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【黒四interviews】①太田資倫氏:黒四・水圧管路の「47.2」と新黒三・高熱隧道の「175」との闘い

 皆さんこんにちは、「ドボ鉄」ことTakashiです。土木学会の2023年度会長特別プロジェクト、「土木の魅力向上特別委員会」の幹事長を務めていました。今回は、その取り組みの中の一つである、黒部川発電プロジェクトの施工当時の方にインタビューをする企画について、ご紹介したいと思います。

■黒部を取り上げることになったキッカケ

 この委員会では、「土木の魅力を伝える」活動の一環として、「過去のプロジェクトのことを後世に伝える」ことに取り組もう、ということになり、その中でも、黒部川の発電プロジェクトは、完成後60年が経過し、世紀の大プロジェクトでもあったので、是非取り上げてみようということになりました。そこで、田中茂義会長と一緒に現地に行き、その内容を2023年9月の土木学会全国大会の基調講演のメインテーマとして取り上げました。以下のYouTubeの20分30秒付近から、黒部に関しての紹介があります。

■黒四の現場に従事した方へのインタビュー

 今回の委員会でどんな取り組みをしようか?と議論した結果、当時のことを知る方は、皆さん80代後半から90代と高齢になられているので、その方々からインタビューをするのが良いのでは?ということになり、こちらの5名の方にインタビューをして、それを動画に収める取り組みを行いました。

今回インタビューを行った、5名の皆様

これらの5名のインタビュー、6月に予告編を公開しました。順次本編の公開を進めていく予定です。

 このたび、1人目の太田資倫さんのインタビューが公開されましたので、その内容をご紹介したいと思います。

■太田資倫さんへのインタビュー

 太田資倫さんへのインタビューは、2024年2月に、太田さんの現在のお住まいのある、仙台市内で行いました。

太田資倫(おおた すけのり)氏
 1956年(昭和31年)大成建設(株)入社。同年、黒部出張所(当時)に配属され、黒四地下発電所の水圧管路や、新黒三発電所のトンネル(高熱隧道)の施工に従事した。その後、函館本線神居トンネル(北海道)、山陽新幹線福岡トンネル(福岡県)など数々のトンネル現場を経験した。仙台市在住。

 インタビューは、約2時間にわたりました。このインタビュー、とても示唆に富んだものであるため、できるだけ完全に近い形でアーカイブして残したいということになり、5話に分けてYouTubeに公開することになりました。以下に5話のあらすじをご紹介したいと思います。

【第1話】どうして黒部に行ったのか

 仙台で建設会社に就職した太田さん。その会社が入社後すぐに倒産してしまい、親戚の紹介で大成建設に入社し、黒部の出張所に配属されました。そこは、厳しい自然の中で短い工期で巨大な構造物を作り上げる必要がある、世紀の大プロジェクトの現場。現場では、越冬するための資材の運搬や、坑内で寝泊まりすることを余儀なくされた宿舎生活、不安定な食生活などの状況からのスタートでした。

【第2話】黒四の水圧鉄管路 ~角度47.2度との闘い~

 最初は資材係(黒部の山奥に資材を調達することの担当)から黒部の仕事をスタートした太田さんは、その後トンネルの施工管理を任されるようになります。様々なトンネルの掘削を進めていくうちに、黒四地下発電所の中でも難しい工事の一つである、水圧管路の施工を担当することになりました。人や資材が移動するインクラインも34度の急勾配ですが、水圧管路はそれをさらに上回る47.2度の急勾配。ずり出しの際は垂直に落ちてくるずりを水をかけながら落とし、コンクリート打設の際も、型枠のスライドセントルが落ちてくるなど、命がけの仕事をしていました。また、管路の敷設は、鉄管の製造メーカーが欧州であり、海外の人と一緒に工事に携わる一幕もありました。

