コマーシャルと現代社会 第9回-究極の自粛

 自粛する、と聞いてどんなシチュエーションが浮かぶでしょうか。例えば「細菌・ウイルス感染防止のために外出を自粛する」、「不貞行為をして、社会から反感を買ってしまい芸能活動を自粛する」などが挙げられるかと思います。また、表現においても「小さな子供が観るような番組では、教育上よろしくない暴力的な表現を自粛する」というパターンもありそうですね。


 さてCM表現における自粛について。以前挙げた「『私、作る人。僕、食べる人』」のように常時倫理的にアウトな表現はともかく、こんなコピーやセリフがNGとなった時期があります。


『みなさん、お元気ですか?』
『生きる歓(よろこ)び』


 …何でNGなんでしょう?活力があってとてもいいですよね。このようなポジティブな内容を自粛しましょうと業界全体、いや日本全体が意識を一つにした時期がありました。祭りや運動会が中止になり、閣僚は外国出張を中止する事態。一体何が?…実は、一時代を担う要人のⅩデーが迫っていたのです。


 ―88年9月19日、昭和天皇、大量吐血。87年には十二指腸の末端から小腸にかけての部分に通過障害が認められ、手術を受けられていましたが、癌が進行していた事実は公表されていませんでした。


 それから一日に三回(のちに二回)、宮内庁から天皇の体温、脈拍、血圧、呼吸数が発表されるようになりました。


 9月24日、体温と脈拍に大きな動き。関係者間に緊張感が走りました。これを受けて来るXデーに備えた動き、すなわち「ポジティブの自粛」が始まりました。

 「キーワードは くうねるあそぶ」から始まる自動車のCM。有名シンガーが自動車の助手席から「みなさんお元気ですか?」と語り掛ける内容でした。しかし「ポジティブの自粛」が進む中でこの「お元気」というワードが問題視されたのです。その結果、映像はそのままで音声をカットする対応がされました。するとどうでしょう。有名シンガーが口をパクパクさせている謎のCMになってしまいました。事情を知らない人が初めてこのCMを観たら、この奇妙な演出に何が起きたか分からず呆然とするでしょう。

【訂正前→1分30秒頃 訂正後→2分00秒頃】



 また、同じく自動車のCMコピー「生きる歓び」もカットされました。こちらは音楽の変更やコピー文言の削除対応だったので、先述の様な奇妙さは出ませんでした。


 年が明け、89年1月7日。午前5時ごろ、NHKの天皇報道専用電話(ホットライン)に着信が入りました。


「容体が悪化した。」


 午前6時35分、天皇の危篤が発表されました。しかしその2分前である午前6時33分、天皇はその生涯を皇族、親族、侍従(じじゅう・お仕え人)、侍医(じい・天皇につく医者)に看取られながら、終えられていたのです。昭和の時代が終わりを告げました。


 これまでにも「ジェンダー観」に反する表現があったことで取り消された広告はありましたが、より広い表現が自粛という形で取りやめになったのはこれが初めてでした。そして不幸な出来事があると、それまであったポジティブな表現が自粛になるという動きが次第に当たり前の流れへとなっていきました。とても重い内容になってきたので、次回は超ポップにします。


コマーシャルと現代社会 第10回「キャラものが流行る時代」へつづく

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