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30年以上ゲームを遊び続けて、ついにゲーム関係の仕事についた話【転職エントリ】

note株式会社でゲームカテゴリディレクターとして働くことになりました

「ゲーマーが、ゲームで生きていける、ゲームを継続していける環境を作る」ために、2020年6月からnote株式会社に入社することになりました。
noteというメディアを通じて、良い作品が広まったり、プレイヤーが発掘されたり、ライターが増えたり、良い影響を生み出せるように全力を尽くします!
※ゲームに関わる人すべてを想って「ゲーマー」と書いています!

私は、今まで趣味としてSplatoonの大会運営を3年ほど継続してきて、大会運営者としてSNSで発信をしてきました。
(大会運営についての記事はこちら
今後は1個人としての発信もしていこうと思うので、自己紹介がてら過去のゲーム遍歴を振り返ってみようと思い、この記事を書いています。

SplatoonTopPlayersとしての今後の活動

note株式会社にゲームカテゴリディレクターとして入社するきっかけになったのは、前の記事でも書いた、趣味でやっているSplatoonの大会運営です。
この活動はnoteでの勤務とは完全に切り離して、今後も趣味の一つとして継続していくつもりです。

noteへ入社を決めたのは、掲げているミッションである
「だれもが創作をはじめ、続けられるようにする。」
に強く共感したことがあります。
noteではクリエイターという表現をしていますが、私はこれをゲーマーに置き換えて考えています。
ゲームは、誰でも始められますが、競技レベルで継続していくには(今現在では)かなりのハードルがあります。
「ゲーマーが、ゲームで生きていける、ゲームを継続していける環境を作る」
ことを、個人のミッションとして心において活動してければと思います。

あくまで大会運営は趣味として継続しますが、大会運営を通じて知り合ったプレイヤー、大会運営者、メディアの方々などにnoteに入社したことで良い影響があるのであれば、是非ご一緒できればと思っています。


ゲームとの出会い:ファミコン

私は1983年生まれ。そう、ファミリーコンピューターと同い年です。

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(画像参照:ファミリーコンピュータ - Wikipedia

私の父親は新しいもの好きで、今から考えるとパソコンなどもかなり早めに家に置かれていました。
ファミコンも同じで、かなり初期から家にあった記憶があります。
最初にゲームを遊んだのは、おそらく3歳頃。
最初に遊んだゲームタイトルは…

さんすう1年 計算ゲーム

今回の記事のためにプレイ動画を見てきたのですが、懐かしさのあまり泣きそうになりました…
(さすがに公式の動画は古すぎて見つけられなかったので、紹介できず…)
今から考えると、ゲーム内容が結構クレイジーで
「上に数式が出るので、その答えのナンバーを付けて走ってる車に、自分の車をぶつける」というものでした…とんでもない…笑
同時期に遊んでいたのは、王道中の王道

テトリス

ゲーム好きなら、一度はとりあえず触ったことがあるはず。
両親は割と教育熱心なタイプだったので、ゲームにも勉強的な要素を入れようとしたのかもしれません。
親にとって誤算だったのは、ゲームへ想像以上にはまってしまったことでしょう…

親に隠れて遊ぶ時代:ゲームボーイ、スーパーファミコン

中学受験をすることになって、塾通いが始まりました。中学受験自体は自分から言い出したので文句はないのですが、思ったよりゲーム時間が取れない…当時家にあったゲーム機はゲームボーイと、スーパーファミコン。

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(画像参照:ゲームボーイ - Wikipedia

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(画像参照:パブリックドメインQ
とりあえずゲームボーイは、寝たふりをして布団の中でやる作戦で親を攻略しました。
家中の乾電池を探し回り、ゲームボーイに使っていました。
布団の中だと暗いので、懐中電灯も持ち込み…
当時何を遊んでいたか振り返ってみると、王道のマリオはもちろん遊んでいましたが、もっと強烈に記憶に残っているソフトがこちら。

レッドアリーマー 魔界村外伝

(任天堂公式チャンネルより「レッドアリーマー MAKAIMURA GAIDEN プレイ映像」)
※動画はニンテンドー3DSバーチャルコンソールのものですね。
一番使ったパスワード「おへまあ - いまぬま」だった気がする…さすがに手元に無いので検証できないんですが。
まあ、魔界村シリーズなんで、難易度はとんでもなく。心が折れそうになりながらも延々と遊んでいた記憶があります。

