ヘッダ二章

個人情報保護方針 15)「今日も一日頑張りましょう。」

「はい、おはようございます」
「おはようございます!」
「ざいまーす」
「うーぃ」
「ねむい」
「虚無虚無プリン」
「なんですかその挨拶は! 朝ですよ? もっとシャキッとしなさい!」
「禅ちゃんうるさーい」
「うるさいとは失敬な! 僕はですね、ごく一般的な指摘をしただけであって」

 今朝も相変わらず、日々谷警備保障の本社事務所はやかましい。数日前の十鬼懸組旧本部襲撃がまるで嘘のように。

 あの後、一部の社員を除いて業務は休みとなった。中には数日間の有給をもぎ取った者もいる。であるため、全員が顔を揃えるのは久しぶりだ。

「いーい、朝礼を始めるわよー?」
「ぅーぃ」
「ぁぃ」
「ィェァ」
「ぇぃゃ」
「皆さん! 朝礼を! 何だと! 思って! いるのですかぁあ!」
「禅ちゃーん、うるっさぁーい」
「うるさくする原因がいるのだから仕方ないでしょう!」

 いつも通りに禅が朝から怒鳴りまくり、大半の社員が寝ぼけ眼をこすって薄ぼんやりした返事をし、また他の社員は場を引っ掻き回して、実にやかましい。
 そんな中、伯の姿もあった。未だ顔の痣や傷は癒えていないが、それでも随分と良くなった方だ。相変わらずの馬鹿をやっている社員達を見て、くすくすと笑っている。

「禅くん、今日の予定は?」
「浅草支社に代わってもらった業務の幾つかを確認、それ以外は元来のスケジュール通りです。浅草支社からの業務代替は本日午後二時に打ち合わせを行います」
「浅草支社の代替業務ということは、あそこだろ? 俺行きたい」
「千鶴くんは駄目」

 勢い良く手を挙げた千鶴だったが、社長にピシャリと言われて口をつぐむ。

「あのねえ、千鶴くん、こないだ夜陰流の月照支部の外壁登って窓から侵入したでしょう? 有澤先生から抗議のメール来たわよ」
「あれは、まあ……入ってはいけないと言われて、気になって」
「気になったからって外壁を八階までよじ登って窓ブチ壊して侵入しちゃ駄目」
「そうか……」

 少ししょんぼりする千鶴の横で、禅が白目を剥いている。

「……な……何ですかその話は! 聞いていませんよ!」
「あ、うん、禅くんが聞いたら白目剥くと思って。だから言わなかったのよね」
「やっぱり白目剥いたねぇ、ドハハハハハ」

 ゲラゲラ笑いながらみどりが白目を剥いた禅を撮影。マッハの速さでグループ送信。情けも容赦もない。

「ちょ、ちょっと、やめて、みどりさんやめて下さい! なんで撮るんですかぁ!」
「面白いから」
「……そんな理由で!」

 もう禅は気絶寸前。送信された写真のあまりの酷さに、社員達の目も覚める。

「これすっげえ、よくこんな瞬間とらえるよな」
「今回は傑作撮れたと思う。禅くんフォルダちょううるおう」
「潤うわー。俺も作ってるもん禅ちゃんフォルダ」
「俺もー」

 ついに眼鏡を外し、顔を覆ってふさぎ込む禅。大丈夫ですか、と心配してくれるのは伯だけで、他は誰もフォローしてくれない。真面目な人間に優しくないブラック企業だ。

「……まあ……禅くんに限らず全社員のフォルダあるんだけどさ……」
「みどり姐さん、今、何とおっしゃった?」
「ハッハ気にするな、ハッハ。男は細かいことを気にしちゃあいけねえよ」

 眉根を寄せて問う鉄男の背中を力一杯叩いて誤魔化すみどり。ますますカオスになる事務所。そこへ、何者かがドアをノック。予定されていた来客であったようで、社長が「どうぞ」と声を掛けた。

「元気ですねえ、いっつも」

 半ば呆れた声と共に入ってきたのは、刑事の六平だった。相変わらずのだらけたような格好。皺だらけのスーツに緩んだネクタイ。

「おっ、待ってたわよ信ちゃん。ハイ、みんなお仕事始めて頂戴!」

 社長が手を叩くと、のそのそと動き始める。
 本日の通常業務は無い禅と二郎、そして社長とみどりが六平を取り囲むように集まり、彼等の顔付きに僅か、緊張が走った。

「どう、信ちゃん」
「皆さんお待ちかねの情報ですがね、行方不明です」

 まず結論から述べた六平は、眉根を寄せた日々谷の連中の反応を驚きもせず受け止めた。

「仙石寺常夜(せんごくじつねや)の遺体は発見できなかった。どこにもありゃしませんでしたよ。こいつでしょう?」

 持参したファイルから取り出したのは、仙石寺大付属高校理事長の写真。四人が黙って頷くと、六平は写真を社長のデスクに置いた。

「出血の痕跡はありました。ゲソ痕も途中までは。学校の敷地内までは良かったんですけどね、そっから先はドロンですよ」
「ってことは」
「生きている可能性が高い、と」
「そういうこと」

