見出し画像

【小笠原滞在記】1.父島の森歩き

 父島滞在中に宿泊するペンションは、朝夕の二食付きだ。非常に充実していて、器も盛り付けも美しい。ボードに書かれた、今日のメニューの書き文字も洗練された飲食店舗のようで、書き慣れている感じがする。自分が撮影すると、他の宿泊客も同じように撮り始めた。亭主は本土の飲食店で、それなりの修行を積んだ人なのかもしれない。

 メニューには、島の食材が豊富に使われている。ご飯は白米ではなく、三分つきぐらいの玄米だ。こだわりがあるようだ。
 
 滞在2日目は、ツアー会社が企画・引率する森歩きのアクティビティに参加する。送迎の車が、宿の前まで迎えに来てくれるという。朝食を食べてしばらく待っていると、黒いファミリーワゴンがやって来る。降りてきたのは眼鏡をかけた、小柄で若い女性だ。美人だが、美しいというよりも、可愛らしい感じがする。この方が今日のガイドだという。
 互いに自己紹介をし、車に乗り込む。森歩きツアーは、一日コースと、午後から参加する半日コースがあり、午前中から参加するのは、私の他に、中年男性がもう一人だけだった。
 女性ガイドの運転で、ワゴンは南へ向かう。昨日乗った村営バスと同じルートだ。「午前のツアーでは、小港海岸へ行った後にその南の中山峠という山を登ります」とガイドが言う。小港海岸は昨日行きましたと答えると、ガイドは少し申し訳なさそうに「リサーチ不足でした」と言った。
 小港海岸バス停の手前に、駐車スペースがある。ワゴンを停めて、三人で道を歩く。昨日見たばかりの小港海岸停留所の前を通り、昨日と同じように靴を木酢液で消毒し、林道へ入る。

 歩きながら、父島の動植物について、色々と解説してくれる。小笠原諸島は、海底火山の噴火で出来た海洋島、つまり歴史上一度も大陸と繋がったことが無い島々である。この島に存在する全ての動植物は、何らかの方法で太平洋を渡って来たものだと解説してくれる。
 海洋島の植物達は、海を渡って自らの種を伝播・存続させるために、様々な戦略を取っている。自ら移動手段を持たない植物の長距離移動は、3つのWに拠るという。Wing(翼)、Wave(波)、そしてWind(風)である。つまり、鳥の体に付着したり糞に種を混ぜる、海流に乗り波に揺られる、風に直接吹かれて飛ぶ、この三パターンがあるとのことだ。
 砂浜を歩く。写真を取ってもらう。
 砂浜右手の崖の向こうには、コペペ海岸という、また別のビーチがあるという。昨日見た崖のトンネルは、海に慣れている人がその気になれば、泳いでくぐれないことはないとのことだ。

 左側の崖に見られる、枕状溶岩について説明を受ける。海底からチューブのように押し出された溶岩が固まり、このような形状になるのだという。枕のようにも見えるし、亀の甲羅のようにも見える。小笠原諸島が火山列島であることが、視覚的に再確認出来る奇観である。

 浜辺にオカヤドカリが無造作に転がっているのを、ガイドさんが見つける。三人で代わる代わる突いてみたが、一向に動かない。
 
 ガイドさんの先導で、中山峠を登る。緩すぎずキツ過ぎず、丁度良い運動になる。トレッキングシューズを履いてきて、正解であった。

 途中の山道では、ウグイスの囀る声が聴こえる。途中でつっかえたり、リズムが微妙であったりする。練習し始めで、まだ拙いのかと思ったが、ガイドさんに言わせると、メスを巡る競争が緩いために、小笠原のオス鳥は歌が下手くそでも結婚相手が見つかってしまうのだ、だからいつまでたっても下手なママなのだとのことだった。冷徹な分析だ。オスに対して手厳しい。

 中山峠の展望台から、父島と太平洋を見下ろす。良い眺めだ。北側が大村地区で、二見港に停泊しているおがさわら丸が見える。持参した小型双眼鏡が少しだけ役に立つ。
 
 下山し、駐車場近くの東屋で昼食を食べる。ツアー会社に注文しておいた弁当だ。東屋にはテーブルと椅子があるのだが、両者の高さと位置がかみ合っておらず、テーブルの下に足を入れることが出来ない。微妙に設計ミスっぽさを感じる。横座りになって食べる。