ゲームボーイと同じくらいに出てきたのがスーパーファミコン。
大人になるにつれて、新型ハードへの感動って薄れていっている気がしますが、スーパーファミコンが家に来た時の感動は大きかったです。
しかしゲームボーイと比べて、親に隠れてやるのが難しい…
母親は家でピアノのレッスンをしていたので、親が家にいないという時間が無かったのです。受験を控えている親としては、当然「勉強しなさい」と言ってきます。

悩んだ末に、当時の私が出した結論は
受験勉強を夜中までする、と言って午前2時まで起きる
という、シンプルかつアホな結論でした。
結果的に、親が起きている午前0時くらいまで勉強をせざるを得なかったので、勉強量も増えました。一石二鳥だね!

この作戦でゲーム時間を確保した当時、スーファミでも色々なゲームを遊びました。全部挙げていると、到底書ききれないのでぱっと思いつくもののタイトルだけでも書いてみると…
スーパーマリオワールド、マリオカート、ストリートファイター2、ドラゴンクエスト5、ファイナルファンタジー5、ロマシング・サガ3、etcetc…
が、一番思い出に残っているゲームと言えば…

トルネコの大冒険

日本においてローグライク系ゲームを流行らせた、偉大なゲーム。
現在に至るまで、色々なゲームを題材にして不思議なダンジョンシリーズは販売され続けています。
当時のキャッチコピーは「1000回遊べるRPG」。実際に自分が何回遊んだかはわかりませんが、1000回遊んだと言ってもおかしくないくらいやりこんでいました。
未だにローグライクゲームは大好きで、風来のシレンや、ちょっと変わったところだとローグライク×カードゲームの「Slay the Spire」なんかも最近はプレイしています。

3D革命:プレイステーション

ついに時代はポリゴンへ。2Dから3Dへの変化は、とんでもなかった。
今から見ると、プレステのポリゴンとかカックカクで見てられないレベルですが、当時の衝撃はすごかったですね…
プレステ派とセガサターン派がいたかと思いますが、我が家はプレステ派でした。

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(画像参照:PlayStation - Wikipedia

カセット型からCD-ROMになったのも、子供心に近未来感を感じていましたね。
セーブデータがメモリーカードに外だし出来るようになったり、コントローラーにスティックが追加されたりと、ハードとしても色々変革が起こりました。
思い入れのあるゲーム紹介の前に、より思い入れのある起動音を紹介してみましょう。

これ、怖いっていう人も多いみたいですね。個人的には当時からすっごいワクワクしていましたが。
最初の音を聞いただけで、当時のワクワクがよみがえってきて、とてもいいサウンドロゴだと思います。
PSには名作も迷作もありますが…1個ずつ思い入れのあるものを紹介します!

太陽のしっぽ

まずは迷作側。いや、個人的には神ゲ―だと思うんですけど…
原始人になって生き抜いていくゲーム。マンモスを狩りして、その牙を集めて塔を作り、太陽のしっぽまで塔が届くとエンディング。
いや、書いてても意味が分からん!
が、謎の中毒性があって、結構遊んでいた記憶があります。友達にも勧めて買わせたな…
数か月後にその友達は売り払ってましたが…
制作会社のアートディンク様の作品でいうとルナティックドーンも良く遊んでいた記憶があります。

モンスターファーム

そして、名作側。
育成ゲームは今でも好きなのですが、モンスターがランダム生成される、しかもそれがCDを読み込ませるという手法が斬新でした。
このゲームに読み込ませるためだけに、中古CDショップへ行って1枚10円くらいのCDを何十枚も買っては読み込ませていました。
愛情を注いだモンスターが死ぬのが嫌で、死ぬ直前に冬眠させてましたね…
他にも影牢とか紹介したいんですが、一生この記事が書き終わらなくなるので省略。

