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ラダック地方の青空を求めて

令和元年の9月初旬にインドのジャンムー・カシミール州ラダック地方を訪問。チベット仏教が生きる場所、空がずば抜けて青い地。

ラダックとチベット仏教

ラダック地方は、インドのカシミール地方の東部に位置し、チベット文化がいまだに生きている地域である。チベットといえば中国のチベット自治区、ネパール、ブータン等のイメージがあると思うが、特に中国と比べると、1958年~61年までに起きた大躍進政策や、文化大革命で破壊されたチベット自治区よりも古いチベット仏教の文化がよく残っているといわれている(僕はラダックしか行っていないため定かではないが、チベット自治区のラサに行った何名かはこのラダックの地に来てそう言っていた)。そこに、シルクロードの仏教壁画美術の研究をしている友人が上記政情安定下にラダック地方に行きやすくなり旅行することを聞きつけ、久しぶりに会いたい&専門家の彼らから色々聞いてみたい!と思い、僕もラダック地方の今を確かめに、後追いでその地に向かった。

事実、砂曼荼羅の制作光景という類稀な光景に出会えたこと、チベット仏教として特徴的なヤブユム(男女合体尊。対面座位になり交合を通じて自利と利他の一致を体現したブッダの境地を表すチベット仏教美術では代表的な像)やヘールカ(守護神であり忿怒の表情をしている本尊)に出会たことは大変に僥倖であった。ラダック地方は、今まで行った秘境の中でも自然、文化の両面で想像をいい意味ではるかに裏切る姿を僕たちに見せてくれて、非常に良い時間を過ごすことができた。

ラダックの空

 ラダックの空はとても青い。大前提としてレーが標高3,200m、世界最高の車道があるカルドォン・ラは標高5,620m、中国との国境となるパンゴン湖は標高4,000m、別の道にあったチャン・ラは標高5,390mととにかく高い。すると、多くの場合雲の上にいることとなる(実際には永久凍土となる雪山や、ごつごつした岩山からは雲すら形成されない)。加えて、カラコルム山脈やヒマラヤ山脈が目の前に迫り、しかも急峻で高い。すると大気中のごみや水分もろくにない稜線が目の前、しかもだいぶ視界の上のほうに現れるわけで、くっきりとした稜線の奥には青い、いや、青というよりはもはや黒い空が現れる。稜線を描く山脈自体も太陽の光を存分に浴びて眩しく、そのコントラストが見飽きることなく美しい。

ラダック地方の地理的な位置づけとカシミール紛争

 ラダック地方はインド北西部いわゆるカシミール地方と呼ばれる山岳地域の一部である。現在は、インドのジャンムー・カシミール州に属し(~2019年10月)、パキスタン、中国と国境を接している。

 インドは1947年にイギリスから独立する。その際に全インド=ムスリム連盟(主にイスラム教、ヒンドゥー教のインド国民会議派と対立)がインドの統一に反対したことから、インドはインド連邦とパキスタン(現在のバングラデシュも東パキスタンとしてパキスタンに帰属。1971年に正式に独立)の2つの国家として独立を果たす。独立の際にインド西北部のカシミール地方は住民の約80%がイスラム教徒だったにもかかわらず、独立時のジャンムー・カシミール藩王国の藩王はヒンドゥー教であったためにインドに帰属することを決定。しかし住民はパキスタンへの帰属を希望し、これを阻止するインドと支持するパキスタンとの間でインド=パキスタン戦争が勃発。現在は、旧ジャンムー・カシミール藩王国の首都ジャンムー・シュリナガルおよびラダック地方(つまりカシミール藩王国のメインどころであり大半)インドが支配、北部はパキスタンが支配しているが、当初の藩王国の領土内での領有権の対立は現在でも未解決の問題であり、近年は両国ともに核を保有することになり緊張感はさらに高まっている。(加えて、厳密にはアクサイチンエリアに中国のコントロール下の地域が出てくるがここでは割愛。)

