ヘッダ二章

個人情報保護方針 13)「計画を練るのは楽しいですね。」

 金庫に、一人の男がいた。通帳、証券、権利書、現金、資産の類になるもの全てを大きなトランクケースに詰め込めるだけ詰め込んで、形相は必死。
 彼の呼び名を秀吉という。彼は誰よりも金銭の嗅覚に優れていた。組を大きくするための資金繰りは彼の功績が多大に働いている。で、あるが故に。今のこの瞬間、どれを持ち出せばいいのかもよく分かっていた。
 彼は焦っていた。もっと早く動くべきだったと悔いるがもう遅い。ならば、今からでもいい、可能な限りの資産を持ち出してここから逃げ出すべきだ。資産があれば後からどうとでもできる。なんとでもなる。資金はいくらでも増やせるし、それにともなって手駒も増やせるだろう。どうにでもなる。大丈夫だ。できる。
 引き出しから印鑑を見つけ、全て掴んでケースに放り込む。時間がない。気付かれてはどうしようもない。急げ、急げ!

 焦る頭に突然滑り込む、扉を開ける音。冷水を掛けられたようになって顔を上げると、見慣れた姿をそこに見つけた。

「ああ、なんだ、信玄か。手伝ってくれ、そこの棚の誓約書、全部入れておいてくれないか」

 しかし信玄は従わない。指示された棚を無視し、つかつかと秀吉のもとにまで早足に歩み寄った。

「こちらは私がやるから……」

 訝しむ秀吉の声も、口腔に捩じ込まれた銃身が塞いでしまう。驚愕する秀吉。見開かれた瞳孔。

「はい、お疲れさん」

 笑顔のまま、信玄はトリガーを引いた。あっさりと秀吉の命は失われ、一つの死体が出来上がった。邪魔になった死体を蹴り飛ばし、信玄は秀吉がまとめていた荷物を一瞥した。

「いやほんと、ご苦労さんだこと。いい具合にまとめてくれたじゃないか」

 トランクを閉じ、先程指示された誓約書もまとめて側にあったファイルに入れる。ざっと見渡して他に重要なものがないかどうか確認すると、信玄は金庫を後にした。

 この時を待っていたのだ。ずっと。十人も寄り集まって雁首揃えて仲良しごっこなど馬鹿馬鹿しい。機会さえあれば他の連中をすべて出し抜き、この組を掌握したい。出来る限り楽に。
 安泰が続くと信じぼんやり活動していたこの組の連中を騙すことなど容易だった。ただじっと待っているだけで良かった。近いうちにこんな事態になるだろうことは予測できたのだ。こんなにも肥大しきった組織など、放って置いてもいつか崩壊する。あとは要所要所に崩壊する要素を埋め込み、自分は何もしないで様子を見ているだけだった。
 以蔵の、竜馬に対する憧憬。歳三の、苛烈過ぎる意識。義経には無駄に自信を植え付けた。与一には狙撃だけに意識を集中させ、家康には組織の運営を丸投げ。武蔵と十兵衛には色を教え込み、秀吉は自ら資金繰りの悦楽へと堕ちていった。
 そして、信長を昏睡状態にしたのは他の誰でもない、信玄だ。死んでしまっては組織が混乱する。かと言って生きていては困る。信長の面倒を見るふりをして薬を投与し、目覚めないように調整する。誰も疑わなかった。呑気に全て信じてくれた。
 あの女の行動も、自分にとって有利に働いた。実に良いタイミングであったと言えよう。この偶然を感謝してもし足りない。日々谷警備保障のことなど疾うの昔に把握していた。戦力の逐次投入を行い、無駄に肥大化した末端を切り離す作業を行ったのも、奴等の動きに合わせただけだ。

 笑いを堪えることができない。上手く行った。出来過ぎだと思うくらいだ。どんなに末端を潰しても影響力は残る。幹部の一人として生き残ることさえできれば、後はどうにでもなる。いっそのこと天威組に入り込んで中から食い荒らしてやろうか。どうせあそこも同じようなものだろう。所詮は馬鹿の集団だ。
 まずは現本部に戻り、態勢を整えよう。土地資本は売ってしまっても構わないだろう。暫くの間は身を潜めていなければならないだろうから、どこか適当な国にでも飛んでのんびりしようか……

「んー、いいね海外。どこにする?」

 聞き慣れぬ男の声。ぞわりと悪寒が背筋を走る。

「俺はそうだなー、暖かいとこが良い。ニンジャ寒いとこキラーイ」
「じゃあハワイとかグアムとか」
「鉄板〜。もうちょっと目新しいとこがいいナ」
「えー、じゃあー、シリアとか」
「攻めすぎ! 落ち着けない!」

 振り向くと、そこにはいつの間にか二人の男が立っていた。

「あのねぇオジサンさあ、声出てたよ? 嬉しいのは分かるんだけど、全部口に出しちゃうのどうかと思うなぁ」
「俺はそういうの好きだよ、カワイイカワイイ。ニンジャは可愛いを応援するよ」
「あ、ずるい。俺も可愛いの好きだもん。負けらんねぇ」

 へらへらと笑いながら、呑気な世間話でもするかのように二人の男は言葉を繰り出す。聞き慣れぬ声、見慣れぬ装備。例の日々谷警備保障か。こんな早さでここまで来るとは。

「ありゃ、思ったより落ち着いてるねこの人」
「ひと味違う感じ? 格好から察するに幹部だよな」

 アサルトライフルを持った男の声色に、まるで泥のような何かを一瞬感じた。それが何かは分からない。ただ、それは恐怖に似ていた。一瞬の懸念を、信玄はすぐに忘れた。ごく一瞬であったから。それよりも、やらなければならないことがあったから。

