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2023/9/18

【ヌイノモリのわたご】

 太陽が夜を押し上げるように空を照らしている中、ぬい広場にある森の奥では今朝もゆめちゃんが数匹のボランティアと共に作業を進めていた。皆、左手に触れると溶けてしまいそうな柔らかな布を入れた茶色い籠を持っている。ゆめちゃんは右手に扇を持っていた。

「おはようございます、みなさん。今日もよろしくお願いします。日が昇り、暑くなる前に作業を終えて下さいね」ゆめちゃんの挨拶をはじめに、お互いぺこりと頭を下げ、てくてくと列を作り森へ入っていった。 

 この周辺の森はぬいぐるみの生まれる木が多く生えており、ヌイノモリと言われるようになったのも、これらの木が由来している。ゆめちゃん達はこの場所で「わたご」と呼ばれるぬいぐるみの赤ちゃんを毎日、ぬい広場へと届けていた。

「あれれ、このわたごちゃん、他の子よりも反応が薄い……。風を当ててもぷるぷる震えないなんて」

 ゆめちゃんは受付ぬいの中でも多くわたごの誕生に立ち会っている経験から、すぐにぬい広場へと連れて行かねばならないことが分かっていた。森の中にいる皆と別れると、籠をぎゅっと抱きしめながら、目をまっすぐ見据えて駆けていった。


【ウーバよりも】

「うん。問題は無さそうだね。このわたごの周りのもふもふが少し厚くなっていたようだよ。にしてもさすがはゆめちゃんだね。このまま朝を迎えて太陽が真っ直ぐこのわたごを照らしていたら暑さで大変なことになっていたかもしれない。ゆめちゃんがいてくれて本当に助かったよ。ありがとう」

 ぬい広場に常駐するサルのお医者さんのイナセが手を合わせてぺこりと頭を下げる。ゆめちゃんも息をほっと吐きながら軽く頭を下げた。時々おかしな様子のわたごを見かけることはあったが、周りの綿が厚いわたごは珍しい気がする。それもあって自信がなく、いつもより強く糸が張りつめたように緊張していた。ここからわたごがぬいぐるみとして生まれるまで「ウーバ」と呼ばれるぬいぐるみが面倒を見るためにわたごを部屋に連れていくのだが、イナセは手をわたごにほわっと乗せてそれを制した。

「ゆめちゃん、このわたごはウーバに任せるよりも適任な子を探すのが良さそうなんだ。涼しいのが大好きで、それでいて誰かとくっ付くのが好きな子は知らないかい?」

 イナセはゆめちゃんの目をじっと見つめ、答えを待った。ゆめちゃんの頭の中にはほわっとそのシルエットが映し出されていた。そして、わたごを優しく抱き締めるとイナセに伝えた。

「ばっちりな子を知っています。私の友達なんですが、その子の所へお届けしてきます。」


【ひんやり、ぎゅー、ほわほわ】

 イナセと別れたゆめちゃんは真っ先にヌイノモリを抜けた先のうさぎ谷に住む、白熊のしろの元へ向かった。

「しろなら、冷たすぎず熱すぎず、そして大事にしてくれるよね」

 ゆめちゃんは独り言のような、それでいてわたごに話しかけているような言葉をそっと口に出した。わたごは変わらずじっと籠の中で、新しい自分のウーバを待っている。しろの家にはぬい広場を出発して5分もかからずに到着した。真っ白な家の壁に真っ白な屋根、扉には「しろ」と書かれた釣り下げ式の表札に自身の肉球スタンプが押してある。

「しろー!いるなら早めに開けてくださーい。緊急でーす!!!」ゆめちゃんは近所のぬいぐるみに迷惑にならない最大の声で扉に向かって話しかけた。

 すると、扉の向こうから「ドタバタ……どっったん!……いてて……今開けまーす!」と緊急に似合った返事が来た。すぐに扉は開き、しろはふわふわ真っ白な毛並みをぶわっと逆立てていた。

