見出し画像

アスパラガスの記憶

読書感想文と言うほどではないですが、読書を通じて感じた事を少し。

最近夫が作ってくれる料理のグリーンアスパラが白いので、
「これって何?ホワイトアスパラ?でも細い」ってたづねると、「グリーンアスパラは筋が多いから皮をむいているんだ」って答えでした。
※夫は私より味にかなり繊細でお料理に一手間かける事を厭わない人です。
そんなやり取りの中で、須賀敦子さんのエッセー「霧の向こうに住みたい」にあった「アスパラガスの記憶」を思い出しました。

「アスパラガスの記憶」には日本で高級食材だったホワイトアスパラがイタリアの学食でたっぷり食べられた事、彼女のイタリア人の夫の従弟の妻、アドリアーナが春に実家から持ち帰ってくる、取れたてのホワイトアスパラが素晴らしく美味しかった事、食材のアスパラと子供の頃花壇にあった緑がふわふわしたアスパラの花がイタリアの地で関連付いた事など、須賀さんの様子や視点、驚きが目に浮かぶように綴られています。

そしてくる病のような背中のこぶ、大きくて少しずれた鼻からみにくい女と分類されるけれど、きらきらと利口そうな目と小さな口もとを持ち、働き者で料理上手のアドリアーナについて繊細に愛情をこめて書かれています。

私はアドリアーナについて書かれた、最後の文章が好きです。
『アスパラガスの栽培って大変なの、とアドリアーナは言っていた。根の白色いところが多いほど高く売れるから、土をかけてやる手間がかかって。それに、新しくないと苦味が出るから、収穫の季節には、みんな夜も眠れない。
一年に一度、アドリアーナが実家から持って帰ったアスパラガスは、たぶん、彼女がその重い労働を手伝って、自分の分を貰ってきた、そのおすそわけだったにちがいない。ふと、そう気づいたのは、なんと二十年以上もたったいま、この文を書きながらだった。若かった私たちはそんなことにも気づかないで、おいしいおいしいと言って食べていた。』

当時、市営の団地に住んでられたアドリアーナさん。
須賀さんが「霧の向こうに住みたい」を執筆されたのが1998年以前、その時に20年前とすると、2020年現在から40年以上前。文章の中では30代後半で結婚と書かれていたので、当時40才と考えると現在80才くらいでしょうか?
もうちょっといってるかな?
コロナ大丈夫でしょうか?
優しい、お料理上手なアドリアーナさんお元気でいて欲しいです。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?