 近くの道路脇には、等間隔で椰子の樹が植樹されている。その幹は下に行くほど太くなり、ずんぐりとした外見をしている。昨日、村営バスの車窓から見たものだ。ガイドさんに尋ねると、見た目の通り「トックリヤシ」という種類だという。小笠原の在来種ではなく、どこか他の南国から持ち込まれ、植樹されたものだとのことだ。
 昼食の後に、皆で少し話をする。ガイドさんは、元々は島外の出身者で、大学で生物学を学んだという。平成時代の流行語を用いれば、いわゆるリケジョである。「海洋生物学ですか?」と尋ねると、少し違って、アニマルサイエンスという学科だという。その学科に「小笠原実習」という授業があり、それがキッカケで小笠原が好きになり、島に移住することになったとのことだ。
 「メガネが壊れた時には、島の人はどこで修理するのですか?」聞いてみる。眼鏡を修理するようなサービスは、島内には無いとのことだった。おがさわら丸出港時の甲板で落として、鼻当ての部分が無くなった自分のメガネを見せると「針金が直接鼻に当たって痛そうですね」と言われた。
 メガネの故障はまだ我慢できるが、不便なのはスマホだとのことだ。以前は、スマホを扱うような店が島にあったのだが、現在は無くなってしまった。スマホが故障したり、紛失してしまった時は、本土まで行かなければならない。以前、先輩ガイドがスマホを海没させてしまった時には、大変苦労をしていたとのことだった。
 そして、女性にとって何より切実なのは出産だという。島内には、出産可能な医療機関が無い。村の妊婦は皆、品川区の医療機関に長期滞在し、そこで出産するという。
 ガイドさんからは、小笠原に来た主な目的を聞かれたので、正直に答える。「東京都最南のバス停に来るためです。午前中に見た、小港海岸バス停が目的地です。東京都最南のバス停は、小港海岸バス停ですが、最北はどこかご存知ですか? 奥多摩村の、日原鍾乳洞前のバス停です。」
 自分は一昨日の夕方、その「鍾乳洞」バス停を出発し「小港海岸」バス停まで来たのだと説明する。なるべく自然な話し方を心がけたが、妙に力んだり、声が上ずっていたかもしれない。ガイドさんは話を聴いて感心した様子をしてくれたが、おそらくは接客業としての義務から来る社交辞令であろう。内心は呆れていたのではないかと思う。
 もう一人の男性参加者は、たまたま「おが丸パック」が取れたから来たという。「おが丸パック」は、おがさわら丸の往復乗船券と、滞在中の宿泊費がセットになった旅行商品だ。同船を運航する船会社である、小笠原海運のホームページで買える。「船室も宿のランクも、一番安いものを選んだが、それでも十四万円ほどした」とのことだ。到着日である昨日の午後は特に予定が無かったので、レンタルバイクを借りて、父島の北側から東側を見て回ったとのことだ。
 免許を持っている人は、やはり行動範囲が広がって良いなと思う。自分も、最終日の午前中は特に予定が無いので、レンタサイクルでも借りようかなと考えた。

 全身緑色のトカゲを見つける。特定外来種、グリーンアノールだ。島の生態系に甚大な悪影響を与えるため駆除対象となっている。捕獲して役場に持っていくと五〇円ぐらいくれるらしく、村の子供達の小遣い稼ぎになっているという。リアルモンハンではないか、ちょっと楽しそうだなと思ってしまう。 
 自分でも容易に捕獲できそうだ。「僕が、今ここでアノールを捕まえて役場に持って行っても、お金は貰えるんですか?」聞いてみる。女性ガイドは微妙な顔をした後に「衛生的に問題があるから、止めておいた方が良いです」と答えた。寄生虫なども居る可能性があるとのことだ。その通りなのだろうが、眼前のグリーンアノールに同情して、そのように言った可能性もあるのではとふと思った。つぶらな瞳のアノールは、ただじっとしている。