テーブルゲーム:Magic The Gathering、麻雀、数々のボードゲーム

同時期に数々のテーブルゲームにはまりました。
Magic The Gatheringは、最近MTGアリーナという形になってPCでも遊べるようになりました。(Magic Onlineというのもあるんですが省略)
トレーディングカードゲームという概念を作り出した、おそらく一番古いカードゲームで、遊戯王、ポケモンカード、ハースストーン、シャドウバースなどの源流となったゲームです。
一番古いカードの中には、もはや美術品扱いのものもあり、1枚1000万円以上の値段が付くものすらあります。
当時は授業中も必死にデッキを考えていて、ノートはMTGのメモでいっぱいでした。
高校生くらいから一緒に遊ぶ友人が辞めていって、私も引退していたのですがMTGアリーナから20年振りくらいに復帰しました。
limitedが好きで、グランプリ(大会)にも出たりしています。
ちなみにnoteとの出会いは、MTGの攻略記事を購入したのがきっかけでした。

同時期にMTGをやるために通っていた店で、ボードゲームが流行っていました。その中でもドはまりしたのは、当時ドイツ語版しかなかった…

カタン

めちゃめちゃ遊びました、このボードゲーム。
結構ルールは複雑だったんですが、対戦相手と交渉(取引)出来るっていうのが楽しくて、何度も遊んだ記憶があります。
当時の生活を考えると
学校中(MTGのデッキを考える)→ショップでMTGやる→飽きてカタンやる→家に帰ってプレステ起動する
という感じで、起きてる時間のほぼすべてをゲームにささげていました。

人生が壊れていった時期:Ultima Online

起きてる時間のすべてをゲームに捧げている、から、睡眠時間を削ってまで一生ゲームをやっているヤバイ時期に突入しました。
このBGMを聞いて、一瞬にして過去の記憶が揺り動かされる人も多いはず。

Ultima Online

※ゲーム音楽のデータそのものは著作権的に流せないのでspotifyから…イントロだけで泣きそうですが。

MMORPGの元祖で、もう20年以上の月日が流れているゲームです。ちなみにまだ遊べます。まだ、遊べるんです!
私のアカウントは引退と復帰を繰り返して13年ほど経過しています。
昔のインターネットは従量課金制だったので、やればやるほどお金がかかったのですがテレホーダイというサービスに入ると23時からは定額!
つまり23時からがコアタイムだったわけで…さっき書いたタイムラインにはほとんど影響をしないわけなので…
学校中(MTGのデッキを考える)→ショップでMTGやる→飽きてカタンやる→家に帰ってプレステ起動する
から
学校中(MTGのデッキを考える)→ショップでMTGやる→飽きてカタンやる→家に帰ってプレステ起動する→23時からUOやる
に、進化しました。(これを進化と言うならば)

結果、浪人しました。

ゲームから離れた時期:ビリヤードとダーツ漬けの毎日

1浪して大学生になった私は、ついにゲームを卒業しました!
代わりに一日中、玉屋(ビリヤード場)に入り浸ることになり、朝まで玉をついてから大学へ戻る日常を過ごすことになります。
さらにその後、ビリヤード場に置かれたソフトダーツにはまり、今は無きD-CROWNというプロの大会に参加したりします。
当時、1日平均4~5時間は投げていたので、寝る前に野球のピッチャーみたいに肘をアイシングしたりしていました(笑)
ダーツプロとして食べ続けることに挑戦したい気持ちもあったのですが、イップスになったことも影響して、最終的に断念しました。
当時仲良くしてもらっていた知野真澄選手は、今もバリバリ活躍していますね。こっそり応援しています!

人生が壊れていった時期2:Civilization Ⅳ

大学院に進学した私は、しばらくゲームから離れていたのにダーツでひじを痛めた時期にとんでもないモンスターに出会ってしまいます。

Civilization Ⅳ

ターン制のストラテジーゲームの名作で、やっていると
「あと1ターンだけ、あと1ゲームだけ」をエンドレスに繰り返して、気が付いたら朝になります。
ゲーム本体だけでも無限に遊べるのに、MODのクオリティもとんでもないものが揃っていて、本気で「一生やめられないのではないか」と思うくらい遊んでいました。
今でも進化を続けているゲームで、Civilization Ⅵまで発売されています。

