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【R.H.ブラントン】灯台、それは海上の星〜島国を近代化に導いた土木スーパースター列伝 #10

灯台を語ればロマンがうまれる。私はそう信じて疑わない。
孤高に立つ存在感。その姿の美しさだけでなく、歴史的背景、存在意義など、人を惹きつけるストーリーをまとっている。

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夜明けの神子元島灯台

「当代きっての灯台マニア」と言ったら自画自賛が過ぎるが、3度の飯より愛してやまない女・不動まゆうと申します。自腹を切って灯台のPR誌を発行し、フリーペーパーとして配布する私の活動も早7年目。「あいつは灯台クレイジー」と指を差されても悪い気はせず、常に灯台熱に浮かされている。

そんな私が紹介するのは「灯台の父」と呼ばれる人物だ。


Father of Lighthouse

問題!
明治元年に来日し、灯台建設に貢献した「日本の灯台の父」と呼ばれる人物は誰でしょう?

この問題、灯台マニアなら即答できるが、一般正解率はどうだろう。10%、いや1桁台代かもしれない。四方を海に囲まれ、灯台が無くてはならない国に住んでいるのにも関わらず、残念ながら日本人は灯台についてあまり知らない。

答えはリチャード・ヘンリー・ブラントン。日本政府のお雇い技師として招聘されたスコットランド人だ。日本での仕事は「灯台を築造し、点灯の仕方などを邦人に指導する」というもの。

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R.H.ブラントン、晩年の写真

第二問!
「灯台記念日」は何月何日でしょう?

正解は今日11/1。我が国初の洋式灯台である観音埼灯台(神奈川県横須賀市)の起工日1868年11月1日にちなんで、11月1日を「灯台記念日」とした。

そんな記念日に「日本の灯台の父」なわけだが(細かいことをいうと観音埼灯台を建てたのはブラントンではなくフランス人技師)、灯台を建てるためにわざわざ外国人を雇うなんて、それまでの日本には灯台がなかったのだろうか?

いや、あった。江戸時代にすでに北前船や漁船のための「燈明薹(とうみょうだい)」と呼ばれる日本式の灯台が各地にあった。しかしこれらは欧米の大型船を導けるような強い光を放つ性能は持っていなかった。

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浦賀燈明堂:神奈川県の浦賀に建つ日本式の灯台(復元)。障子の内側で火を灯していた。

そのため日本の海はDark Seaと恐れられ、欧米の船舶関係者から一刻も早く近代的な西洋式灯台の光が灯ることを望まれていた。

慶応2年、英仏米蘭ら列強国と徳川幕府の間で改税約書という条約が結ばれ、その条項のひとつに「日本政府は外国交易のため港を開き、各港で船の安全のために灯台などを備えるべし」とあり、近代的な灯台を建築することが義務づけられた。

そこでやってきたのがブラントンだ。1868(明治元)年6月にサザンプトンを出発し約2ヶ月かけて横浜に降り立つ。ブラントン27歳。妻と娘、義姉と助手2人を引き連れて真夏の日本をどう感じただろうか。湿度が高くてゲンナリしただろうな。


現役最古の神子元島灯台

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神子元島灯台:今年で点灯から150周年を迎える

ブラントンは船で各地の灯台建設予定地を視察し計画を進めていった。そして最初に手がけ、最も難工事だったと言われるのが神子元島灯台だ。当時の姿をほぼそのまま残す灯台として「日本現役最古の西洋式灯台」である。

静岡県の下田から11km沖に浮かぶ無人島のこの島は、黒船でやって来たペリー提督の遠征記にもRock islandとして記載があり、航海の難所であることが記されている。1年10ヶ月の工事期間の末、高さ24メートルの石造りの灯台が建造された。当時100人を超える石工職人が従事したという。

初点灯(灯台が稼働を始める日)の式典には大久保利通、木戸孝允ら明治政府の中心人物もこの無人島まで足を延ばした。まさに近代化日本を象徴する出来事だったのだ。

この灯台は下田港や爪木崎からも海上によく見える(キリン ホームタップのCMで窓から見えているのが神子元島だ)が、この島に上陸するには夜中に出航する釣り客用の渡船に同乗するか、チャーターする必要がある。灯台マニアなら一度は訪れたい憧れの灯台だ。



ブラントン灯台8年で25基

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尻屋埼灯台(青森県)白く塗装されているが煉瓦造りの灯台

平均すると年に3基ほどのペースで灯台を建てていったことになる(簡易的な灯台やブイなども加えるとその数は増える)。その際、建材は木、鉄、石、煉瓦のいずれかで、建設地の気候や調達条件、工期によって選択された。

木材は運搬も楽で工期も短くて済む。しかし耐久性が低い。鉄材も急を要する際に使われたが、輸入に頼っていたためコストが高い。石材と煉瓦については耐震性が心配されたが、ブラントンは日本の家屋に注目し、建物に弾力を持たせ、地震の衝撃から元に戻ろうとする力があれば、建造物が平衡を保てる限界を超えない限り倒壊しないと考え、灯台建設に生かしたようだ。