 イスラム教徒がメインのインド北西部のジャンムー・カシミール州の中でも、チベット仏教徒がメインの地域がある。それがラダック地方である(最大都市はレー)。ラダック地方はしばらく政情は安定していたが、ついに2019年8月中旬にジャンムー・カシミール州から離脱することが決まり、今後はラダック連邦管轄領(2019年10月31日より施行)に変更になる。いわゆるカシミール紛争から完全に「いちぬけ」した形となる(と、僕は理解している。実際にパキスタンに帰属することは宗教が違い、かつイスラムからの弾圧を受けても仕方ないし、中国に帰属した場合は事実としてチベットの弾圧を受けてきた歴史があるから住人は望まない。であれば他宗教にも寛容なインドに従前どおり帰属するのが一番得策なのだと思う)。

レー到着、レー市内

ソウル、バンコク、ニューデリー経由で日本出国から28時間ほどかけてレーに到着。ラダック地方の中心の町、レーの標高が3,200mととても高い。それ以上にこのエリアでは車道で世界最高地と世界2番目の峠(それぞれ5,600m、5,390m)もある標高の高い地域であり、雲が近く空が青い。急峻な稜線の先には雪が積もっている。レーの空港からは、空港の到着ゲートで会った日本人男性Nさんと一緒に宿に向かった。

レー初日、友との再会

街は中心地の歩行者天国の100m程度の長さの道路が2本L字型になっており、こじんまりした同業の店が歩行者専用道路の脇に連なっている。中心通りの上にはタルチョー(チベットの祈祷旗)が大量に架かっている。五色の順番は青・白・赤・緑・黄の順に決まっており、それぞれが天・風・火・水・地を表現している。ちなみにタルチョーには仏法が風に乗って拡がるよう願いが込められている。他に願い事や四神(虎、麒麟、鳳凰、龍)などが描かれている場合もある。経文が書かれている場合は風になびくたびに読経したことになる。

まずは町中心地のソマ=ゴンパ (ゴンパは僧院の意)に向かう。40センチサイズのマニ車が寺院を囲むように設置され、3m程度のマニ車が2か所に設置され、それらを地元の人が回している。マニ車には回転させただけ経を読み、功徳を積めるとのことなのであらゆるマニ車を回した。街中では暇さえあればマニ車を回している人が視界に必ず入るくらいにはいて、その信仰心の深さには恐れ入る。

昼はその辺の食堂でマトンのRogan Joshを注文。Rogan Josh(油・温めるの意)はかつてペルシャからカシミール地方に伝わった料理の一種、いわゆるゴロゴロマトンの煮込みで個人的に好きな料理の一つであるが本場がこの地。そしてその辺の食堂がとても美味しく、このあと何度も通うこととなった。そのあとは店を変えてマサラチャイとバターチャイを注文。バターチャイは使っている茶葉がピンクらしく、ピンク色をしていた。その後AirtelのSIMのアクティベートなどで時間を過ごす。

18時にチベットレストランでKさんとSさんと待ち合わせをしてMomoのマトンを食べて、そのあとは別の場所に移ってビールを飲む。1年半ぶりに会う場所がカシミール州のラダックのレーなんて意味不明すぎてとても良い。


KさんとSさんは5年前にシルクロードで出会って結婚をしている。Kさんからは、海外で偶然出会う人なんてSさんか僕ぐらいだ、と笑われながらも、チベット仏教が生きているラダック地方の良さ、特にアルチ村などにはラダック人しかいなくて星がきれいで実に素晴らしいこと、中国人観光地化されて修復なんかも適当になっているチベット自治区の話、記憶がない夜こそが真に楽しい思い出になること、などを話してすぐに時間が過ぎていった。

