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 相田は夕飯を網屋の部屋で食べた後、何となく付けていたテレビで放映されていた映画をそのままだらだらと見続けてしまった。網屋もそんな相田を放置、というより一緒にだらだらと視聴してしまったので、文句は言わない。
 放映されていたのは有名な国民的アニメ映画だ。空から女の子が降ってきたりする。ぼんやり見ながら、つい有名どころの台詞を言ってしまうのはお約束だ。
 物語も終盤に差し掛かり、洗い物と翌日の炊飯準備を終えた網屋も咥え煙草で一人がけソファーに座る。

「四十秒で支度できる奴に、三分間も与えちゃ駄目だよなぁ」
「それな、先輩それな」
「だべさ」

 主人公の少年と少女が互いに手を取り、滅びの呪文を唱えようとした、その時。網屋のスマートフォンがけたたましく鳴り始めた。無理矢理手を伸ばして充電中のスマホを取り、それが目澤からの着信であることを確認してから電話口に出る。

「はい、網屋です」
『緊急事態だ、中川路が誘拐された』

 緩んだ顔が一挙に緊張を帯びる。それに気付いて、相田はテレビを消し席を立った。咥えていた煙草はそれほど吸ってはいないが、網屋は即座に灰皿へ捩じ込んでしまう。

『追跡できるか?』
「やってみます、でもあんまり期待はしないで下さい。俺が誘拐する側だったら、真っ先に端末から潰しますから」

 同じく充電中であったタブレットを取り、ヘンリー謹製のGPS追跡システムを立ち上げ、車の鍵を投げて相田に渡す。

「……お、電源、生きてますね。県道を西に移動中」
『県道か、進路上だな……なら、まずはクイーンアンバサダーホテルまで来てもらえるか。塩野も向かうから』
「了解です。そこでピックアップすればいいですね?」
『ああ。よろしく頼む』

 通話を切り、羽織るようにショルダーホルスターを身に着け、弾倉を入れてある鞄と夏用の上着を引っ掴むと、先に外へ出た相田を追う。相田は既に網屋の車へ乗り込んでエンジンを暖めていた。ハンドルを握るその顔付きは、先程までの呆けたものではない。

「とりあえず駅前のホテルまで。目澤先生と塩野先生を拾う」
「あいよ。出します」

 宣言と共に砂埃を立て発進する車。相田の運転に迷いは無い。

 彼等のアパートからホテル前までの所要時間は十分。通常ならば十五分は掛かるところを、相田は可能な限り短縮してみせた。ホテルは県道沿いにあるので、素直に県道を真っ直ぐ走ってきただけだ、とは本人の弁である。
 ホテル前の道路際に目澤と塩野、そしてもう一人、女性の姿。疑問に思う暇など無い、相田は彼等の真横に車を停めた。三人が乗り込んだのを確認して即発進する。

「中川路の位置は?」
「このまま直進、街の外れの方です。作りかけのまま放ったらかしにされてる道路あるでしょう、あの辺り。早い段階で動きは止まってました」

 説明しながら、網屋はタブレットを後部座席へ渡した。覗きこむ目澤と塩野の眉根が寄る。

「あれ、なんだっけこの辺、えっと」
「医院か何かがなかったか。そこそこ大きな」

 いまいち思い出せない二人に、もう一人の女性が解答を与える。

「馬場医院ですね。先々月に潰れて、今は無人です」
「おおっ、さっすが川路ちゃんの情報源。打てば響くね!」

 笑顔で親指を立てる塩野。思わず「ありがとうございます」と返す女性。そんな彼等に、網屋は体ごと振り向いて問う。

「あの、そちらの方は……」
「すみません、名乗るのが遅れました。藤田ゆうき、と申します」
「アレよ、川路ちゃんのね、今宵のデートの相手ですよォ」
「デートぉ?!」

