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日本ハムファイターズと共に④

こんばんは。ファイターズを応援して33年のずけどんです。
「日本ハムファイターズと共に」4回目の投稿になります。

時は流れて2001年頃になります。
夏に北海道を旅行していて、レンタカーの中で聞いていたラジオからとても気になるニュースが聞こえてきました。
「日本ハムファイターズが本拠地を札幌ドームに移転することを検討している。」
思わず耳を疑いました。えっ、まじで?どういうこと?ファイターズが札幌に?
その時はにわかには信じられませんでしたが、日が経つにつれニュースで流れる話が段々と具体化していきます。これはどうやら本当になりそうだ。
でも、不思議と移転して欲しくないという感情にはなりませんでした。
確かにファイターズが遠くに行ってしまうのは寂しいし、球場に行ける機会も減ってしまうかもしれない。でも、このまま東京に居続けて未来はあるのかと考えると、移転はチャンスなんじゃないかとさえ思いました。
日本ハム球団が東京ドームに払う球場使用料は巨人より高かったそうです。要はお客さんが少ないので売店も儲からないし、様々な面で興行的に魅力がなかったみたいですね。巨人の選手は専用のロッカーがあるのに日本ハムの選手は試合後に全て片付けなくてはならないとかね、何か本当に居候ですね。いつまでもそんなんでいいの?なんて思ったりもしました。
試合は感覚的にオリックス戦以外は相手チームのファンの方が多いというのも何とも。
大赤字を出してまで東京に居続けることは限界なんじゃないかと感じていました。

越えることができなかった壁

1998年、ファイターズはオールスター前に2位西武に11.5ゲーム差を付けて首位を独走していました。多くの評論家たちも7月の時点では日本ハムの優勝で間違いないといっていました。
ところが...まさかの後半戦大失速により西武に大逆転優勝を許してしまったのです。前半戦にあまりにも勝ちすぎたせいか他球団にすっかり研究されてしまい、後半戦の勝率は3割台でした。
ただ、私はそれだけではなく、苦しいときにそれを跳ね返すものがなかったからだと思います。前半の貯金が多くあったので後半戦は5割でも余裕で優勝できたのですが、あと一歩踏ん張れる多くのファンの後押しが必要だったのではないかと思います。
東京ドーム時代、他にも2位になったシーズンはありましたが、どうしても優勝には届きませんでした。
その壁は高かった。東京に留まるより新たな土地で多くのファンに愛されて欲しい。そして優勝して欲しい。そう思ったのが移転賛成の理由です。

さらば東京ファイターズ

そして2003年のホーム最終戦、東京を本拠地とする日本ハムファイターズとしての東京ドームでの最後の試合がやってきました。近年見なかった満員の東京ドーム。相手はこれまでこてんぱんにやられ続けた西武ライオンズ。最後の試合もやはりファイターズらしく負けました。
試合後には涙を誘うセレモニー。少しだけ涙が滲みましたがすぐに乾きました。
遠くに行ってしまうけど決して会えないわけじゃない。たまに東京ドームでも主催試合をやってくれるみたいだし、西武ドームや千葉マリンにも応援に行けるしね。それより新生ファイターズはどんな感じになるのだろう。期待に胸をふくらませ、これまでの感謝の気持ちと共に東京ドームを後にしました。
ありがとう、東京ファイターズ!
東京ドーム時代での優勝は叶わなかったけど、夢の続きは北の大地で!
これからは北海道日本ハムファイターズ。末長くよろしく!!

東京時代(完)
読んでいただきありがとうございました。

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