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#184 [文学] 英語の読解力テストでよく出題される有名な詩

第27週 第2日(火)文学「選ばれなかった道」

1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365を読破しようという企画。
この本の概要についてはこちらを一読ください。

今日は文学「選ばれなかった道」です。

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本の要約

黄色い森の中で道がふたつに分かれていた。
残念だが両方の道を進むことはできない。
ひとりで旅する私はしばらく立ち止まり、
一方の道をできるだけ奥まで見ると、
道は先で折れて草むらの中に消えていた。

次に、もう一方を見た。
こちらも劣らず美しいし、
むしろ良さそうに思えたのは、
草が生い茂っていて踏み荒らされていなかったからだ。
もっとも、それを言うなら、ここを通った人々によって
実際にはどちらもほとんど同じように踏み荒らされていたのだが。

あの朝、どちらの道も同じように、
まだ踏まれず黒ずんでいない落ち葉に埋もれていた。
ああ、私は最初の道を、別の日のために取っておくことにした!
しかし、道が先へ先へと続いていることはわかっていたから、
ここに戻ってくることは二度と無いだろうと思っていた。

この先、私はため息まじりに語り続けるつもりだ。
今から何年、何十年になっても言い続けるつもりだ。
森の中で道がふたつに分かれており、
私は踏みならされていない方の道を選んだ。
そしてそれが、決定的な違いを生んだ。

アメリカの詩人、ロバート・フロストの「選ばれなかった道」(1916年)は、自由意志を重んじる語り手の「踏み鳴らされていない方の」道を進めと鼓舞する内容に捉えがちだが、実はこの詩にはフロストの代名詞でもある、アイロニーを含んだ諦観に満ちていることがわかる。

この詩で見過ごされているのは、どちらの道を選ぶかを語り手はまったくの気まぐれで決めていることだ。どちらの道も基本的に同じであることを繰り返し強調している。

人間には自分をよく見せようと思い、人生の不確かさを体裁よくごまかし、人生とは良し悪しを理解した上で意識的に選ぶ選択の連続だとみなすことで自らを慰めようとする傾向があることを見抜いていた。

しかし、彼が結局指摘しているのは、現実の私たちは人生でどちらの道がよいかを知ることはできず、この詩の語り手と同じように、当てずっぽうで道を選ぶことが多いということである。

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人生とは常に選択の連続

ああ…あの時、別の道を選んでいたらどうなっていたのだろう…と思うことって誰しも1度はあると思う。選んだ先が良かったときでも悪かったと思うときでも。

大きな選択をしたあとなんかは特にそういった意識が働くと思う。

この詩は、本著の言う通り、誰も選んでいない道を選ぶという美徳の話ではなく、自分の選んだ道が正しかったとほぼ強制的とも言える自己肯定によって前進できる人間の心理をついた作品だ。

だからこそタイトルが「私の選んだ道」ではなく「選ばなかった道」なのだろう。


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