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#330 [歴史] 第二次世界大戦のヨーロッパ戦線の転機となった作戦

第48週 第1日(月)歴史「Dデー」

1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365を読破しようという企画。
この本の概要についてはこちらを一読ください。

今日は歴史「Dデー」です。

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本の要約

1944年6月6日(Dデー)に、連合軍はナチ支配下のヨーロッパに上陸侵攻した。それは規模から言えば、まさに史上最大の作戦だった。わずか一日の間に、アメリカ・イギリス・カナダ各国の兵士15万人以上がイギリス海峡を渡り、フランス海岸に上陸した。5000隻以上の艦船と1万1000機以上の航空機が10カ国以上から集められて上陸作戦に参加した。Dデーにより、連合軍によるヨーロッパ解放がついに始まった。

Dデーの人的被害は甚大だった。この上陸作戦で、4000名以上の連合軍兵士と数千のドイツ軍兵士が戦死した。ヒトラーは、上陸作戦が迫っていることを知っていたが、連合軍はヒトラーをまんまとだまして、上陸作戦はフランスの別の地域で実施されると思い込ませることに成功していた。

上陸の数カ月後、パリは解放された。ソ連軍は東部戦線で後世を進め、ナチを東ヨーロッパから撃退していた。ドイツに東西2つの戦線で戦う余裕はなく、1945年春にナチ政権は倒れ、連合軍は、枢軸国で唯一残る日本と戦うことに集中できるようになった。

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Dデーとは

DデーのDには特に意味はないらしい。何かが始まる日を指す一般的な軍事用語に過ぎない。別名で、ノルマンディー上陸作戦と呼ばれ、上陸からパリ解放までの作戦全体の正式名称はオーヴァーロード作戦と呼ばれている。

作戦当日だけで約15万人、オーヴァーロード作戦全体で200万人の連合国の兵員がドーバー海峡を渡って北フランス・コタンタン半島のノルマンディー海岸に上陸した。

ドイツのこの惨状を日本軍は知っていたのだろうか。
知ってもなお、勝てる見込みがあると思っていたのだろうか。

テレビでは原爆の日を中心にしか取り上げないから、日本がどれだけ苦労してきたか、被害者目線でしか語られない。こういった世界の背景があると日本の立ち位置が俯瞰してみれるのでとても良い。


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