ヘッダ二章

個人情報保護方針 14)「たまには兄弟喧嘩も良いものです。」

 みどりの警告は既に飛んでいた。その部屋に、発信源は居る。シェパード01のメンバーは無言で目配せし、先程までと変わらぬ調子で突入した。

 中は何もない、そんな印象の部屋だ。ただ、ぽつんと椅子があった。椅子の上には伯が居た。そして横に、伯と同じ顔立ちの少年が居た。

「伯!」

 二郎は今度こそ名を呼んだ。紛れもなく、椅子に括りつけられていたのは伯であったからだ。顔中に痣を作り、鼻と口から血を流して。それでも、彼の目には光が宿っていた。決して屈しない光だ。視線だけが動いて、二郎達を確認する。安堵の色が光に混ざる。

「……お前ら、下手なことしてみろ。こいつを殺すぞ」

 そして真横に立つ、伯と同じ顔をした少年。彼の手には銃があり、銃口は伯の側頭部に突き付けられている。シェパード01の三人はそんな様を眉ひとつ動かさずに見つめた。

「おとなしくしてろよ……分かってるだろうな」

 彼は本当に伯を殺すだろう、しかも簡単に。そのような行為など手慣れているのが、彼の態度から分かる。だが、銃口を突きつけられている伯も、見つめる三人も、凪いだように酷く静かだった。
 三人が視線を交わす。二郎がひとつ頷き、一歩前に出た。

「少し、真似事をしてみようかな」

 小さく呟いたのは、一種の警告であったのかもしれない。二郎の冷めきった視線が伯と同じ顔の少年にぶつけられ、少年は一瞬怯んだ。

「……おい、おとなしく」
「外の状況を知っていて、お前はここに居たのか」
「え」
「悠長にここで、伯に八つ当たりしながら、僕達が突入するまで無駄な時間を過ごしていたのかい、と聞いているんだ」

 冷めた視線の色が変化する。嘲りの色へと。比較的穏やかな物腰の二郎にしては、随分と珍しいことであった。が、そのようなことなどこの少年は知りようもない。

「何を言って」
「そうだろう? ここで伯を詰って傷付けても、事態の好転には繋がらない。ただの八つ当たりだよ」

 昔。随分と昔の話だ。命を奪うしかできない兄妹がいた。そうやって己の命を繋いできた子供達だ。二郎は彼等に生き方を教えた。手を取って歩くことを教えた。その時の苦労に比べれば、こんな子供をあしらうなど簡単なことだ。よもや、わがまま放題の現代っ子など。
 それに、二郎はかつて世話になった医師の薫陶を立派に受け継いでいた。みどりの伴侶であった男だ。彼は常々こう言っていた。『俺は、救う命を選り好みする』と。『救いたい奴だけを救う。その邪魔をする奴はどうなっても知らん』と。邪魔をする奴等がどうなったかは、看護師兼護衛として彼の側に居たみどりを見れば分かろうというものだ。
 だから、伯の命を脅かしている少年を全力で煽り、彼の判断力を鈍らせることに何の躊躇いもなかった。救うべきは一人。それ以外は、排除対象。

「お前は一体何を教わって生きてきたんだ? 伯とは比べ物にならない程の愚かさだな」
「テメェっ、言わせておけば……!」
「図星だったようだね。ホラ、その証拠に」

 一挙に距離を詰める。少年の呼吸すら分かるほどの近さ。銃を持つ彼の右手を掴み、捻り上げる。あまりにあっけなく銃は彼の手から離れた。

「こんなにも隙だらけだ。だろう?」

 床に落ちた銃を禅が拾い上げ、ロープで拘束された伯を貴士が開放する。状況はあっという間に逆転する。少年の青い顔。藻掻くことすら忘れ、己の手を掴む男の恐ろしさをそれこそ皮膚で感じているのだ。逃れられない。その、圧倒的な実力差。

「質問をしてもいいかい?」
「……」
「どうして、伯をすぐに殺さなかった」
「実力を見せつけてやりたかったからだ」
「誰に対して?」
「十傑の連中だよ。ここの幹部だ。俺の実力を認めないクソジジイ共に見せつけるためには、あいつらの目の前でこいつをぶっ殺してやらなきゃ駄目だろ」
「……そうか」

 びくともしなかった拘束が緩む。驚きつつもすぐさま逃れた少年は、二郎から距離を取った。訝しむ視線。

「君は、伯の兄弟か」
「ああ」
「名前は?」
「……荒城、叔」

 名前自体にすら憎しみが篭っていた。忌々しげな顔。そんな彼の顔を穴が空くほどじっと見つめた二郎は、視線を動かさぬまま呼び掛けた。

「伯、兄弟喧嘩をしたことはあるか」
「……いいえ、ありません」
「そうか。なら、今からしてみるか?」

 伯も、叔も、それこそ狐にでもつままれたような顔で二郎を見る。二郎は薄く笑っていた。

「持ってきておいた。これ」

 レッグホルスターから取り出して見せたのは、伯が好んで使う拳銃だった。使い慣れた彼の武器を、二郎はわざわざ持参していたのだ。状況から考えればただの荷物にしか過ぎない。そんなものを持ってくるくらいなら、ひとつでも自分の物を選んだ方が良いだろう。だが、二郎はそれをしなかった。伯の得物を持ってくるという選択をした。それは何故か。
 答えは単純だ。伯の救出に一切の疑問を抱いていないからだ。

