水辺の聖女、愛すべき平穏

「その、ありがとうございますマルタさん。名だたる英霊にその、料理を教えてもらうなんておこがましいと思ったのですが。」
「いいえ、いいえ。いいのよマシュ?私は英霊である前に聖女、聖女である前にただの人なの。それに、こうして頼られるのは気持ちのいいものよ。あなたも可愛い妹みたいなものだし。」
 人理修復後、カルデアに僅かながら穏やかな時間が流れていた。ここはカルデアのキッチン、マシュが料理を教えて欲しいとマルタに頼み込んだのだ。
「それでどんな料理を教えて欲しい?」
「それならその、シチューを教えてください。以前マルタさんに作ってもらったのがとても美味しかったんです!」
 そう言われるとマルタは嬉しそうに微笑んだ。人理修復に際しては悪竜タラスクを鎮めた英雄として振る舞うが、マルタはこのような温かな時間の方が好きであった。なにせ彼女は家事の守護聖人でもある。

「それにしても便利なものね。多様な調味料にガスの火、新鮮な食材とそれを保存する機械。私の時代にも欲しかったわ。」
 マルタは準備をしながら呟く。そしてマシュに問いかける。
「ねえマシュ、どうして急に料理を教えて欲しいって思ったの?」
「あの、あまり深くは考えていなかったのですけど。改めて考えると、そうですね…私はデミ・サーヴァントとなってからは戦い生き延びるための技術を身につけてきました。」
 マルタはそう聞くと少し顔を曇らせる。仕方のないこと、選択肢などなかった。それでもこのような少女に過酷な運命を背負って欲しくなどはなかった。その様子に気づくこともなくマシュは続ける。
「それで私、思ったんです。先輩と一緒に青空を見上げた時に。私は私たちが守った”日常”というものを見てみたい、聞いてみたい、感じたい。だからその、日常に根差すものといえば料理かなと思いまして。」
 そう、日常。普通の人が普通に暮らし、普通に喧嘩し、普通に笑い。そんな他愛もない日常を愛していた。だからこそ”それ”を奪い去った人理焼却に彼女は激怒した。人ならざるサーヴァントとして召喚されてまでそれを防ごうと思ったのだ。 
「ふふ、どこまでも真面目なのね。でもその通りよ。美味しい料理を家族と食べて、一緒に笑って。なんだかこうやって料理を教えるの、懐かしい感覚。戦いのために召喚されたのに、こんなこともあるなんてね。」
「さて、準備はできたわね。これからみっちり教えるから。」
「はい!よろしくお願いします!」

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「マシュ、まだかなぁ。」
 自室で一人待つのは人類最後のマスターだった男、藤丸立香である。彼はマシュに部屋で待っているように言われたのだ、なんでもサプライズがあるとか。
「先輩!お待たせしました!」
 マシュが鍋を持って部屋に入る。マルタも一緒だ。
「わあ、これはシチューかな?美味しそうだ!」
「実はマルタさんに教えてもらって作ったんです。その、先輩にも食べてもらいたくて。だからその、三人で食べましょう。」
「もちろん!ありがとうマシュ、マルタさん。」

 三人でマシュのシチューを食べる穏やかな時。マシュに料理を教えて欲しいと願われた時、マルタはとても嬉しかったのだ。マルタの愛した平凡な幸福をマシュが享受できるようになったことが。
 そしてそれが欺瞞であることもわかっている。自身が人理修復後も退去されないということはつまり、まだ戦いは終わっていないということ。だからせめて、とマルタはマシュとそのマスターに祈りを捧げる。健やかであれと。

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