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ワクチン接種券が届くまで

 コロナウイルスの感染者は、年末年始を経て再び増加しはじめた。世界中が警戒モードに再び入った。自分もまた、私的な外出を自粛することとした。

 出勤以外には自室からほとんど出ない生活を続けていると、世界で起きている全ての出来事が遠く感じられる。物理的に遠いというだけではなく、非現実のフィクションのように思えてくる。アメリカ合衆国では、大統領選挙の結果に納得していない一部の人々が、連邦議会を占拠するという実力行使を行ったことが報じられた。前代未聞の出来事であり、アメリカの社会秩序に対する根本的な挑戦ではないかと思ったが、ネット動画を通して見るその風景は、調子に乗ったコスプレマニアがイキっている大規模イベント会場の様にしか見えなかった。議会襲撃のメンバーの一人に、全身を赤く塗った西洋版のナマハゲのような恰好をしていた人物が居て、悪目立ちして世界中のメディアの注目を集めた。アメリカドラマやハリウッド映画に有りがちな、クリシェ的な緊迫感や危機感すらそこにはなく、国を挙げてコントやビックリカメラでもやっているのかと思ってしまった。滑稽であった。間延びした幼児性だけがどこまでも広がっているように感じた。

 

 ヨーロッパより大分遅れて、日本でも、医療従事者に対するワクチンの接種が開始された。一般人にとっては、まだ遠い先の話であった。

 

 他者との接触は可能な限り減らすようにしていた。散髪も、歯の治療も昨年より控えていた。前髪が視界を遮るようになり、少なからず不便を感じるようになった。好きこのんで長髪にしているわけではないので、ストレスであった。
 歯の詰め物が二か所ほど取れてしまったが、それも放置していた。ストレスとしては、この方が大きかった。歯医者に早く行きたい、行きたくてたまらないと、ここまで強く熱望するのは、自分の人生でおそらく初めてのことであった。

 

 三月一一日になった。東日本大震災から十年の月日が流れた。十年後の日本と世界とが、感染症というまったく別種類の自然災害の渦中にあることは、誰も予想しえなかった。

 子供達が春休みの時期に入ると、東京都下では外出する人間が明らかに増えた。久しぶりに行った家電量販店の店頭で、モンスターハンターの宣伝を見かけたが、自分と大体同世代の女優、ミラ・ジョボヴィッチは随分と老けたな、歳を取ったなと思った。ここでもまた、時の流れを感じた。
 当然の結果なのだが、四月になると、再び感染が拡大し、ゴールデンウィークの直前には、東京都において緊急事態宣言が出されることとなった。何度も同じことの繰り返しであった。現在の感染の波が、一体第何波なのか? 現在は「緊急事態」なのか「まん延防止」なのか、どうでも良くなってしまった。
 東京都単独で発令されたこの緊急事態宣言には、あまり実効性がないのではと、自分は思っていた。緊急事態宣言を出すなら、交通圏か経済圏単位で指定しなければ、効果は薄いのではと考えた。都内の商業施設が閉まっているのなら、人々は都県境を越えて消費活動を行うだけなのではと予測した。この予測は的中した。大型連休が始まると、多摩川を越えて、川崎の巨大商業施設に集う人々の姿が報道された。

 

 四月三〇日、今年も燕が飛来したことを知らせる立て看板を、国立駅の構内で見かけた。例年と同様に、防犯カメラの裏や、駅の天井から吊り下げられた掲示機器の上に巣を作るのだが、その数は、昨年に比べ明らかに増加していた。

 燕の雛が育つのと並行して、日本でもようやく、一般の人々に対してもワクチン接種券の発送が始まった。日本政府はファイザー、モデルナ、アストラゼネカを確保していたが、先行して接種を行っていた欧米における結果を受け、副反応の出やすさ、若年層への身体への影響に違いがあると指摘されていた。それを気にする者も、何でも良いからとにかく早く打ちたいという者も居た。
 自治体によって、接種券の発送速度には明確な差があった。また、発送方針も、自治体ごとに異なっていた。細かく世代ごとに分け、高齢者を徹底的に優遇する自治体がある一方、世代を余り区分せずに速度を重視する自治体も存在していた。
 ワクチン接種を加速させるために、大手町には、自衛隊による大規模接種会場が設けられた。使用ワクチンはモデルナであった。当初は年齢制限があったが、ほどなくして条件は緩和された。
 多数の地下鉄が乗り入れる大手町駅は極めて複雑な構造をしており、駅から接種会場までの経路がわかりにくいという意見を受け、東京駅からピストン輸送を行う無料バスが運行された。コロナ下の観光需要の低迷により、バス会社は経営が苦しく、車両をもてあましていたので、これは時宜にかなった一石二鳥の施策であった。ネット上から誰でも予約が可能であったが、その際にも、自治体から送付された接種券のシリアルナンバーが必要だった。