 伯に弾倉をあと二つ渡すと、二郎は禅に無言で促す。禅もひとつ頷いて、拾った銃を叔に渡した。

「最初で最後の兄弟喧嘩だ。思う存分にやるといいさ」

 二郎たち三人は壁際まで下がり、貴士などに至っては腕組みまでして、静観の構えである。叔は戸惑いながら、伯は切れた口の中から血を吐き出して、少し離れてから相対する。
 この異様な状況の中、それでも先に動いたのは叔であった。まっすぐに伯へと銃口を向ける。ほぼ同時に伯も。同時であるが故に、互いにそれ以上何もできない。

「ハハッ、こいつらもバカだな。お前が死んでもいいってよ」
「……違うよ、叔。この人達は、僕のことを信じてくれているんだ」

 互いに一歩踏み出す。距離が近付く。

「信じる、だァ? ふざけんな。お前、こいつらンとこに行ってどんだけ経ってるっつうんだよ。信じるとか訳分かんねぇ。利用されてるだけだろ?」
「そうか、君はそう思ったのか……だから、小百合さんのところに来なかったんだね」
「俺はなぁ、テメェの、そのなんでも分かってますみてぇな態度が前から気に食わなかったんだよ!」

 叔が数歩近付いて、二人の距離は縮まった。

「テメェに俺の何が分かる! 実際はなんにも分かっちゃいねぇくせによ」
「……叔」
「俺はな、伯が思ってるようないい子じゃねえ! 違うんだよ、全部違うんだ! テメェみてぇになんでもかんでもホイホイできてそつなくこなすような人間じゃねぇし、テメェが思ってるようなお優しい人間でもねえ! すっと前からテメェが憎くて、殺したくて殺したくて堪らなかったような人間なんだ! それをテメェが呑気に、いい子だ何だと余計なことばっかり言いやがって」

 トリガーに掛けた指に力がこもる。

「今こうやって、テメェを堂々と殺すことができて、嬉しくてしょうがねぇんだ。ずっとこの瞬間を望んでた。テメェ殺して、俺が信忠になる。いや、俺が信長になるんだ。俺こそが、信長に相応しい人間なんだ!」
「だったら、そう言ってくれれば、僕は喜んで信忠の名前を……」
「テメェに譲ってもらって、ハイそうですかって受け取れるか! それに、あのクソジジイどもが首を縦に振らねえ。テメェに『伯』って名前つけるくらいだからな」

 伯という名。彼等四人の兄弟は上から順に伯、仲、叔、季と名付けられた。中国語における順番を示す漢字は、その名の通り優劣順に付けられたものだった。

「季は俺が半殺しにしてやった。仲の野郎は変態どもに押し付けた。あとはテメェだけだ。テメェさえいなければいいんだ」
「君が……君が、季を……?」
「ああ、そうだよ。ギリギリ生きてる程度にはとどめてやったさ」
「そうなったら何をされるか、分からない訳じゃないだろう!」
「分かっててやったんだよ。おかげさまで、季の肺はここにある」

 自分の胸部を指で叩いて、叔は笑う。

「俺のクソみてぇな肺を、季の肺と取り替えたくて、やったんだよ」
「叔……!」
「そうだ、怒れ。もっときたねぇツラになれよ。テメェがくたばる前に、みっともねえツラぁ見せろや!」

 さらに歩み寄る叔。銃口はもう顔の目の前にまでやってきている。だがそれは、真っ直ぐ構えている伯も同じことで、お互いの銃口はお互いの顔の、同じところに同じ高さで保持されたままだ。
 同じ顔。同じ背格好。なのに、二人はこんなにも違う。

「季だけじゃねえ、仲もだ。ホントはな、俺があの変態ジジイどもに差し出されそうになったんだ。俺の方が劣ってるからってよ。で、仲に泣きつくフリをしたらあの野郎、あっさり代わってくれたよ! どんだけ頭弱いんだアイツ。どんな目に遭うか分からねぇわけじゃなかろうに」

 壁に寄りかかって腕組みしていた貴士が、その言葉にかすかに反応した。じろりと叔の顔を見つめたが、視線を受けた方は気付きもしなかった。

「ヘッ、今更そんなツラしたってどうしようもねえだろ。気付かなかったのはテメェだ。何で分からなかったか、俺が教えてやるよ。それはな、テメェが、誰にでも平等に接するとかいう態度取って、結局は誰のことも見てなかったからだ!」

