理学者ダニエル・カーネマン)

→意義を感じれば全て前向きに捉えられる。(過酷な育児も幸福)
→「死後の集団的妄想」を持たず、人生は無意味と知った科学主義の現代人は不幸
 = 幸福は自己欺瞞あってもの


●仮説2の反論:そもそも「人間は自分が幸福か把握できている」という前提が怪しい。


仮説3: 「本人の主観とは無関係の尺度」が幸福を決定

(例)キリスト教の戒律、利己的な遺伝子説、その他の宗教や哲学

・仮説3-1 「快楽の渇望をやめる」と幸福(仏教)
 苦痛の本質は「快楽の渇望」。
 仮に快楽を得ても、快楽はすぐに消え、また「渇望」という苦痛が始まる。

「すべては束の間」と理解し、快楽の渇望をやめた時に初めて幸福になる(悟り)


章全体のまとめ

幸福の研究はまだ途上であり結論は出せない。
本書の主題である「歴史」の面からも、幸福についての考察が必要。


感想

・「幸福に関する結論は出ていない』という結論、ひとまず納得した。
 哲学入門書などを読んでも、「絶対の結論」を見たことはないので、本当に結論は出ていないんだろうな、と思った。


・とはいえ本書では、実質的に「仏教が正しい」ような構成になっている。
 つまり「快楽の渇望をやめる」が正解だということ。

 確かにこの方法は効きそうだ。
 人生の実感としても、「試験合格は嬉しかったけど、長い目で見れば無意味だった」「手にしてみたらつまらなかった」みたいなことがあるので、一時的な感情を求めすぎない方が良いのだろうな、という予感はある。


・ただ実際問題、「快楽の渇望をやめる」(悟る)なんて難しくて実現できず、
 その前段階として「物質的豊かさも感情も無価値なんだ」というところだけ理解して虚無主義に陥りそうな気もする。


・結局のところ、幸福になるには鍛錬が必要なのか?


・結論はともかく、現代の自由主義(自身の主観的価値観を絶対視すべきという思想)だけが絶対ではない、という考えに触れられて、面白かった。


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