20181101&1102

 11月1日と2日で、3週間分くらいは人とコミュニケーションを取ったように思います。(笑)1日は、山本さんとコーヒーを飲んだ後、「場末」の雰囲気を醸し出している(と山本さんがおっしゃった)大衆居酒屋さんに行き、そのあとは例の慎也君と飲みに行きました。12時前まで話通しで、久しぶりに体力を消耗したとはっきり感じました。話題は、かなり抽象的なことで(人生とは、みたいな)周りの目を気にしつつ、自分の考えや体験談を、思い浮かんだ順に、思い浮かぶ言葉で、出しました。

 自分は感情の言語化が上手くないから、私以外の人が話した方が場のためになる、と考え自分の意見を言わないでいたこと、仮に自分のターンが回ってきたとしても、最近の失敗談や他人の話ばかりしていたことに気づきました。私はそれに慣れ過ぎて、それに違和感も覚えないようになっていたし、いつの間にか自分を出すことを恐れるようになっていたのかもしれません。「太田さんの話を聞きたいんだよ。」という言葉は、そんな私の固まったものを破壊しました、、、山本さん凄いなあ

 全部さらけ出すというのは、非常に気持ちが良い(笑)。自分の話しすることはまった。(笑)(気遣いは忘れないようにしなければ)それを実現させてくれた山本さんや慎也君の包容力にも感謝です。山本さんには、「安心して、君が何を言っても僕は君を嫌いにならない(笑)」と言われました。(笑)その言葉でもまた思うことがあって、それは、人っていい意味で、私に期待をしていないということ。例えば私の良くない話があったとして、「ああ、そうなんだ。」と面白おかしく噂を聞くだけで、それもすぐに忘れてしまいます。逆に例えば私の輝かしい功績があったとして、「すごいやん。」と一言発するだけです。それだけではなかったとしても、さほど大きいアクションにつながりません。非常に面白いと思ったときに限って、「話してほしいから飲みに行こう」とインビテーションが入るだけです。(笑)私の問題は私の問題でしかない、と。非情にも無情にも感じますが、心地よくもあります。

 1日の話はそこまでにしておいて、、2日も楽しかったあ~。学祭のスポーツ大会で、ソフトボールの種目で出場しました。私ピッチャー(笑)。勝ち負けのこだわりはなく、負けたという結果に対しては特に感想は抱きませんでした。動いて、声を出すことがなんと気持ちよいことか。ボールの行方に、プレイヤーのファインプレーに、エラーに、チーム全体が、観客が、全身で、一喜一憂すること。「自分をさらけ出す」こととの関連性を感じます。「自己表現」と言えば近いかもしれません。さすがに、ソフトのプレーの中で自分の感情を表現するのに躊躇することはありません。躊躇する時間も、感情を抑える精神的な余裕もないし。(笑)そして表現する手段は、身体を使うしかありません。論理的な言葉は通用しませんし、使う意味もありません。(笑)異文化交流のために、よくサッカーなどのスポーツが手段として用いられる由縁はこれですね。

 夜はあっきーさんまきちゃんさんと飲みに行きました。話したがる私(笑)。話したがりのラベル付けをされた可能性もありますが、めちゃ楽しかったし、盛り上がったし、うん、おっけいでしょう。応援までしてもらって、お礼まで言われて、なんと幸せなことか。と。素敵な先輩を持てて幸せです。先輩方、いつもありがとうございます。私もそんな先輩を目標にします。

 この二日間、「生きている」感じでした。ある学者の言葉を借りて言えば、「生命的躍動感」をしみじみと感じました。座って憲法の勉強をすることも大事だけど、この二日間のような刺激も、私の成長には必須で。

 これでまた頑張れそうです。

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