 午後になって、他のツアー客と合流する。男性ガイドに引率されたグループで、祖父母と幼児を伴った家族連れ、高齢女性、白人女性と黒人女性の二人組等の参加者が居る。こちらより大分人数が多い。家族連れの若奥さんは松葉杖をついている。もしかしたら、この旅行中に何らかの事故に巻き込まれたのかもしれない。 

 島の東側の森に入る。この森にはかつて、軍用道路が敷かれていて、米軍統治時代にはジープなども走っていたという。言われてみると、確かに車道っぽい痕跡が見られるが、半ば以上再び森に還ろうとしている。 

 林道には、小動物を捕獲する罠が仕掛けてある。野猫を捕獲するためのものだと言う。父島では野猫が繁殖してしまい、島の生態系を破壊し、固有種を脅かしている。この罠をかついで山道を歩くのは、なかなかの重労働だと男性ガイドが言う。捕らえられたネコは保護施設に送られ、里親が見つかるのを待つとのことだ。小笠原の猫は、グリーンアノールやヤギと同様の外来生物なのに、随分と扱いが異なる。人間側の、明らかに一方的かつ主観的な好悪で、特定の生物種が理不尽に優遇されている。それが現実である。 

 小笠原の森には、マルハチという巨大なシダ植物が生えている。樹木のように高く生育し、茎は木の幹のように太く堅くなる。茎の表面の模様が、八の字を逆さにして〇で囲ったように見えることから、この名がついたそうだ。シダ植物なら、新芽のうちなら食用になるのではないか? そう思って尋ねると、「食べたことはないし、食べようと思ったこともない」と言う。人間が食べた話は聞いたことがないが、しばしばヤギの食害にあうとのことだった。 

 また、この林道の特定のポイントでは、旧帝国陸軍の装備品の残骸が、発見当時のママ置かれている。観光客にも歴史を知ってもらうために、意図的にそのようにしているのだという。飯盒炊爨の飯盒と、何かのレンズのようなものが置かれていた。

 森の奥には巨木がある。登って良いというので、私を含めた何人かが挑戦する。中年男性が写真を撮ってくれる。「僕もお写真をお取りしますよ」と申し出たが、自分は登らなくて良いですよ辞退された。  


 車で移動し、中央山展望台に登る。一般人が到達できる父島の最高地点で、島の東西が一望できる。この展望台にも、旧日本軍の遺構が残されている。二見港の沖合に、鯨が動いているのを誰かが発見し、皆一斉にその方向に注目する。自分も双眼鏡で探したが、見つけることは出来なかった。 
 午後のツアーでは、女性ガイドは幼児やケガ人のアテンドに回る。松葉杖をついた母親の代わりに、幼児の手を引いてゆっくり歩いている。

  ツアーの最後は、ガイド同伴でないと立入りできない保護区に入る。高いフェンスで囲まれていて、南京錠で閉鎖されたゲートを開いて入る。アカガシラカラスバトという天然記念物の鳥が、このエリアには生息していて、やはりネコによる被害が大きいのだという。 

 その帰りの道中、男性ガイドからヤギ駆除の裏話を少し聞く。ヤギ駆除は、本土のハンターに業務委託しており、ここ父島以外の島では、かなり進んでいる。島によっては、ほぼ完全駆除に成功した例もあるのだが、父島は未だに残っている。ヤギ駆除の仕事は、かなり報酬が良いので、一部のハンターは引き延ばしを図って、ワザと完全駆除を達成しないのではないか? 島民の一部には、そんな噂話も流れているという。  

 女性ガイドの車で、帰路に着く。来た道を引き返して南へ進み、私の宿泊しているペンションに向かう。北へ進んで、父島を一周して貰っても良かったのだが、言い出せなかった。 午後のツアーで回った父島の東側には、JAXA、国立天文台、気象庁等の観測施設が点在している。それらの施設には、当然該当分野の専門家が勤務している。いずれも、理系エリートの学者、研究者だろう。彼らもまた島の住民なのだが、街の飲食店で姿を見かけることは余り無い。女性ガイドはそう言っていた。   

詩的散文・物語性の無い散文を創作・公開しています。何か心に残るものがありましたら、サポート頂けると嬉しいです。