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砂場の恋愛。

はたして需要があるのかはさておき、第二弾です。思ったよりも真面目な感じになってしまいました(苦笑)

前回の記事で恋愛は「恋、恋愛、愛」の三段階があると勝手ながらに定義して、そのうちの恋について考えてみたのですが、今回はその次、「恋愛」について考えてみたいと思います。

今この瞬間に情熱を注ぐ状態を「恋」、そこから相手との未来を想定し始めたとき「恋愛」に変わるとしたら、恋と何が変わるのか。
「恋は加点方式、愛は減点方式」なんてよく聞きますが、そうであるならば恋愛はその両方を行うことであり、僕なりに解釈すると、恋愛は砂場で山を作ることと似ていて、土を盛り上げて山をつくるのが恋で、その山を平(なら)して固めるのが愛だと思います。


恋をしている状態では、相手のいいところ、好きなところを見ていれば成立しました。好きなところをどんどん見つけて砂を盛って山を高くしていけばいいのです。
しかし、相手との未来を想定した恋愛の状態では、当然相手の受け入れがたい面も見なければいけません。
恋して積み上げたふんわりと盛り上がった山の頂の上から、スコップでぺちぺちと叩いていくのです。そうしていくと山はどんどん潰れていき、なだらかな平らに近づいていきます。その上からまた土を盛っては叩いて平す、その繰り返しが恋愛なのではないでしょうか。

相手の受け入れがたい部分が大きくなるとスコップの使い方が変わってきます。裏面で優しく叩いているうちはよかったのですが、自分の許容範囲を大きく超えてしまうと、刃先の部分で叩いて(刺して)しまい、山は崩れていきます。
さらにひどくなればスコップは山の根元に深く刺さり、力いっぱい掘り下げてしまいます。
そうなれば山は谷へと変わり、いくら上から土を盛っても埋まらないほどに深くなってしまった瞬間、その恋愛は終わりを迎えることになります。

ならば崩そうにも崩せないくらい高い山をつくればいいのかと言えばもちろんそうではなく、固めずに盛り上げた山は高ければ高いほど崩れやすくなります。
下手をしたら唐揚げに添えられたレモンを勝手に絞られただけで崩れてしまうほどに脆くなってしまいます。

あんなにラブラブだったのにどうして別れちゃったの?って思うカップルや夫婦ほど、平して固めるという行為を怠り、山ばかり盛り上げてしまった結果、崩れてしまったのだと思います。


ここまで書けば分かる通り、恋愛において山を盛り上げることも大切ですが、平して固めることがより重要になります。
相手のいいところ、好きなところを大切に、苦手なところをしっかりと見据えていく。
平すというのは何も相手への想いだけではなく、自分の考え方にも当てはまると思います。差し引いても相手への想いが強ければ、受け入れていくことで叩き方は穏やかになります。
我慢しろというわけでは決してありませんが、歩み寄る思いがなければ、そもそも他人どうしが結ばれるなど奇跡に等しいのではないでしょうか。

しっかりと固めてできた山はたとえ丘と呼べるほどに低くても頑丈で、ちょっとやそっとのことではビクともしません。
今、恋愛を楽しんでいる方は、相手の好きなところ、嫌なところをしっかりと見据えて、確かな山を築いていただければ幸いです。

さてさて、そんなこんなで恋愛の紆余曲折を経て、恋愛はどうやって愛に変わるのか。
恋が「今この瞬間を楽しむ」、恋愛が「相手との未来を見据える」ならば愛は「相手との未来を確定させる」ことだと思います。終わらせない決意と言ってもいいかもしれません。

そして恋愛から恋が消えた愛では、山を築かずただひたすら平すだけなのか、そのあたりはまたいつか。


かなり偉そうな文章になってしまい、不快に感じる方がいらっしゃったら申し訳ありません。
恋愛ってなんだろうと考えて、考えつくままに書いてみました。

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