レー2日目

終日のレー市内観光。朝はチーズクロワッサンとマサラチャイでおなかを満たす。その後はレンタルバイクの相場を確認するために何件かはしごをして、明日以降の足を確保。僕は運転をしないが、Nさんが運転をしてくれて2-3日ほど一緒に行動することにした。昼はビールを飲みながらだらだらして、街の暑さが収まったあとに徒歩でレーパレスを上り、その後バイクでシャンティ・ストゥーパとツェモ・マイトゥラ寺へと向かった。レーパレスは市内から歩いていける場所。他二つはバイクや車がなければいけない場所であり、バイクがあって本当に良かった。シャンティ・ストゥーパは日本語でも建立について書かれており日本の支援があったと感じる。ツェモ・マイトゥラ寺から見るサンセットはとても綺麗だった。

上ラダック・下ラダック

2日間かけてバイクで390kmを走破し、遠出した際の記録。ラダック地方南部に上ラダックの中心地レーがあり、そこからインダス川は北西部に注ぐ。訪問順(僧院略)に、ラマユル、リゾン、アルチ(泊)、リキル、バスゴ、ティクセ、スタクナ、マソ。どの村や僧院も、またはその道程も絶景に次ぐ絶景で、ただでさえ酸素が必要であるのに息を飲みまくっていたが、特に記憶に残った景色や事象について記す。既出のヤブユムやヘールカに出会えたのもこの地域であり、大変印象深い観光となった。

バイクツーリング

 カシミール地方の中に位置するラダックで情勢が安定してから観光客が増えている。仏教徒はチベット仏教僧院巡りが人気、欧米人にはヒマラヤ山脈トレッキングが人気、そしてインド人にはバイクツーリングが人気なのだ。ツーリングではこの地域をとにかく走るというそれだけらしい。バイク(350ccのRoyal Enfieldというインドのオートバイブランド)のレンタルが1日1,000Rsと安いことも人気を後押ししている。

僕はでこぼこ道には各国の旅で何度もうんざりしてきたからバイク旅の魅力には懐疑的ではあったが、近場の僧院も巡れる、ということでバイク旅をすることとした。もちろん僕は後部座席に乗る。実際に走ると、まず道がどこもちゃんと舗装されていて、かつ、砂場ではない(スリップしない)。そして好きなタイミングで止まれて、そもそも走っている道路から見える景色は絶景に次ぐ絶景。バイク旅は選んで大正解だった。(レーと下ラダックの間には、平地があるごとに数か所の軍事施設と大量の軍用車が通っていたが、もちろん写真は禁止だが、道の両脇に軍事施設がある道路を滑走できたのも大変良かった。)

ラマユル修道院

レーから北西に120km離れた下ラダックにあるラマユル僧院は、11世紀に月台地と呼ばれるエリアにできた。月台地は黄色い砂が地面からまるでトウモロコシが生えたように立っていて、ラマユルは3-4つのトウモロコシの上に板でも敷いたような足場の上に立っている。多くの宗教施設が山奥や高いところに立つが、この足場の悪いところにまで作るか、という気概(少し狂気に見えたが)に驚嘆した。

アルチ村

レーから北西に約60km離れた下ラダック、インダス川沿いの道から川を逆サイドに渡った袋小路にこの村は位置する。袋小路だからとても静かで人も少ない。さらにオフシーズンに差し掛かる9月上旬は人が少なくほっとする。しかし僧院の近くには十数軒のお土産屋があり、ハイシーズンの混雑さを想像させる。アルチの僧院には約900年前に、極彩色で書かれたブッダの壁画が残っていて、これがまぁ鮮やか。あいにく写真は撮れないが、銀色もきれいな発色をしていた。

