コマーシャルと現代社会 第7回-恐怖CMは〇〇から

 皆さんも一つはあるんじゃないでしょうか、トラウマCM。怖いCMとも言いますが、私もいくつかあります。例えば2010年に放送された「動脈硬化性疾患発症抑制のための啓発キャンペーン」CM。見知らぬ言語でひたすら唱えられる女性ボーカル曲の不気味さとほぼ白黒の映像(しかも心臓と血管の詰まるイラストだけがカラー)にメンタルをやられて半月ほど寝込んだ記憶があります。



 CMって突然流れてくるもんだから事前に回避できない分タチが悪いですよね。他にもカミソリ負けによって肌を痛めた男が赤鬼化するCMやオレオレ詐欺をする細身の男が舌の長い妖怪化するCM,遊ばせた髪型が印象的な男が威勢よく歌を歌っていると次第に老化していって骸骨化する(けど髪型だけは一切老けない)CMなどをリアルタイムで観てトラウマを植え付けられました。



 そんなことはどうでもいいのですが、これらトラウマCMや怖いCMの最初って何のCMでどのような表現だったか知っていますか?勿論それまで「うちの商品を買うとこんないいことがあるよ!」「こんな充実した生活を提案するよ!」とポジティブなアプローチしかやってこなかったCM表現にいきなりネガティブな要素を投入したのです。とても画期的かつ相当な効果をもたらしたと言われています。


 それは…「自動車保険」。


 黒い背景に白い文字で「交通事故をなくそう」というテロップが無音で表示されるところからCMは始まります。ス~ッとテロップが消えると次に暗闇のなかスーツ姿で体育座りをするサラリーマンの後ろ姿が映し出されました。その男は一度も声を発することなく、カットが変わることもなく、音楽もなく、ナレーションだけが入ります。


「彼は、世間に顔向けが出来ません。あの時、雨さえ降っていなかったら…せめて保険にだけでも入っていたら…でも、もう遅いんです。起こしてしまった自動車事故。今日ハンドルを握るあなたの、明日のうしろ姿かもしれません。」



 このままCMは終わります。なんとも恐ろしい。


 このCMの放映後、保険の契約件数は著しく増加しました。CMによる社会的な意識の変化ということで非常に意味のある事例です。そもそも放映されたこの時代、任意の自動車保険に入らない運転手が多かったことに驚かされます。今ではそのような方は本当に少ないか、まずいません。


 これ以降、広告にネガティブ表現・怖い表現が取り入れられていきました。例えば82年に政府広報が制作した「覚醒剤防止キャンペーン・母と子」や公共広告機構(現・ACジャパン)が制作した03年「消える砂の像」05年「見えない連鎖」、さらには「どうあがいても、絶望。」のコピーとともに放送されたゲームソフトのCMなどが代表的ではないでしょうか。一部作品については「怖すぎる」というクレームで放送が中止になったものもあります。行き過ぎた表現も考えものです。



 「行き過ぎた表現も考えもの」、ということで「後ろ姿」CM放映時に怖いCMの問題点を天野祐吉氏が挙げていました。


 当該CMは自動車事故の恐怖を煽るばかりで理性的な話はそこに持ち込まれていない。単なるオドシによって理性より恐怖心が勝って盲目的に話を受け入れてしまう。


 天野氏の鋭い指摘です。


 重要なのは「なぜ人身事故が無くならないのか」。いたずらに地獄絵図を見せるのではなく、その地獄絵図に至った過程を読ませることでドライバーたちに理性的判断を迫らせることが出来る。


 そこまでを15秒で描き切れるのか…かなり難題な気もします。しかし恐怖感をいたずらに煽らないこと、私たちも気を付けていきたいですね。


コマーシャルと現代社会 第8回「うるせぇ!!!!!」へつづく

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