 

 五月二十九日、ウイスキーで梅酒を漬けた。梅は近隣のスーパーや地産マルシェにて普通に購入したもの、ウイスキーも普通のニッカウイスキーであった。

 去年の初夏にスピリタスで漬けたブルーベリー酒は、まだ残っていた。

 六月になると、国立駅構内の看板にて、雛が無事に巣立ったことが報告された。昨年に比べて一か月以上早いのではと思ったが、他方で、これから巣を作り、子育てを始めるつがいも居るようだった。燕の結婚適齢期にも、個体差があるのだろう。

 

 六月十八日、ホリエモン、堀江貴文が、ワクチンを接種したことを、自身のユーチューブ上で報告した。自衛隊大規模会場にて、キャンセル枠を利用しての接種とのことだった。堀江は、ごく普通の常識的な言葉でワクチンの接種を動画視聴者に呼びかけていた。極めてまともだった。

 私の手元に接種券が到着したのは、七月三日であった。私の世代に対してこの速度が、日本国全体において早いのか遅いのか、大体平均ぐらいなのかは、判断材料がなかった。ただその時点で、予約の確保は既に極めて困難であった。
 自治体によって、医療機関の予約の取りやすさに、明確な差が存在した。接種券の到着が早かった自治体の住民には、大規模接種会場を選択する余裕があった。住民の何割かが大規模会場に流れた分だけ、居住自治体の医療機関が行うワクチン接種枠にも、余裕が生まれたのではないかと推測された。  
 一方、接種券の到着が遅い自治体の住民には、極めて限られた選択肢しか残されていなかった。発送業務が他と比べて遅い、いわゆる外れ自治体の住民が接種券を手にした時には、自衛隊大規模会場の予約枠は既に埋まっており、機会を逃すこととなった。結果、自治体内の医療機関のワクチンを取り合う形となった。

 東京二十三区においては、全体的に東側のワクチン接種が早く、西側が遅かった。墨田区の迅速さはその中でも目を見張るものがあり、区長や保険局長の的確な判断がメディア上で好意的に取り上げられ、称賛された。一方で、西側の区の遅さが、住民達から厳しく批判されることとなった。市民活動家出身で、常日頃からメディア露出の多い世田谷区長は、特に厳しい非難にさらされた。

 一般に、東京都区部においては、東側より西側の方が学歴も所得も高く、いわゆる社会階層が高いと分析されている。行政サービスの質や首長の能力は、必ずしも住民の社会階層によって規定されないということが、現実として確認された。

 

 自治体が予告した新規予約受付開始時刻に、パソコンの前に待機し、予め申し込みフォームを開いておく。受付開始時刻と同時に申し込んでも、まず予約は取れない。取れない以前に、接続ができない。ブラウザを何度も更新してようやく表示された待機画面には、申し込みまで720分待ちですという、非現実的な待ち時間が表示されている。そんな状態がずっと続いた。

 同様の事態が、東京都の西側の住人から続々とネット上に報告された。期間を開けて二度接種するというこのワクチンの性格上、一回目の接種を受けた者は、自動的に二回目の接種機会も確保される。一方で、未接種の人間はいつまでもゼロ回のままである。そのことが人々の間で不公平感をより醸成し、ますます怒りを増幅させることとなった。

 

 居住自治体によって、ワクチンの接種難易度に明確な当たり外れがある現下の状況を称する「自治体ガチャ」なる造語をSNS上にて目撃した。自治体首長の掲げる方針や、その危機管理能力がここまで住民の生命に直接影響し、運命を左右するのかと、日本国民は再認識させられた。

 人間の生存にかかわる資源(この場合はワクチンや病床といった医療資源)をどのように分配し、管理するかという点において、そこには、言葉の真の意味においての「政治」が存在していた。言い換えれば、それは生存競争であり、広義の意味での戦争であった。よって現在は、ウイルスとの戦争における戦時下であると言えた。


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