「き、きんきゅうって!?ゆめちゃん、だ、だいじょうぶなの?」

 どうやら、ゆめちゃんを心配して毛を逆立てていたらしい。ゆめちゃんは、しろの家にそっと上がると白樺で出来たテーブルの上にタオルを敷き、わたごをそっと置いた。

「私は大丈夫だから、その逆立てた毛を元に戻してね。緊急なのはこの子、わたごちゃんだよ」

 ゆめちゃんはしろが椅子に座ったのと同時にそう説明した。わたごを目にするのは、受付ぬいやボランティアのぬいぐるみ、そしてお医者さんに加えてウーバだ。それ以外のぬいぐるみがわたごを目にする機会はほとんどない。しろも当然これまで目にしたことはなかったが既に目をまんまるくさせて、きらきらした輝きをわたごに注いでいた。口からは「わたごちゃん……かわいいねぇ……」と声が漏れている。

 ゆめちゃんは、元々心配はしていなかったが念には念をいれようと、しろの様子をしばらく見ていたが、わたごに向ける目線は溺愛そのものだった。ゆめちゃんは、このわたごが、何故しろの元へ来ることになったのか一連の流れを嚙み砕いて説明した。

「なるほど……、暑すぎず寒すぎずの状態をわたごちゃんにしてあげればいいんだね。それならしろのお家はばっちりだよ。選んでもらえてとっても嬉しい!しろ、頑張るね!」

 しろは、早速わたごに合う籠を見つけ出し、「これ、わたごちゃんに合うよ!」と選び抜いたふわふわのタオルでわたごを抱き寄せて、小声で話しかけた。

「わたごちゃん、初めましてー、しろだよ。今日からよろしくね。いつでもお話したい時にお返事していいからねぇ」

 しろは、ご機嫌でわたごのいるタオルの側に寝転がっては、よしよし撫でたり涼しい自分のもふもふのお腹の上に乗せたりしていた。

 ゆめちゃんが何かあった時の注意事項を話している間もぎゅっと抱きしめている。相当わたごが気に入ったようだ。

 その後わたごを任せたしろの家を出て、ゆめちゃんはぬい広場にゆっくりと戻ったのだった。


【ついにこんにちは!】


「ゆめちゃん!大変だよ!わたごちゃんがもわっと大きくなって急にぷるぷるし出したよ!」と、しろからぬい広場に伝言があったのは、しろにわたごを任せてから丁度1か月経った頃だった。通常通りの予定でわたごの変化が訪れたのは、任せたしろのおかげだ。ゆめちゃんは、しろにわたごをぬい広場へと連れてくるように郵便ぬいへ伝言をしたのだった。

 それからその日のうちに、しろがわたごを籠に入れてぬい広場にやってきた。この1か月でわたごは少し大きくなり、しろがわたごへ施した籠の飾りも少し目立つようになっていた。

「すっかり、このわたごちゃんのウーバだね、しろ、もうすぐ会えるからね。ここまで大事に愛を注いでくれてありがとう」

 イナセはしろの手をそっと握ると、わたごが一番見えるところにしろを連れて行った。

「ここにいる、みなさん。わたごからぬいぐるみとなるこの時を一緒に見届けましょう」

 イナセはそう言うと籠からわたごを取り出し、しろが選んだわたご専用のタオルの上に置き、その時を促すようにつーっとわたごをなぞった。

 すると、しばらく何もなかったようにしていたわたごだったが、急にぷるぷる震え出すと身に纏っていた綿を編まれた糸がほどけるようにして、中にいる新しいその姿を徐々に皆に見せていく。

 そして全てが終わったそこにはきょとんとした表情でその場に座る手のひらサイズの子狐がいた。手足や鼻先には紺色のペンキをちょっと塗ったような模様がついている。

 その姿を目の前で見ていたしろは「わたごちゃん……」と目を潤ませながら小さく呟き、目の前にいる新しい姿の子狐にそっと挨拶した。

「こんにちは、初めまして、しろだよ!君は……そうだ!お名前が必要だよね、そうだねぇ、しろの愛を込めて、さらに素敵な紺色のワンポイントも魅力的だからお名前に追加して、愛紺!愛紺くんはどうだろう!しろは君のことをそう呼ぶね!これからよろしくね!」

 そうはっきりと口に出したその名前に、かつてわたごだった子狐はこれまでのしろへの感謝を伝えるように笑顔でコン!と答えたのだった。



fromwanuuta

「愛紺のお話」
名前はあこん、と読みます。


 


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