コマーシャルと現代社会 第1回-新メディアの幕開け

ふたつぎです。お久しぶりのnoteです。

今回から某所で高校生向けに書いていたコマーシャルのコラムを転載していきます。

これを読んでいる皆様の中には「なぜお前がコマーシャルを?」と思いの方もいらっしゃるでしょう。

実は趣味がCM研究でして、昔のCMを中心に色々観ながら考えるのが好きなのです。以前「CMソング収集家」としてTVに出させていただいたこともあります。

というわけで自己満足の塊のようなコラムを書いていました(全22回)。それが一応完結したので転載していこうと、そうなったわけです。

では、ごゆっくり。


第1回 「新メディアの幕開け」


 さて、今回からコマーシャルの話を書いていきます。不定期ですがどうぞよろしくお願いいたします。


 CM(コマーシャル・メッセージ)について改めて確認すると、お客様に商品を買ってもらうような説得映像・音声のことを指します。そしてそのようなものを作る為には、その時代に応じた表現や思想を取り入れることがベターなのです。世の感性に合わせた提案をしていくことで、世間の皆様の購買意欲を掻き立てさせるのです。


 そんなわけで戦後社会の文化や思想・歴史を辿るにはCM映像を観てみるのが一番手っ取り早かったりもします。結構分析してみると面白いものですので、紹介します。


 それではここでクイズ。民間放送(民放)はCMが無くてはお金を確保できませんから、民放の始まりがCMの始まりということになります。そして、TVCMの始まりが同時にあるものの始まりにもなってしまいました。それはなんでしょう?


 正解は「放送事故」。そうです。いきなりやらかしました。


 1953年8月28日。日本テレビ放送網が開局したその日、正午に「精工舎の時計・正午の時報篇」が流れる予定でした。いよいよ始まる新聞・雑誌・ラジオに次ぐ新しいメディア「テレビ」で初の広告・・・準備は二カ月以上前から進めていました。


 放送三時間前になりました。二週間前に映像フィルムは完成していたものの、やはり不安でいっぱいです。度重なるテストの末に最終チェック。「OKです」広告代理店・映画社・テレビ局の期待値は最高潮に達していました。さぁ、再生したフィルムを巻き戻してもらおう。専門家によるフィルムの巻き戻し作業を見ていると・・・あれ?いつもと様子がおかしいんじゃないか?映像制作者は違和感を覚えつつも専門家のやることを信じ、これ以上は疑いませんでした。


 結果は…「フィルムを裏表逆のまま巻き戻し、再生してしまったことによるノイズ&無音&真っ白画面」を放送してしまいました。あーあ。

 しかし、スポンサーは謝罪する放送局に対して『努力して間違えたんだから仕方がない』と言い、一切叱る事はありませんでした。


↓その日の午後7時に放送された仕切り直しのCMはこちら



 とにもかくにも新メディア「テレビ」は広告面だけで言うとマイナスからのスタートとなりました。時代は朝鮮戦争からの特需景気によってGNPが戦前レベルまで回復し、復興真っ只中。そうは言ってもテレビそのものの値段は非常に高く、全く普及しませんでした。実写撮影技術もタレントへのツテも無く(映画に出るような俳優は起用できない制約が当時ありました)、しばらくはアニメーションCM・人形劇CMが続いていました。


 しかし、そんな不遇の時代はすぐに終わりを告げます。経済白書に「もはや戦後ではない」と書かれるほどの急成長を遂げた日本。高度経済成長の始まりや皇太子さまご成婚パレードも重なってテレビの普及率は飛躍的に上がりました。1960年には「所得倍増計画」が発表され、その計画に沿うように景気はますます良くなっていきました。どれほどかと言うと、本来「オリンピックのあとは景気が悪くなる」と言われているところ、1964年の東京オリンピックのあとは「確かに落ちたけど懸念するほどじゃない」とされたほどには日本が元気いっぱいの時代でした。


 ところで、景気がいいときと悪いときとで分かりやすいくらいに思いっきりCM表現のアプローチが変わる商品を知っていますか?次回はその話をします。

コマーシャルと現代社会 第2回 「〇〇〇で見る日本経済史」 へつづく



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