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amphibianが作りたいのは「キャラ」でも「物語」でもなく「物語が生まれる仕組み」だったのではないか、という話

amphibianです。

読み手の皆様、あなたは物語の「何」が好きで読んでいますか?
書き手の皆様、あなたは物語の「何」にこだわって書いていますか?

多数派は「キャラ」「関係性」「シチュエーション」あたりだと思うんですよ。

これらは物語と向き合うと最前面に出てくるものだし、抽出しやすいし、「自分の身に置き換えて楽しむ」遊びにおける3大要素ともいうべきもので、二次創作でよく見る「SS」なんかはこの3つの組み合わせでできてるようにも思われます。
この視点からいえば、この3つがあれば、最低限「物語」が成立しうるとさえ、言えるのかもしれません。

本題です。
こういうのに対し、amphibianは、作家として好ましくないレベルで興味を持っていない疑いが生じています。

うんこ!

私はキャラに興味がないのですか?

昔から気にはなっていました。

ギャルゲーとかを遊ぶと、大体どのヒロインも好きになるんですよね。
うん、かわいいね、いい話だね、何も問題ないね、と。
そして、クリアした端から忘れる。
プレイ中ロクに名前覚えてないことも多いです。

いち消費者だったころは、単に自分が博愛主義者だとか「良い客」だとか思ってたのですが。

ある時、大変著名な先輩クリエイター様に、

「好きなヒロインは誰なんだい?」

と問われて、返答に窮したんです。誰一人、「好きなキャラ」が思いつかなかったから。

この時はまだ、自分が「キャラに興味が無いのでは」と疑ってもみませんでした。
おれは毎度変なキャラを作り出し、最近は稀に見るサイコパスを作り出したということでお褒めいただけており、これはもうキャラで戦える才能が証明されたってことでヨシ! と調子にのっていました。

そんな時、大変著名な編集者様から、断じられました。

「きみ、自分がキャラクター得意だと思ってる? それは大いなる勘違いだよ。きみはね、キャラクターにまったく興味がないんだよ」

一週間くらい発狂しました。

しかし、発狂が落ち着くにつれ、確かにこれこそ問題の根幹ではないか、と思うようになってきたのです。

「萌え」の現場で感じる居心地の悪さ

こういうタイプのキャラが好き、とかは自分にもある。たぶん。

巨大な武器を構えた幼女(※2次元のみ)とか好きだし。
エロい行為にふける幼女(※2次元のみ)とかも好きです。
あと生体暗器で戦うサイバー修道女とかも好きです。
でも別にエロい行為にふける成年女性も好きだし、なんかこう、萌えやフェチを語るには薄っぺらいんです。執着が。

これが関係性とかシチュエーションでも話は同じです。
自分は何度か「オッサンと幼女のバディ」「詐欺師と殺人鬼のバディ」という関係性を無意識に繰り返し使っていて、これ何かあるなとは思ってるんですが、「自分の中でパターン化されてる」だけで「好きだから」ではなさそう。
シチュエーションに関しては、特に引っかかるものを思いつきもしない……
自慰シーンとか、拘束されて滅茶苦茶にくすぐられるとかは好きだけど、それはプレイ嗜好の話であって……話がちょっと違うのではないか……

ひるがえって世間には「萌え」があふれていると感じます。
「萌え」と言う言葉は廃れたかもしれないですが、キャラ、関係性、シチュエーションへの強烈な執着は普遍的に存在し、それを重視した作品は作られ続けていると思います。
でも、ハマれないのです。萌えコンテンツに。
これ萌えるでしょう? 尊いでしょう? そういったメッセージを作品から感じることはあるのですが、そのたびに変な気まずさというか、居心地の悪さを感じます。
その、萌え要素の組み合わせで出来上がった「物語」を、どう楽しめばいいか分からない。
自分はとても場違いな場所にいるのではないか?

