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 あのネックレスは、何なのだろう。
 藤田は前々から疑問を抱いていた。服を着る時、いつも中川路がポケットから取り出して着ける銀色のチェーン。正面から見たことはないので、どんなトップが下がっているのかは知らない。もしかしたらチェーンだけかもしれない。分からない。
 さっきまではそのようなもの、着けてはいなかった。至近距離で見たことも、勿論無い。隠すように、だが当たり前のように、身に着けるモノ。
 問うてみたい。が、怖ろしい。隠しているということは、要するにそれが全てなのだ。

 ぼんやり考えているうちに、中川路は着替えを終えてしまった。ネクタイをきっちりと締め、スリーピースのスーツを隙なく着こなす。振り向いて目が合う頃には、すっかりいつも通りの彼が居る。

「いつまでもそんな格好してると、また襲うよ? 今度は体が動かなくなるまで」

 そんなことを言うけれど、浮かべる笑顔はもう日常のそれで、さっきまでの時間がまるで嘘のように思えてくる。
 鎖骨の辺りに付けた痕だって、もう見えやしない。


 遅い時間だから、家まで送るよ。いつも通りの台詞を受けて、藤田は曖昧に頷く。本当はこのまま一晩中一緒にいたい、とは、言えない。

 着替えを済ませ、身だしなみを整えて、何事もなかったかのようにチェックアウト。地下の駐車場へと向かう。中川路の赤い車はやけに目立つので、どの辺りに停めたか忘れてもすぐに位置が分かる。
 ばちん、とロックが解除される音。ポケットの中に手と鍵をいれたまま遠隔操作キーを押したのだろう。
 隣の車から運転手が降りてくるので、藤田は離れて待とうとした。

 ふと中川路と目が合って、すぐに視線が逸れる。思わずその行方を追う。中川路の表情があまりにも険しかったから。
 真後ろへ振り向くと、隣の車から出てきた運転手がすぐ後ろにいた。女性だ。
 その女性は、大きなレンチを何故か持っていた。大きく振りかぶり、今まさに藤田の頭上へと振り下ろさんとする、殺意に満ちた顔。
 何も考えられなかった。ただ、それが振り下ろされるのだなという認識だけがあった。だから、その後に起こったこともまるで認識できなかった。

 言葉もなく、突如突き飛ばされた。コンクリートの冷たい感触が掌に触れる。と同時に、鈍い音。
 伏せた状態から無理に顔を上げて振り向くと、自分の代わりに鈍器で殴られた中川路の体が、今まさに崩れ落ちるところだった。
 悲鳴も出なかった。あまりに突然で、思考回路が追いつかなかった。
 女が小さく舌打ちするのが聞こえて、思わず顔を見る。目が合う。

「使う相手が違うけど、まあ、いいか」

 女が何処かから取り出したのはスタンガンだった。激痛が走って、強制的に体が固まる。奇妙な感触だった。どこをどうしても力が入らない、指先さえもだ。足や腕などの末端がガクガクと震え、意識は朦朧とするが未だ覚醒している。
 藤田は、気絶した中川路が隣の車内に引きずり込まれ、自分自身は中川路の車へと放り込まれるのを、ただ朦朧としたまま享受するしかなかった。
 涙が、動かない顔を伝ってシートに落ちた。


 それからどれくらい経ったのか。藤田の体が動くようになったのはしばらく後のことであった。
 少し痺れる感覚が残っているが、なんとか体を動かして車から出る。隣の車は既にこの場を去っており、中川路の鞄だけが隅に落ちていた。
 自分のスマートフォンを取り出し、警察に通報しようと番号を押しかけて動きが止まる。だめだ、通報はできない。中川路のやっていることが真っ当ではないと分からないほど、藤田は愚かではなかった。
 落ちている中川路の鞄を拾い上げる。中を探るが、彼のスマホは入っていない。上着のポケットに入れたままなのだろう。少し考え、藤田は鞄の中をもう一度見た。あった。中川路の手帳だ。広げるのは後ろのページ、手帳についている連絡先の記入欄。だが、そこには何も記載されていなかった。どこかに連絡先はないものか。
 しばらく悩んで、手帳を裏返した。裏表紙をめくる。すると、手帳カバーの折り返し部分に小さく薄い別の手帳が挟んであるのを発見した。取り出して広げると、当たりだ。少し古ぼけたその小さな手帳に、数名の連絡先が書いてある。
 祈るような気持ちで、記載されている連絡先を押す。コール音が無機的に鳴る。頼む、出て、お願いだから、早く……!

『はい、もしもし』

 低い男性の声が耳に届く。安堵のあまり涙が零れそうになる。

「あっ、あの、中川路さんのお知り合いの方ですか」
『ええ、そうですが』

 堤防が決壊して涙が流れるが、今は泣いている場合ではない。藤田は声を絞り出した。

「助けて下さい、中川路さんが、誘拐されて……!」


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恵みの雨に喜んだカエルは、三日三晩踊り続けたという。 頂いたサポートは主に創作活動の糧となります。ありがとうありがとう。