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坂を見つけたら駆け上がりたくなる偏愛の持ち主、外山田です。前回、勾配フェチにはたまらない激坂確定のサインについて書きましたけども、今日は『のの字坂』について。

のの字坂は横須賀市にあります

坂とトンネルのメッカと呼ぶにふさわしい街・横須賀市にその『のの字坂』はあります。バイパスや高速のジャンクションなどで見かけるループのような形をしているのですが、橋ではなく、坂です。上から見下ろすと「の」の字に見えることからそう名付けられています。

こうしてGoogle Mapにも『のの字坂』と明記されていまして、坂好きには超有名な坂でもあります。ブランコやすべり台が整備される児童公園になっている田浦1丁目公園を中心にしてぐるっと周回しながら立体交差する坂道になっていて、全国的にも珍しい坂です。

難所と呼ばれた十三峠につながる

もともとは、物資運搬用の道路として築かれた道と言われていまして、下からスロープのように緩やかな勾配をループしていくと、浦賀道・十三峠にたどり着きます。

個人的に"ミスター好奇心"と呼びたい、あの坂本龍馬が、ペリーを乗せてきた黒船を見に浦賀に向かった道が浦賀道と言われており、東海道の保土ヶ谷から金沢を通って浦賀に向かう急坂・急階段地帯に十三峠はあります。

三浦アルプスとも呼ばれる尾根道が続くこの一帯には、今でも所々にトレイルが残っていて、かつて龍馬が駆けた面影を感じることもできます。ハイキングがてらアップダウンを堪能して見てください。十三峠付近からは東京湾を望めますよ!

十三峠付近から望む東京湾


国土地理院で調べてみた!

国土地理院・国土変遷アーカイブより

さて、こののの字坂はいつ作られたのか知りたくなりません? 困ったら、ここへ行け!と僕の中で鉄板のサイトが国土地理院の国土変遷アーカイブです。上は、1945年〜1950年の田浦1丁目公園近辺ですけど、まだ存在していないですね。

続いて、1961年〜1969年で見てみますと……

国土地理院・国土変遷アーカイブより

あった!あるじゃないですか

のの字坂をさらに奥へ進むと長浦三丁目公園があり、この尾根筋一帯を農地開拓したことを記念して「開拓記念碑」と刻まれた石碑があります。その碑が建てられたのが1957年とされているそうなので、のの字坂も1950年代に作られたのだと思われます。

いやしかし、国土地理院・国土変遷アーカイブはすごいデータベースです。あなたが住む街の変遷も見ることができますので、GWで時間を持て余してしまいがちな人はぜひ訪問してみてください。


なぜ「の」の字に作ったのか!?

物資運搬用の道路として築かれたとされるのの字坂、物資を運搬する道を低地から尾根へとつける場合「つづら折り」に作るのが王道ですけど、どうしてループさせたのか気になります。

一説には軍用目的で作られた話もあり、つづら折りでは戦車のような大型なものは通行に難があるため、螺旋状にのの字にさせた。そんな話も残っているとか。でも、1950年代に作られたのなら、軍用目的自体の信憑性が薄れる気もしますね。

里山と里山の間に挟まれた谷戸の中にあるのの字坂の直径は40mほど。つづら折りにするのは幅が狭かったのかもしれません。そのおかげか、電動アシスト付きであれば、お子さんを乗せた自転車でもスイスイ登っていけるゆる〜い勾配に仕上がっています。

立ち漕ぎせずにスイスイ登る親子

桜の名所でもある横須賀ののの字坂は、これから新緑の季節を迎えます。お散歩がてら行ってみても良いですよ。そうそう、こうした「のの字坂」って全国にきっとあると思っています。近所にあるよ!と知ってる方がいれば、ぜひコメントをください。駆け上がってみたいので(笑)。

文責:副偏集長 外山田洋
フリーの編集者 兼 ライター/デザイン制作会社のプロデューサー/ラジオパーソナリティ・MC などと、落ち着きのない仕事感をごちゃっとカバンに詰めて、雨のちハレの精神で生きる人です。趣味はトレイルランニングと農業。土木は門外漢。