 ファイルは中身ごと禅に渡し、六平は煙草を咥える。火を付ける彼を真正面から見据えて、みどりが口を開いた。

「現場に太刀はあった?」
「太刀? いいや、それもナシ。……ああそうか、あの殺傷痕は太刀なのか」
「……そっか。はいよ、把握した。あんがとね」
「いえいえ。代償はいつぞや食わせてもらった蓮根のキンピラでいいですよ」
「でっけえタッパーいっぱいに作ってやるから覚悟しておけ」

 笑いつつ、みどりは二郎に目配せした。二郎もひとつ頷いて返し、無言のうちに終わる。

「一応、十鬼懸組の方は内部抗争ってことで処理しました。高校の方は、ほら、ちょっと前に都内の高校で襲撃事件あったでしょう、あれの模倣犯ってことでカタがつきそうです」
「結構力技で行ったわね」
「こっちもその方が色々とね、やりやすいんですよ。寒田さんなら分かるでしょ」
「まあ、分かりたくはありませんが理解はできます」

 憮然とした表情で眼鏡の位置を直しながら禅が生真面目に言うものだから、なんだか笑いが出てきてしまう。「ふふ」と社長が吹き出して、禅だけが一人で大慌てだ。

「な、何ですか皆さん、可笑しいことなど言ったおぼえはありませんよ?」
「いやあ、ごめんなさいね禅くん、なんだかこう、いかにも典型的な眼鏡真面目キャラだなぁーって思って……ふっふふ」
「えぇ……?」
「いいことなんじゃないか? その、眼鏡がよく似合うってことで……」
「二郎さんまで何を言っているのですか!」

 やいのやいのと禅が吠え始めた所で六平は退場した。禅の手からファイルを奪い取った二郎が勝手に中身を確かめながら、ぽつりと漏らす。

「……社長、この『竜馬』はどうする?」
「一応、元・十鬼懸組幹部ではあるよね」

 二郎の言葉を追うように、みどりが呟く。

「でも、随分昔の話でしょう? 二十年も前に足抜けしてるんなら、ノーカウントよ」

 その答えを半ば予測していた二人は、それでも安堵の息をついた。

「お二人とも、見逃してやってほしいなら最初からそうと言えばいいでしょうに」
「禅くーん、そういうとこだぞー」
「へ?」
「うさぴょんもそう思う」
「は?」

 今度は二人揃って「ねー?」なんて言い出すものだから、やはり禅ばかりが置いてけぼりだ。社長は他人事のようにそれを見て笑っている。

「そうだシャッチョ、ついでに聞いとくけどさ、伯くんはどうする? 一応まあ、あそこの幹部候補だったでしょ」

 こちらについても答えは分かっているので、みどりはごく軽い調子で尋ねる。だが、答えを返したのは社長ではなく禅であった。

「伯くんは貴重な真人間の社員ですよ? 社長が駄目と言っても、この僕が死守します」
「そっちが来たか! 伯くんにも苦労を押し付けて、禅くんの胃に穴が空くのを先延ばししようって訳だな把握した」
「それではまるで僕が悪者ではないですか!」
「悪者じゃーん。だって伯くん、労働基準法に引っ掛かる年齢でしょー子供を労働させるなんてひどいにんげんだー! いたいけなじゅうさ……」
「黙らっしゃいみどりさん、十九よ」
「おっとここで社長参戦」

 やはりどうしても、こんな調子になってしまうのだ。どんなに真面目な話をしていても、最終的には緊張感など跡形もなくなってしまう。自分がここに入社したときからそうだったな、と二郎はぼんやり思い出す。
 正社員一号だった自分と、社長とみどり。合計たったの三人。あれよあれよと社員が増え、真っ当な事務所なんて構え、気が付いたらもうこんなところにまで来ている。

 まるで夢のようだ。まどろみの中に垣間見る、淡い夢。目が覚めたらきっとそこはあの戦場で、じりじりと強烈な日差しに灼かれて、一人で立っているのだろう。
 自分の人生の中から見れば今はごく短い、それこそ一瞬にしか過ぎない。だが。

「二郎さん!」

 自分の名を呼ぶ声が聞こえて、振り向くというより見下ろせば、伯がそこにいた。

「あの、先日教えてもらったところなんですが、もう一度いいですか」
「……ああ。何度だって教えてやる」

 夢であったとしても構わない。それならそれで、出来る限りのことをするさ。
 伯の柔らかい髪を些か乱暴に撫で回して、二郎は笑った。

 これは、この感情だけは、夢ではない。

                      『個人情報保護方針』 終


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恵みの雨に喜んだカエルは、三日三晩踊り続けたという。 頂いたサポートは主に創作活動の糧となります。ありがとうありがとう。