【第3話】高熱隧道を掘る~岩盤温度175度との闘い~

 黒四地下発電所が出来上がることで、その水を使って新たに下流側にも発電所を作ることとなり、黒四地下発電所に続く、新黒三発電所のトンネル工事に従事しました。この現場は、戦前の黒三発電所の工事で遭遇した、吉村昭さんの小説でも有名な、「高熱隧道」に再び挑むという現場でした。

 作業員の服装として、宇宙服のようなものを試してみたのですがうまくいかず、黒部川の渓谷の冷水をシャワーのように噴射しても、霧状の熱湯になるような過酷な作業場所。人にとっても機械にとっても非常に過酷な環境でした。岩盤の最高温度は、何と175℃。できる限り岩盤を冷やして、火薬が自然発火しないように留意しつつ、切羽部分の温度を37℃以下に保つことを心掛けていたそうです。その現場でとりわけ大変だったのが測量の作業。測量の際には、冷却するための水も止めなければならず、熱い岩盤に接するような環境で長時間作業を続ける必要があり、それはとても過酷な環境でした。

【第4話】黒部で学んだトンネル技術、そして人生

 高熱隧道の施工を経験し、黒部の工事を終えた太田さん。山から下りて、一度都会に出てみたいと志望して配属されたのは、東京・大手町の地下鉄の現場。都電の走る直下の深夜の施工を経験し、黒部との環境の違いに驚きました。半年ほど都内で勤務していたところ、北海道の函館本線の神居トンネルの現場に来ないかと声がかかり、その後は再び山岳トンネルの現場へ。やはりトンネルのほうが肌に合っている、トンネルはみんなが仲間意識をもって仕事に臨めるのが良いと感じていました。その後、九州の福岡トンネルなどでも難工事を経験しますが、黒部で培った経験を活かすと、そうした難工事でも難なくやりきることができる人間力が身についていました。その黒部を共に闘った仲間は、それらの工事でも一緒になることが多く、特に大分県出身の「豊後土工」と呼ばれる職人集団が活躍していました。

 そんな太田さんが選んだ、当時の写真の1枚。黒四のいくつもあるトンネルの中で、地質が悪い箇所に用いた「後光普請」という木製の支保工。鋼製支保工が無かった時代の職人技のことを思い出しました。

【第5話】若い世代へのメッセージ

 60年前の黒部での経験や、その後の山岳トンネルの経験談をもとに、働き方改革が進んだ現在の若手土木技術者に向けてアドバイスがあれば、と太田さんにお聞きしたところ、昔は切羽を止めることはリスクが高いという認識で、本当に悪い地山では、切羽からは目を離さず、常に監視するという心構えを怠ることの無いように、というお話がありました。週休2日や、夜勤の無いトンネル現場、長期の休暇など、長い間切羽を不在にするような状況は、当時では考えられなかったということです。また、女性を坑内に入れるということも、黒部の施工当時にも特別な事情であったようですが、今ではだんだん当たり前のことになっています。そんな時代変化についても、太田さんは穏やかに、しっかりとお話をされていました。

【インタビューを終えて】

 当時の貴重な写真を交えて、『47.2°』、『175℃』という数字で自らの経験を穏やかに話をしていただいた太田資倫さん。若手技術者に対しても、常に切羽を監視することの重要性などをお話いただいていたことがとても印象的でした。今回、約2時間の鮮明な映像でのアーカイブができたことは、とても貴重な記録が残せたと思っています。あと4人の映像も順次記録していきますので、お楽しみにしてください!

<太田さんインタビューのダイジェストムービーを公開!>

2時間にわたるインタビューのダイジェスト版も制作しています。「47.2度の水圧管路」、「175度の高熱隧道」のことが手短にわかる動画です。

■太田さん、仙台にて登壇予定!!

その、太田資倫さんが、2024年9月3日に仙台で開催される、「土木の魅力向上シンポジウム」に登壇されることが決定!もし、この話を生で聞いてみたい方は、会場までお越しください。オンラインライブ配信もあります。