そのようにして25基の灯台を建設したが、1876(明治9)年、ブラントンの雇用期間は延長されずにお役御免となった。建設から約150年経つブラントン灯台の半数以上は今も現役だ。これらの灯台は歴史的灯台として評価され、地元の誇りとなっている。

帰国後のブラントンはパラフィン・オイル会社の支配人に就任。日本で果たした成果を«The Japan Lights»にまとめて英国土木学会に報告し、テルフォード賞が送られた。1901年、59歳で亡くなる。ロンドンのウエスト・ノーウッド墓地の暮石には、日本での功績が記されている。


灯台を知らなかった灯台の父

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左:角島灯台(山口県)
右:ardnamurchan Lighthouse(スコットランド ハイランド)

そんな「日本の灯台の父」として名を残すブラントンだが、実は日本に来る前に灯台の経験は一度もなかった。1基も建てたことはなかったのである。

鉄道工事やに河川の流量測定や下水道計画の経験を積んだのち、イギリス本国では鉄道工事が少なくなったことから、ブラントンはインドでの灌漑工事現場の技師募集に応募するも採用されず、日本での仕事に望みをつないだのである。

その後、採用通知を手にしたブラントンは、スコットランドで有名な灯台技師であるスティーブンソン一家の元で3ヶ月間の指導を受けてやってきたのだ。

来日後も常にスティーブンソンの指示を仰いでいた。そのため「ブラントン灯台」といっても、実はスティーブンソン仕込みの灯台である。例えば山口県の角島灯台。ブラントン設計として語られるこの灯台だが、スコットランドのアードナマルカン灯台にそっくりだ。アラン・スティーブンソンの設計がそのまま再現されたと考えられるだろう。

とはいっても、すべてスティーブンソンのいいなりとなっていたわけではなく、日本の風土に合わせた創意工夫も見られる(湿度対策や耐震と考えられる二重円筒構造など)。スコットランドと気候も条件も違う極東の島国で、日本のお役人とぶつかりながらも現場を仕切り、灯台を建設していったブラントンの役割は大きい。

さらに灯台以外でも功績を残した。当時、土木技術が遅れていた日本では、鉄道、電信、鉄橋、下水、港湾計画においてもブラントンに相談が集まった。ブラントンはすべてに真摯に対応し、意見書を提出し、横浜の居留地の下水および道路整備を行い、電信、トラス鉄橋については日本初の架設者となった。


不動流、灯台の楽しみ方

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神子元島灯台の初点プレート
【ILLUMINATED 1st JANUARY 1871 明治三年庚午十一月十一日初点】

国土を海に囲まれている日本は、ぐるりと取り囲むように灯台が建てられている。港の防波堤灯台を除いても900基はあるだろう。そのひとつひとつが歴史を背負う存在だ。

灯台を旅の目的地に加えると、各時代の物語に触れることができるだろう。そのために注目して欲しいのが「初点プレート」だ。日本の灯台の特徴で、灯台ドアの上部に表札のように掲げられ、初めて点灯した日が刻印されている。ここに英字の記載があり、それが1876年以前であれば、ブラントンが関わった灯台と考えることができる。

そしてブラントン帰国後は、日本人技師が灯台を設計していく時代だ。ここにも多くのドラマが隠されている。

いつ、誰が、どんな必要に応じて建てた灯台なのか、時代背景と共に思いを馳せると、様々な情景が想像できるのではないだろうか。

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部埼灯台(福岡県)

昨年末、初めて現役灯台が重要文化財に指定された。まずは4基(犬吠埼灯台、角島灯台、六連島灯台、部埼灯台)、そして今年さらに1基(御前埼灯台)が加わった。これらはすべてブラントン灯台だ。

しかしGPSを代表とする航海機器などの発達により、灯台の存在意義が問われる時代でもある。私たちは灯台を単なる航路標識としてだけではなく、歴史の証人として敬意を払い、この光を未来に引き継ぐ使命が課されている。


毎夜、日が沈むと灯台は目覚め、静かに点灯をはじめる。水平線を走っていく閃光はまるで彗星の尾のようだ。

古から光のバトンを繋ぎ、世界の港へ道を開いている。そう考えると灯台は、時空間を超えて人間の営みを見守ってきた存在と言える。


文責・写真:不動まゆう
プロフィール
灯台専門フリーペーパー「灯台どうだい?」編集長。日本のみならず世界各地の灯台を取材し発行している。灯台愛が溢れる誌面はテレビ番組でも紹介され、ラジオ出演、新聞、雑誌への掲載も多い。灯台愛好会「ライトハウスラバーズ」に所属し、毎年「灯台フォーラム」を企画・運営する。「灯台」や「フレネルレンズ」の文化的価値を訴えながら、「100年後の海にも美しい灯台とレンズを残す」ことを目指して活動の幅を広げ続けている。著書に『灯台はそそる』(光文社)、『灯台に恋したらどうだい?』(洋泉社)、『愛しの灯台100』(書肆侃侃房)。

最新の著書『愛しの灯台100』
http://www.kankanbou.com/books/trip/KanKanTrip_Japan/0437
フリーペーパー『灯台どうだい?』
https://toudaifreepaper.jimdofree.com/