「……日々谷警備保障、だな?」
「お、ご名答。多少は頭の働く人がいたか」

 先程の嫌な感触は何だったのだろう。それを完全に忘れるくらい、男の声は朗らかだった。心底感心しているといった風だ。

「見逃してくれ」
「シンプルに来たねぇー!」
「いいね、ニンジャ分かりやすいの好き。ニンジャは分かりやすさを推奨しているよ」
「ニンジャの許容範囲広すぎない?」

 朗らかでは、ある。だが、上滑りするような受け答え。

「一人くらい見逃しても、問題はないだろう?」
「うーん、まあそうと言えばそうだけどぉ」

 中々の反応に一瞬、気が緩みかける。だが、男の声色は一挙に変化した。

「こちらに何のメリットが有るのさ? いくら何でも一方的すぎるでしょ、まさかそんな要求をそのまま通してもらえるとは思ってないよね?」

 嘲り。男の口元は嗤いの形に歪んでいる。

「……何が欲しい?」
「言ったら要求が通るの?」
「出来得る限りの努力はする」
「うーん、そっかあ。どうしよっか、英ちゃん」
「保ちゃんに任せるよ」
「あいよ。任しとき!」

 ガッツポーズを決める、アサルトライフルの男。先端に付いている銃剣には血がべっとりと付着していて、ここまでの道程で何が起こったのか容易に分かる。

「よーし、んじゃ、何が出せるのか教えてよ」
「金、土地、権力」
「んー鉄板! 基本オブ基本。目新しいものとかないの?」
「兵隊。実験的に兵隊を一から育てている。そっちも知っているだろう? 荒城伯を始めとする連中だ」
「あー、少年兵的な?」
「そうだ。適正のある者は幹部として育成している。そのノウハウを提供できるし、育てた兵隊を差し出すこともできる」
「で、その兵隊とやらの成功例は何人いるのさ?」

 薄く張り付いた笑み。言葉に詰まる信玄。

「成功してるんなら、そいつらを引っ張り出して戦わせればいいよな? どころがどっこい、出てきたのは一人だけ。なんかもう一人いたみたいだけど、そっちは兵隊じゃないんでしょ? それにねぇ……」

 つかつかと歩み寄り、男は信玄の顔を覗き込む。

「一番の成功例だったら、もう手に入れてる」

 そっと囁くような宣告。喉の奥で笑う気配。

「幹部級、だよな? 荒城伯という個体の完成度を見るに、彼が一番優れている。他のは性質が幹部向けじゃないってとこかな。性格とか、体質とか。一つの受精卵を分割したんだかクローンでもせっせと作ったんだか知らないけど、同一の遺伝子つったって別個になった時点でもう全くの別モンだよ。クローンで静脈認証ができないってのとおんなじさ」

 ぽん、と肩を叩かれ、思わず廊下の床に座り込んでしまう。どうしても拭えない気持ち悪さが、男の声とともに信玄の体へまとわりつく。

「で、何人作ったの?」
「……四人だ」
「四人? えーと伯ちゃんと、なんかカッカしてるって子と、アレな目に合ってたとかいう子と、もう一人はどうしたの?」
「臓器提供の材料にしかならなかったさ」
「あぁー、まあね、どうしようもなけりゃそれしかないわな」

 軽い口調で同意を示す。だが、男の次に取った行動は口調とは全くかけ離れたものだった。信玄の胸倉を掴み、取り出した拳銃を口に捩じ込んだのだ。
 そこまでされて、信玄はようやく、自身で反撃なり何なりする気を削がれていたということに気付いた。武器を持っていないわけではない。それなのになぜ、自分は撃とうとしなかったのか。
 心の奥底に残っている罪悪感のようなものと、男達に対して抱く恐怖感が相俟って動けなかった。信玄が薄ぼんやりと導き出した結論はそれが限界だった。彼からすれば、その辺りが一番納得できる答えだっただろう。

「向こうの金庫で死んでた幹部。あれ、やったのアンタでしょ」

 喉の奥にまで銃が入ってきて苦しい。

「俺ねえ、そういうの大っ嫌いなの。信じ切ってる仲間を裏切る、何も分からない子供をいいように使う、自分一人だけ出し抜いてのうのうと生きる。それを当たり前みたいにやる。そういう奴に限って自分のことを正しい人間だと思ってんだ。反吐が出るね」

 わざとだ。舌の奥を抉るように下方へと押し付け、嘔吐感を煽っている。掴まれた胸倉は締め上げられ、気管が圧迫される。

「あー、何となく分かってると思うけど、俺が要求するもの言っておくね。アンタの命。どっちにしろ社命だから、それ以外にねぇのよ」

 こちらが受ける恐怖感を確認してから行動している。この事実に気付き、信玄は震えた。この場で反撃しても、もう一人の男がこちらを始末するに違いない。もう詰んでいるのだ。
 ああそうか、最初からこうなるように誘導されていたのか。彼等の喋り方も、態度も。最初から、何もかも。全て。

 信玄が懐の銃に手を伸ばすよりも早く、そして簡単に、保の指がトリガーを引いて、終わった。

「……人形のつもりで育ててた子が自我を得て外に出る、なんて鉄板っしょ。優秀に育ったなら尚更さね」

 十鬼懸組幹部、残り一名。


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恵みの雨に喜んだカエルは、三日三晩踊り続けたという。 頂いたサポートは主に創作活動の糧となります。ありがとうありがとう。