【読書録】『トーベ・ヤンソン短編集』(冨原眞弓編訳・ちくま文庫)

 ムーミンの作者、トーベ・ヤンソンの短編小説集。普通の現代小説。フィンランド特有の描写や叙述は、そんなに強くは感じられない。舞台として森や湖がやや多いかなと感じられる程度。物語に出てくる飲食物もごく普通ぽい。

ふいにわたしは左にいた青年にぶつかられた。カウンターに乗りだして喧嘩口調でキューバンリバーを要求している。すでに三杯も注文したというのに。なんてこった。猫も杓子もしゃしゃりでる。みおぼえのある光景……(「軽い手荷物の旅」)

 ヤンソンの生年は1914年。日本でいうなら大正年間の人で、私の祖父とほぼ同年代だ。この世代は第二次世界大戦の当事者だったと思うが、この短編に収録された作品には、フィンランド人が経験した冬戦争も継続戦争も出てこない。少女時代から続くとドイツ人の友人について書いた短編が一篇収録されているだけだ。(「カリン、わが友」)。

 ソ連に関しては全く記述がなく、ロシア人も全く登場しない。ムーミンシリーズの最初の作品「彗星」と、シリーズのプロトタイプとなった洪水の童話は、スターリン・ソ連の侵略という理不尽かつ圧倒的な暴力の寓喩ではないかと、個人的には考えているので、少し物足りない感がある。この短編集には、たまたまその種の作品が収録されていないだけなのかも知れないが。

 白夜の描写は文句無しに美しい。これぞ北欧文学だといった感じがする。

ひどく熱い日で、夜には稲妻が走った。病院は低く長くのび、端から端まで一本の廊下でつながれている。夜のいちばん暗い時刻だったが、この夏の時期に灯りはいらない。扉はみな開かれたままで、その内側に暮らす人々はひっそりと音もたてない。眠っているのか、雷鳴に聴き入っているのか。(「雨」)
病院は海岸沿いにある。いま夜の明ける寸前に、鷗たちが浜辺で啼いている。何百羽といるはずだが、みんなぞろって啼くさまは稲妻よりも力づよく、その抑揚は上昇と下降をくり返す。聴いている者にとって、鷗たちの叫びは喘ぎ声のようであり、脈拍のようであり、夜にしみとおる動作のようでもある。(「雨」)





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