17時過ぎに村を囲む山脈の稜線へと太陽が消えて長い夜がやってきた。レーのバーに比べて500mlの缶ビールが6割くらいで飲めるキオスクを発見したのでそこでマトンカレーを食べながらビールを飲み、アルチの人たちと歓談。気付けば缶ビールを4本空け(Kingfisherストロングは度数7%程度と少し強い)、心臓の鼓動が明らかに早くなっていて、酸素が明らかに必要になっている。高山地域は気圧が下がっているため酸欠となり血中酸素濃度が低下しているのにも関わらず、いつも通りアルコールを摂取してしまう(さらに血中酸素濃度を下げてしまう)。満天の星空の静かな村で、僕のいびきと呼吸音が鳴り響いた。

リゾン僧院と砂曼荼羅制作舞台裏

レーから北西に約70km、インダス川側道から6km程度逸れた山奥の頂にあるリゾン僧院の中心の寺でたまたま砂曼荼羅の制作光景に出くわした。砂曼荼羅は一週間から一か月ほどで完成するとのことだが、完成したらすぐに壊される。それこそが諸行無常の精神を表す。砂曼荼羅は独特のペンによって描かれる。ペンは長さ50センチ程度、砂を入れる口は広く、砂曼荼羅に描く口はとても小さい。いわゆるペンの握り口辺りをさすると、砂が出る仕組みとなっている。それらを8人程度がかりで完成させていく。僧侶が祈るように極彩色の砂を曼荼羅の上に落として完成させていく姿は圧巻そのもの。

ティクセ僧院

 レーから南東に約20kmの上ラダックのインダス川側道から少し入ったところに存在する。ラダック地方で最古かつ最大級の僧院であり、見た目はチベットにあるポタラ宮を彷彿とさせる。一説によるとポタラ宮を訪れたチベット仏教徒が株にポタラ宮を描いてこの地への土産として持ってきてここに再現したとのこと。ティクセ僧院の特徴は見た目の壮観さだけでなく、内部の写真撮影OKであること。チャムカン寺ではラダックで最大級の弥勒菩薩(チャンバ)像があり、ドゥカン寺では読経の音色と時々響くスィルニェン(シンバル)、チューガ(捧げ物の太鼓)、トゥンカル(白い法螺貝)の大合奏を見ることができ、訪れて本当によかったと安堵。

ナブラ地方、パンゴン湖

2泊3日のツアーに参加してナブラ地方とパンゴン湖を訪問し、車で行ける最高地の峠を訪問した際の記録。この地域は中国との国境地域でありILP(Inner Line Permission)が必要とのこと。パーミッションという言葉はなかなか聞きなれないが、個人的には4度目。初めてのパーミッションがイエメンのサナア市郊外に向かう際に各町で必要となるパーミッション。次はギリシャのアトス自治修道士共和国への入国のためのそれ。その次は今回の旅の前に取得しているタジキスタンのGBAO(ゴルノダバスチャン自治州)通過のそれ、そして今回のILP。パーミッションの取得は半日でできるが、パーミッションがインド人外国人あまねく必要ということは辺境好きとしてはワクワクさせられる。ちなみに、ラダック地方の観光に来たバングラデシュ人3名はバングラ人であるという理由だけでパーミッションが下りなかったために、一緒のツアーに入りそうだったが彼らだけがキャンセルとなっていた。せっかく遠くまで来たのに世知辛いと嘆いていた。それで結局僕はムンバイ在住のインド人3人と僕の合計4名のツアーに参加することになったのだが、これはインド人のメンタリティを知るとてもいい機会となった。

ツアーざっくりまとめ

訪問順に、カルドォン・ラ・パス、ナブラ谷のディスキット僧院、同じくナブラ谷のハンダー村(泊)、パンゴン湖のほとりの町ルクン(泊)、チャン・ラ・パス、ナロパ小学校。

