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凶弾と教団と

 二〇二二年七月八日金曜日午前、奈良県内において演説中の安倍元首相が銃撃される事件が発生した。現場は近鉄大和西大寺駅前バスロータリー、二日後に投開票日を控えた参院選の応援演説を行っている最中のことであった。実行犯の男は警備の隙を突いて、背後から至近距離まで安倍に接近し、自作の散弾銃から数発の弾丸を発射した。安倍は奈良県内の病院に搬送されたが、同日中に死亡が確認された。
 日本社会にも国際社会にも、衝撃が走った。
 この事件により、直後の参院選は、安倍の弔い合戦のような様相を呈し始めた。期日前投票の会場には、今までに見たことがない行列が出来ていた。四十五分待ちとのことだった。ああ、これは、自民党が大勝してしまうのであろうなと、私を含めた少なくない人間が予想し、その通りの結果となった。この圧勝により、岸田自公政権は次の国政選挙までの間、政権運営上かなり優位な位置を確保することとなった。
 政治家の評価は棺を覆って定まると言われているが、安倍晋三の評価は死してなお定まらなかった。日本国の内閣総理大臣として、最長の在任期間を記録した政治家であり、現役の国会議員でもあったので、敵対者も支持者も多かった。
 元首相の思想や政策と対立する社民党や共産党の人間であっても、現役の国会議員はさすがに公人としての礼儀をわきまえていた。この凶事に際し、人として当然の礼節に従ったコメントと、テロに対する抗議をSNS上にて表明した。だが、彼らのシンパはそうではなかった。殺人事件の被害者である故人に対して、連日口汚い侮辱の言葉が発せられ、安倍の支持者、擁護者の人々もまた、激しい言葉で応酬した。両者は最初から最後まで互いに相容れることなく、終わることの無い宗教戦争のように不毛な舌戦が、果てしなくどこまでも続くだけであった。
 この凶行を許してしまった警察機構、特に奈良県警の警備体制は当然のことながら社会から厳しい批判を受けることとなった。県警本部長は後に引責辞任した。

 実行犯の男は現場で逮捕された。その四十代の男は、世界基督教統一神霊協会、いわゆる統一協会の熱心な信者である母親の元で、複雑な人生を送った人物であることが報道された。壺などを高額で売りつける、いわゆる霊感商法によって、同教団は以前も社会から批判を受けたことがあった。安倍元首相の一族は、祖父である岸信介の時代から同教団との繋がりがあることが改めて指摘された。常人には理解しがたい、特異で閉鎖的で、搾取的な教義を持つ朝鮮半島由来のカルト宗教と、保守系の世襲政治家との密接な関係は、一部の野党勢力によって取り上げられ、政治問題化された。


 在任期間が長いだけあって、海外の要人からは多数の弔電が寄せられた。アメリカを始めとした多くの国々が、弔問のために要人、特使を派遣した。


 
 事件の一週間後、七月十五日の関東平野は豪雨であった。この雨が、もしあの日の近畿地方に降っていたら、安倍の応援演説も中止となり、この事件も結果として避けられたのではないかと、ふと思った。
 コロナウイルスの感染者は七月に入って大きく増加していた。
 

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