 伯はますます言葉を失って、叔の呪詛にも似た告白を聞き続ける。真正面から見ている伯には分かる。叔の歓喜に歪む笑顔の中に、少しだけ悲哀が混ざっていることを。

「見ちゃいねぇんだ。俺の憎しみも、仲や季のことも! 優秀なテメェなら分かるはずだろ? なのにどうだ、このザマだぜ。何が最も優秀な個体だ、上手いこと立ち回ってる俺の方が余程優秀だぞ? 俺のことなんて何にも分かってねえテメェなんかよりも! 遥かに!」

 もう言葉はほぼ悲鳴と化して、ひたすらに伯へと叩き付けられる。

「こっちがこれだけ憎んでるってのに、テメェはニコニコしてよお、気持ち悪いったらありゃしねぇんだよ! ふざけんな! 優秀だってんなら分かれよ! 俺の考えてることくらい、分かれよ! それとも何だ、分かっててあんな態度取ってたっていうのか? だとしたら相当のクソ野郎だなテメェは!」
「叔、僕は……」
「俺は! テメェが気に食わねえ! その態度、俺と同じツラ、お前ばかりが評価されるこの世界、全部が! 気に食わねぇんだよ! だからテメェをぶっ殺して、全部作り変えてやる! 俺を正当に認める世界に、正しい姿にしてやろうってんだ、テメェは黙ってそれに従え! それが! 正しい姿なんだ!」

 トリガーを引こうとした叔は気付いていただろうか。自身の眼から、幾筋もの涙が零れ落ちていたことを。
 銃把を握る手に、改めて力が入るのを、伯は見逃さなかった。見逃すことがないように何年も訓練してきたのだから、当然といえば当然であった。
 己の銃を手放した。黒い銃は重力に引かれて落ちる。間髪入れず、身を左下へ僅かに屈め射線から逸れる。右手で叔の右手首を外側から掴み、捻る。同時に背後へと回り込み、左手で後ろから顎を掴んで床へと引きずり倒した。右手首を更に捻り脇に挟んで固定、銃を奪う。床に仰向けに倒れた叔の頭を踏みつけ、逃れないように固定する。
 そして、叔の胸郭に銃口を向け、二回、トリガーを引いた。この間、わずか二秒弱。

「……叔」

 ぽろりと、伯の目から涙が一筋こぼれる。

「僕もね、君のことが、大っ嫌いだったよ」

 せめてもの手向け。伯は、誰にも届かない嘘をついた。伯と叔が使う銃は、同じものだった。



 施設内にいた十鬼懸組の人間は殆ど死んだ。みどりからの報告を聞いて、それでも伯は「やらなければならないことがある」と言い出した。

「まだ、一人います」
「ひとり?」
「はい。この施設、療養所であった建物が未だに残されている、最大の理由とも言えます」

 シェパード01の三人を率いて向かう先は、母屋三階の端にある部屋だった。酷く厳重に守られている扉。伯が掌をかざし、指紋認証と静脈認証をクリア。その後に虹彩認証も行い、ようやっと扉が開く。

 扉の奥は、病室になっていた。一人の老人が医療用ベッドに横たわっている。ありとあらゆる延命処理を施され、まるで機械の一部にでもなってしまったかのような印象。心臓の鼓動を示す機械音が、一定のペースで老人の命を告げている。強制的に送り込まれる酸素。生きているのではなく、生かされている。

「十鬼懸組幹部・十傑。その中で最も巨大な権力を握るのが、この『信長』です。十鬼懸組を現在の形にまとめ上げた功労者。元を正せば、十鬼懸組の前身である組織の組長でした。あと……」

 伯の言葉は、ただひたすらに簡素だ。

「遺伝子上の、僕の父親でもあります」

 言葉に含まれる、彼の過去。彼の心理。それら全てを推し量ることは、誰にもできない。ただ、分かる範囲での理解を示し、今は黙って彼の行動を見守るしか無いのだ。
 伯は、装置の電源を次々に切ってゆく。動作を知らせる小さなライトが、ひとつひとつ、消えてゆく。丁寧にコンセントまで抜いて、ようやく彼は立ち上がった。

「お父さん。僕は、『信長』にはなりません。僕の名前は『荒城伯』。信忠じゃない。信長でもない。僕の名前は、伯です」

 一度も、名前なんて、呼んでもらったことはないけれど。心の中だけでそう呟いて、伯はスライドの中の銃弾を確認する。もうそれは癖になっていて、迷いなく銃口を父たる男に向けた。
 トリガープルを二回。頭部へも。白いベッドにじんわりと、赤い血が滲んでゆく。

「……終わりました。すみません、お待たせしてしまって」

 薄く笑って振り向く伯の気持ちを、誰も分かることなどできない。だが、手を取ることはできる。二郎は手を伸ばした。あの時届かなかった腕を。

「帰るか」
「はい」

 華奢な白い手が、二郎の手をしっかりと掴む。そこには確かに、生きている者の暖かさと感触があった。


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恵みの雨に喜んだカエルは、三日三晩踊り続けたという。 頂いたサポートは主に創作活動の糧となります。ありがとうありがとう。