カルドォン・ラは5,620mの峠(ラが峠の意)で、車で通ることができる世界一高い場所である。(車が通行しない峠は別にあり、そこではヤクが活躍しているとのこと)。カルドォン・ラを超えると下りの道が開けて、ひたすら3時間程度下っていく。川が流れるナブラ地方に到着。標高は3,000m程度、幅1-2km程度の平地にナブラ川が流れ、その周りをカラコルム山脈とヒマラヤ山脈が挟んでいる。山は黄金色やピンク色で太陽に照らされて燦燦と輝き、川はゆっくりと流れていく。雲がほとんどなく、山の明るさと空の青さのコントラストでこの世のものとは思えない景色が広がる。沿線は山沿いにできているのだが、そこから5-6km北上をするとディスキット僧院が現れる。金色のブッダが寺院の上に鎮座していてインパクトがある。さらに10km程度車を走らせてハンダー村へ移動する。ハンダー村は3-4kmの砂丘地域となっていて、インド人観光客が大量に来ていて、みな思い思いに弓矢、チベット衣装着替え&ダンス、キャメルライドなどを楽しんでいる。インド人観光客ばかりでなかなか異様な光景である。チベット衣装でダンスを観光客に教えているのはモンゴロイド顔をした10-12歳程度のインド人少女2人。陸の孤島であり、ほぼ100%がシェアタクシーかレンタルバイクでパーミッションまで取って来ているわけで、ここにいる人は多くが金持ちだろうと推察される。その人たちが平和にアトラクションに興じてゆったりするにはこの地はとても適している。

翌日は移動三昧であったが、ドライバーは時折写真休憩をとってくれる。毎回、必ずと言っていいほど同行者の3人は、まずはソロで(それぞれサングラス着用、サングラス外し)、次にみんなで(それぞれサングラス着用、サングラス外し)で写真を撮ってくれ、と言われ彼らのカメラで撮っていたが、次第に僕の一眼で写真を撮り、iPhoneで自撮りをし、あとでWhatsAppかFB Messenger送れば綺麗なのでは、という結論になり、僕の写真フォルダは彼らの写真で埋め尽くされる事態となった。僕は、2か月前にAFPのニュースで読んだ、「自撮りの死亡率はサメの襲撃の5倍」スマホ普及後、過去7年で世界では259人が自撮りで死亡している。自撮り死亡者の75%が男性、50%強がインド人、という記事を思いだしながら、インド人男性は本当に自撮り好きであることを、ツアーを通じて実感した。

 パンゴン湖はとてもきれいで、水は澄み、生き物は生息していないように見受けられた。そこに向かうまでの稜線も、空の青もまた美しかったのだが、だいたいのリラックスタイムは写真の確認で埋まっていった。

向かうまでの道で面白かったのは、突如爆発音が聞こえたと思ったらダイナマイトで岩を爆破させていて道路を作っているではないか。さすがインド、やることが大胆であった。夜は彼らから、ビールを飲もうぜ!という提案を受けた。飲むといっても宅飲みで、買いに行くのは僕の役割ということが後々分かった。インドにはかつてアルコールパーミッションといって、外国人のみがパスポート提示でアルコール飲料が買える時代があった。政府の言い分としては、ヒンドゥー教徒もイスラム教徒もシク教徒もアルコールは飲まないため、外国人のみに売れば十分だよね、というロジックである。今でも禁酒州が存在しているくらい、アルコールには不寛容な国である。さすがに今となっては街の片隅のうす暗いキオスクであまねく人にアルコールは売っている。彼らはまるで馬券売り場のように酒屋の前に人だかりを作り、金をちらつかせて我先にとアルコールを買って、受け取ってはすぐにリュックサックにしまって隠れて飲んでいるのだ。そして今日の3人組もアルコールを自分で買いに行くのは気が引けたのだろう、僕に買いに行かせたというわけだ。モディ首相、米印関係、世界情勢について酔っぱらって話しながら夜は更けていった。案の定、3人とも高山病で頭痛に悩まされていたが、さらに慣れないアルコールが入り朝になっても二日酔いが治らず、ほとんど寝られなかったと言っていた。

話にオチもないので文章はこの辺にしておく。写真がとにかくきれいなので見て頂けるとありがたい。

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