ゲームから離れた時期2:就職

大学院での研究を続けるか、社会に出るか悩んでいましたが、最終的に創業間も無いベンチャー企業への就職を選びました。
日本の大学院は、教授コースに乗れれば先が見えてきますが、乗れなかった時のリスクがかなりあります。
ダーツプロとしての挑戦を続けるという選択肢もあったのですが、覚悟が足りずその道を諦めました。
ゲーマーがゲーマーとして生きている環境を作りたい
という、今の気持ちは、当時の自分が夢を諦めた経験からくるものです。

創業4か月という会社にジョイン出来たことは、0から1のフェーズを体験できたこと、会社が成長する過程を見ることが出来たこと、多くの面で自分を成長させてくれました。
今思うとこの時期は、自分の人生には珍しく「〇〇に熱中している」というのがあまり無い時期でした。
ただ、離れたと言いつつも、流行りのゲームは一通り触っていたので、ハードゲーマーからライトゲーマーになっていた、というのが正しいかもしれません。

Splatoon ~そして永遠へ~

きっかけはとても小さく、けれど、とても運命的な出会いだった。

時、採用タスクをこなしていた私は、新宿のカフェで採用面接をしていました。
「趣味は?」と聞いた私に、採用面接を受けに来た子は「ゲームです」と答え、「Splatoonっていうゲーム、すごい面白いですよ!機会があれば是非遊んでください」と言ってきました。

当時、ニコニコ動画などでSplatoonの動画が流行っていたのは知っていましたが、FPSやTPSなどを避けてきた自分にとってあまり興味を持てる対象ではありませんでした。
しかも、Wii Uは発売当初に興味を持てるソフトが無かったので、本体をそもそも持っていなかったし、Splatoonは発売されて1年近く経っていました。
Wii U本体の生産は減少しているのに、マリオメーカーとSplatoonはソフトとして成功したので、本体入手の難易度が高かったのです。
「機会があったらやってみるわ~」と答えて、面接は滞りなく終了。
(この子には内定を出したのですが、最終的に内定辞退されました…)

その帰り道、新宿の東口のヨドバシカメラにふらっと立ち寄って、店員さんに「Wii Uって最近本体入ってきてないみたいですけど、在庫無いですよね?」と聞いたところ
「さっき1セットだけ、マリオメーカーとのセットが入荷しました」と言われました。

秒で買いました。Splatoonとセットで。
普段、買い物はすごい慎重派なのですが、なぜかこの時は、即決で買ってしまいました。
家に帰ってやったところ…

酔う。気持ち悪い、というか、吐きそう。

想像していた以上に、FPSやTPSが体に合わないらしく、3D酔いをしまくりました。
が、面白い…!
後はSplatoonの沼にはまるのに時間はかかりませんでした。
最初は吐き気をこらえながら遊んでいたのが、いつしか体が慣れて吐き気を感じることもなく遊べるように。
そこから、大会運営に至るまでのお話は、過去にまとめてあるので興味があればそちらをどうぞ。

大会運営を通じて、多くの経験をし、色々な人に出会い、少しでもゲーマーのための環境を作りたいと思い、転職を決意しました。

note株式会社へ

ゲームが好き、という人はいっぱいいると思います。
私も、ゲームが好きです。
そして、Splatoonの大会運営を通じて、ゲーマーが好き、という気持ちも芽生えるようになりました。

大会運営用のTwitterを見ていると「就職しないといけないからSplatoonを辞めます」「進学のために辞めます」といったツイートをちょこちょこ見ます。
社会人の端くれとして「ゲームだけやり続けて配信で食べていけばいいじゃん」と、簡単には言えません。
成功している人の陰には、失敗した人が何百、何千人と埋もれているのを知っているから。
でも、ダーツプロという道を諦めた過去の自分と照らし合わせて「挑戦してみたらいいのに」と思うことも沢山あります。

挑戦できなかったのは「成功への道が細くて、保証も何も無かったから」。
言い訳であり、事実でもあります。

note株式会社のミッションは
「だれもが創作をはじめ、続けられるようにする。」
この「続けられる」というのが、個人的には大きな意味を持っていると思います。

ゲーマーがゲーマーとして生きていける環境を作り、ゲーマーがゲームを続けられるようにしたい。
ゲーマーがゲームで生きていくための手段を、少しでも増やしたい。
そんな気持ちでnote株式会社へ、私は転職します。

イカ、よろしくーーー!

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