まさに"さようならすべての"エヴァンゲリオン。
「新世紀エヴァンゲリオン」を最初に観たのは諸事情あって友達の家に居候してた大学生1年生の時、最初のTVシリーズだ。最終回まで刺激が強すぎて昭和のガンダム育ちの脳みそが更新されまくりどハマりして関連書籍を片っ端から買い込み劇場版も徹夜してエヴァきっかけで久々に集まった同級生たちと渋谷パンテオンに並んだ。(骨折した綾波レイのコスプレの子たちがちらほらいた。)…その色濃い、熱狂した記憶よ。
その後劇場版のタームと深遠になってゆく世界観と自分の観たいものの感覚が少しずつ遠のき、昨年公開の完結編は周囲の熱狂の中で比較的冷めたものだった。あんなに好きだったあの気持ちは何処に行ってしまったのか、と少し悩みさえした。
それで漸くコロナになってしまい、家に引きこもって暇を持て余していたタイミングで、復習もせず観た完結編。忘れてしまっていた記憶の断片が不完全なピースを結び、碇親子の極私的な向き合い、壊れそうで壊れない世界の中での碇シンジの決断、新しい世界....今までの劇場版で一番しっくり来た。まさに「さようならすべての...」である。
それにしても、TVシリーズから26年後の完結なのか。作品同様、解き放たれたような、浄化されたような気持ちだ。そして定番の宇多田ヒカルの主題歌「One Last Kiss」なのだが、過去最高に良かった...彼女の曲はいつでも孤独をまとっているが、今回は僕たちのエヴァ喪失の予感にくちづけするかのような優しいグルーブで「忘れられない人」というフレーズを繰り返す。世界の終わりでも、年を取っても、忘れられない人=僕にとってはもはや人ではなくエヴァであり、生きた時代なのかもしれない。
ついでに歌詞にある「誰かを求めることは即ち傷つくことだった」なんて...生きてきてその間に気づいてる。なのにまたハッとしてしまう自分。きっとこれからも求めて傷ついてハッとしてを繰り返すのだろう。今、自分がやっている仕事もまたプロジェクトの立ち上げが主だったものであり、どうやってもその地点からしか始まれない。
…というわけでまとまりのない文章を読み返しながら、一体一体葬られるエヴァンゲリオン各機の事を思い出している。さようなら、そして、ありがとう、すべてのエヴァンゲリオン。26年越しの感謝を(驚)。
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