 相田と網屋が同時に叫ぶ。ほぼ悲鳴であるが。そんな二人を放置して、塩野は容赦なく話を進める。

「よし、今のうちに話を聞こっか。襲われた場所はホテルの駐車場、だったよね」
「はい、隅の方です。隣の車から降りてきた女性に大きなレンチで殴られそうになって、中川路さんが庇ってくれて。その後、私はスタンガンで襲われました」
「相手はどんな感じだったか覚えてる?」
「ショートボブの、スーツを着た女性でした。多分三十代……二十代ではないと思いますが、私の主観なので……」
「いいよ、そのまま続けて」
「ええと、綺麗な人でした。暴力を振るう感じには見えない、というか」
「上品系、つーかいわゆるコンサバ系?」
「そうです。腕力がある人じゃないみたいで、中川路さんや私を運ぶときも苦労していました」
「ふうむ」

 塩野は腕を組んだ。しばし考えると、今度は問い掛けの相手を変える。

「網屋君、君はどう見る。素人、玄人」
「明らかに素人ですね。ずさんな点が多すぎます。ドシロウトだ」
「そっか。んじゃ、これ、痴情のもつれだね」
「痴情?!」

 今度はもう完全に悲鳴であった。相田と網屋は互いに顔を見合わせて「痴情?」「ちじょう?」とうわ言のように繰り返す。
 だが、塩野の顔は険しくなる一方だ。

「でも、ただの痴情のもつれにしちゃ、妙だ」
「え、俺ぜんぜんワカンナイです」
「川路ちゃん憎し、藤田さん憎し、であったなら、なんでもっと確実に殺そうとしないのさ」

 網屋の顔付きが変化する。痴情云々ではなく、殺すか殺さないかという方法論であれば彼にも理解が及ぶからだ。

「確かに、殺す気なら刃物くらい持ち出しますよね」
「うん。コンサバ系三十代でも包丁くらいは持ってるだろうし、持ってなかったとしてもさ、スタンガン用意してんだよ? だったら刃物だって用意できるでしょ。要するに、殺意は無いんだ。最初っから」

 塩野の言葉に、何か気付いたような藤田の顔。それを見逃さない塩野。

「ん? 何か心当たり、あるかな」
「あの、スタンガンを使われた時なんですが、『使う相手が違うけど』って女性から言われました。それって、中川路さんに対してスタンガンを使う予定だった……ってこと、ですよね」
「なーる……やっぱ殺す気はナシ、か。じゃあさ、川路ちゃんをさらうってだけなら、どうして川路ちゃんが一人でいる時にやらないのか。目撃者なんていない方が良いに決まってるっしょ」
「時間がない、ってやつかな」

 網屋の即答。首をひねりながらではあるが。

「高飛びするので慌ててた、とか、取り引きの時間に間に合わない、とか。そういう時は目撃者なんて気にしちゃいられませんからね」

 ニューヨークで賞金稼ぎをしていた頃の経験に則った意見である。塩野はうんうんと何度も頷いた。

「そう、それね。僕が一番引っかかってんのはそこ。相手は明らかに慌ててる。手段も時間も選んでいられない位に。それでも、川路ちゃんは生け捕りにする。ねえ目澤っち、このパターンってさあ」
「中川路を売ろうとしている。そういう事だな」

 話について行けない藤田は、困惑顔で会話を聞くしかない。不安げな彼女の頭を、まるで子供をあやすように撫でて、それでも塩野は遠慮なく言葉を紡ぐ。

「これ、厄介な案件だよ。こっちの事情と川路ちゃんの個人的な事情、多分両方とも絡んでる。急がないとマズイかも」

 返事もせず、相田はアクセルを踏み込んだ。五人を乗せた車は夜の道を斬り裂くように走る。
 藤田は膝の上で拳を握りしめた。今はただ、無事を祈るしか無いのだ。


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恵みの雨に喜んだカエルは、三日三晩踊り続けたという。 頂いたサポートは主に創作活動の糧となります。ありがとうありがとう。