11-9
やけに長い夏季休業を終えて、久々に足を踏み入れたキャンパスはまだ夏の暑さが残っている。
椿はまず、教室に入ると相田の姿を探した。似たような状態の佐伯と目が合い、互いに肩を竦める。
「いた?」
「いないな。仕方ねえ、明日探そう。お、ヨネやん」
あるのか無いのか分からない表情で入ってくる豪徳寺。席に座ると、片手を軽く上げるだけの挨拶。
「どうだった夏休み。遊んだ?」
「会社の手伝いをしていた」
「ヨネやんがエンジョイアンドエキサイティングしたならいいか。俺らはまあ、レースレースでした」
「よく頑張っていたな。見ていたぞ」
椿だけは腑に落ちない顔付きをしている。己の状態やレースの結果に納得がいかないのだろう。
「ああそうだヨネやん、相田雅之って人、知ってる?」
「知っている。同学年の同学部だろう。あと、元レーサー」
「そこまで知ってりゃ上等。その人がさ、自動車部の競技に出てるの観てさ」
「自動車部……」
豪徳寺の表情がごくわずかに曇ったのを、佐伯は見逃さない。
「どした、ヨネやん。何かあったか」
「……いや……」
「いいって、何か引っかかったんだろ。どんなことでもいいから話して」
「うーん……春に、そこの廊下で、土下座されていたな、というのを思い出して」
「はァ?!」
素っ頓狂な声を上げる佐伯と椿。
「誰が?」
「相田さん」
「誰に?」
「高橋さん」
「……誰?」
豪徳寺が手で指し示す方向にいたのは、どこかで見覚えのある青年。
「あちらが高橋さん」
「ああ、ホラあれだよ佐伯、あの時すごい勢いで絡んできた人だ」
「……っあー、思い出した」
教授が顔を出して、無駄口はそこで終わる。だが、小さい声で椿が「後で土下座とやらの話、聞かせてもらうから」と吐き捨てたので、豪徳寺は小さく身震いしたのだった。
で、案の定、その日の「健全な学生達による健全なサークル活動」なんてものは吹っ飛んで、ガレージという閉鎖空間で豪徳寺への尋問が始まるのだ。
豪徳寺は見たままを話し、マシンガンのように絶え間なく繰り出される質問というか尋問を一つ一つこなし、時折上がる奇声をいなし、なだめ、抑え、元来ならばもっと短い時間で説明できたはずの内容を一時間掛けて語った。
何が恐ろしいかと言うと、語れば語るほど険しくなってゆく二名の顔付きだ。椿の方は悪鬼羅刹とでも表現すべき憤怒の表情であったし、佐伯に至っては何かを通り越して無表情になっている。
椿の口から、驚く程低い声が漏れる。
「ヨネやん」
「はい、なんでしょうか」
何故か敬語が飛び出す豪徳寺。
「どうして、見た時すぐに言わなかった」
「いなかったから。レースで」
二人は顔を見合わせ、少し間があってから同時に頭を抱えた。
「確かに……ッ……レースでした、真っ最中でしたよ移動中だよ!」
「第四戦だよなあ、そりゃいないわ! いるわけないわ!」
そしてなにより、今更どうのこうの言ったってどうにもならないという事実。時間を巻き戻せるわけで無し、何が起こったかを把握するのが関の山だ。
「それにしても、土下座? えげつねえな高橋って奴は」
「高橋さんはそれ以来、周辺から土下座クンと呼ばれている」
豪徳寺があまりにもさらりと言ってのけたので、佐伯は飲みかけたコーヒーを間欠泉の如く噴出しそうになって無理矢理に堪え、コーヒーが鼻の奥に上がってきてむせる。
「ど、土下座クン! ヤバイなその響き! 土下座クンて!!」
椿が腹を抱えて笑い転げる中、爆笑の隙間に混ざる誰かの声。
「あのー……すみませーん」
開け放したままのシャッター。その隅に、噂の当人である相田が折りたたんだタオルを持って立っていた。目が合うと、深々と頭を下げる。
「いつぞやはお世話になりました」
「あーもう堅苦しいのはいいからって言ったでしょ。こっちこっち」
恐る恐る足を踏み入れる相田。豪徳寺が慌ててパイプ椅子を用意する。
「タオル、借りたままだったので返しにきました」
珠姫が持ってきた克騎のタオル。正直、その存在自体を椿も佐伯もすっかり忘れていた。多分、珠姫と克騎自身もだ。それをご丁寧に洗って返しに来た辺り、相田という人間の性格が垣間見える。
「敬語はいらん」
「は、はい」
「とりあえず座れ」
「はい」
椿の命ずるままに従う相田。受け取ったタオルは会議机の上に放置して、その代わりにコーヒーを一杯。
「あの後、大丈夫だった?」
「うん。家帰って爆睡した」
「今日はどうしたの」
「ちょっと、バイト先で緊急のヘルプ頼まれて」
勿論、顔を出しづらいという心理もあったのだろう。これ以上の追求は野暮というものだ。
椿の悪い所は、前置きをすっ飛ばすという点に尽きる。しかも故意的であったりするから質が悪い。説明ができない訳ではないのだ。
この日もご多分に漏れず、この悪癖が炸裂した。
「あのさ、ここのサークル入れ」
前置き一切無し。相田は椿の顔をまじまじと眺めて、それから佐伯と豪徳寺に疑問の視線をぶつけるが救いの手は差し伸べられない。
「実際さ、自動車部に正式所属してるの?」
「いや、してない。ヘルプ要員として顔出してただけだから」
「よし、じゃあ問題無いな。ヨネやん、説明」
「……モータースポーツ同好会は、自動車、バイクなどの愛好者の親睦を深めることを目的とし、日々活動を行っております。各個人所有の車両メンテナンス、塗装、ツーリング、廃車を買い取ってのリペアなど。卒業後はうちの会社に入ってくれると嬉しい」
「最後の一文は聞き流せ」
豪徳寺から悲しみの気配がわずかに発せられる。気付く相田だったが、椿も佐伯も首を横に振るものだから黙るしか無い。
「どうよ、まあひたすら車とバイクいじくってるだけだけど。どうよ」
「確かに、楽しそうだね、それ」
「言質取ったぞ! 二人共聞いたか?」
「聞いた! 録音してやった!」
操作済みであったスマートフォンを取り出す佐伯。画面には「録音中」の文字が。
「よし! これで自動車部に喧嘩売りに行けるな!」
「その前に書類書かせろ、書類。確定してしまえ」
息を吸って吐くような気軽さで紙とペンを渡され、それがサークル入会届であることに気付く相田。豪徳寺に助けを求めようかと思ったが、無言で頷くだけなので全く役に立たない。
「はよう! 書く!」
「はい!」
「書いたら自動車部行くぞ! 三行半を叩きつけてやるのだ!」
「はい!……え?」
恵みの雨に喜んだカエルは、三日三晩踊り続けたという。 頂いたサポートは主に創作活動の糧となります。ありがとうありがとう。