コマーシャルと現代社会 第5回-は?性別で役割を決めるんですか?

 女性の社会進出は戦後になってようやく動き出しました。それまでは男性優位の社会。女性は大学に行くこともできず、家事と子育てに限定されていました。


 さらにはこの問題は日本だけに留まらず、世界に及んでいました。75年、国連は「国際婦人年会議」という男女平等に関する宣言やそれに対しての取り組みなどを計画した会議を開催しました。それによって後年、日本は雇用面での男女差別を禁止した「男女雇用機会均等法」を制定しました。


 話は変わって前回の話。最後の方で企業と消費者の力関係のことを喋ったことを思い出してください。「おめぇヘソねぇじゃねぇか」論争では全く消費者をなめていた企業でしたが、75年の終わり頃から消費者主義の台頭とともに力関係が逆転した、という内容だったと思います。


 今回はこの二つの背景から分かるCMの話をします。


 75年、ある醤油ラーメンのCMがお茶の間に流れました。


 最初に現れたのは一人の女性と女の子。仲良く「作ってあげよう (商品名) For you~」というCMソングにのせて踊ります。


 問題はその後でした。


 女性と女の子は「私、(ラーメンを)作る人」といい、その次のカットで急に男性が登場。その男性は「僕、(ラーメンを)食べる人」と言ったのです。CMではその後、「作る人」と言った女性や女の子も男性と一緒にラーメンをすすって終わります。



 しかしこの「私、作る人。僕、食べる人」というセリフが引き金になって給食当番を拒否するめんどくせぇ男子が登場。「食事づくりはいつも女性の仕事という印象を与え、男女の役割分担を固定化してしまうものだ」とし、「国際婦人年をきっかけとして行動を起こす女たちの会」がCMに抗議しました。


 「家では私がみんなにつくってあげる」という小学四年生の女の子の話をもとに作ったほっこりCMのはずだったのに…CM制作者の想いはむなしく、「社会的影響なども無視できない」とした広告主は放映から二ヶ月経ったある日、CMの放映中止を決断しました。CM制作者のジェンダー観の欠如がはっきりと問題視された最初の事例です。



 女とはこうあり、男とはこうあるべきだというステレオタイプ(固定観念)はこれで廃れていったのかと言うとそうでもありませんでした。同じような理由で謝罪・取り下げ対応となったCMは近年においても存在します。



 例えばある住宅メーカーが「妻の家事ハラ白書」と題したCMを放映した事例。夫が妻の家事を手伝った際、妻が言い放った「お皿洗いありがとう。一応もう一度洗っとくね。」「いいのよ、頼んだ私のミスだから。」などの辛辣な一言に夫は衝撃を受けて傷つくといった内容でした。これに対し「夫がかわいそう」という夫同情派の意見はそこそこあったようですが、それ以上に「妻が家事を行うという前提がおかしい」「夫が家事をしないのは妻のせいだって言いたいんですか?」など妻側からの苦情が殺到しました。ちなみに最近では「妻」と言うのもジェンダー観的によろしくないという見方もあります(「パートナー」と言うのが相応しい…ようです)。これら表現に関して皆さんはどう思われますか?是非考えてみてください。



 このような広告表現のステレオタイプはジェンダーだけでなく、人種についてもありました。それも近いうちに取り上げてみたいと思います。次回は唐突に裁判の話です。


コマーシャルと現代社会 第6回「どこまでも行くと記念樹があった」へつづく

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