これおそらく単純ではなく、高度な文脈を理解できたというワンダーとか、他人よりこのキャラに入れ込んでいると表明して得られる社会的満足感とか、「執着」以外にもいろんな感情が介在してると思います。
が、ひとまず単純に考えてみました。
自分は「萌え」を栄養にできるタイプではない。
ゆえにキャラやら何やらに興味がないのかもしれない。

では、代わりに何にこだわり、何をもとめて物語に取り組んできた?

しばらく自分の人生を内省していると、思いつきました。
キーワードは「TRPG」です。

TRPG (Table-talk Role Playing Game) とは?

これ、なんかプレイ例を交えてクソ丁寧に書いていたのですが、2,000字近く書いたところで文中のGMが乱心し世界をうんこに染め始めたので、いったんやめます。

知らない方は、こちらで概要をつかんでいただければ幸いです。

要点。
TRPGとは、一定のルールのもと複数人で寄ってたかってお話を作り上げる遊び、です。

引き続き少々脱線気味になりますが、しばしご容赦を。

amphibianとTRPGの関係

幼少期、家にゲーム機がなかったamphibianは、PCでゲームをやったり、ゲーム的な小説を読んで欲を満たすしかなかったのですが、何の因果か「パラケルススの魔剣」「メックウォリアー」「剣の聖刻」といったTRPGと関係の深いタイトルに連続して触れることとなりました。
また「パタリロ!」や「ラプラスの魔」などでしばしば触れられる「クトゥルー」のキーワードを探っても、TRPGに辿り着きがちでした。

「TRPGって何だ? どうやって遊ぶんだ?」

とはいえ当時(2000年前後)は、動画サイト等でCoC人気が爆発する前でしたし、D&Dなどのボックス系TRPGはほぼ廃れており、ブック系TRPGは連綿と出版されていたものの地方の小さな書店にはまず供給されないという状況でした。

高校時代、ネット上で「GURPS」というTRPGシステムを使いオリジナル世界観を構築して遊んでいたオンラインサークルに加えていただき、そこでようやく、色んなものを理解するに至ります。

小学校時代にRPGツクール、中学時代にN88-BASICによるプログラミングと初の小説執筆など、既に道筋はついていましたが、現在の作劇の基礎となる「ものづくり体験」は、かなりこのTRPGサークルにて積んだものと思っています。
キャラを作り、設定にも噛ませてもらい、議論をし、物語が始まって終わる様子を何度も何度も見させてもらいました。
最終的に、amphibianは国内外のGURPSサプリメントを買いあさり、高校の友人を巻き込んでセッション(皆でTRPGを遊ぶこと)をやり、近未来リアルロボット系サプリメントを自作するなど、大いにハマってしまいました。

が、奇妙なことに、TRPGを遊ぶことは、常にしんどかったのです。

TRPGへの愛憎の告白

TRPGは、さまざまなゲーム的処理に加え、質疑、議論、相談、折衝によって進行するゲームです。
たくさんのデータやルールを参照しながら、各々の想像をすり合わせ、問題を共有し、解決に導くのは、結構大変ですし、時間もかかります。
諸々、手際よくやれば短縮されるものではありますが、amphibianは6~7時間の長丁場のセッションを経験しがちで、そうなると疲労によるダレや雑なプレイング/マスタリングなども生じやすく、不幸な終幕やケンカすら発生しえます。決して楽しいことばかりではなかったと思います。

ここしばらく、amphibianは、TRPGのこういう部分は構造的欠陥であり、インターフェイスによって解決すべき問題ではないか、と思っていますが、それはともかく。

いつしかamphibianは、TRPGを遊ぶことが好きでなくなっていた、かもしれません。

でも、いまだ持って好きな部分もあります。

それは、TRPGのルールブックです。

ルールブックには、そのゲーム世界の根幹を支配する法則(ルール)と、世界を運営するための様々なノウハウ、そして、そのゲーム世界に存在する物品や種族や歴史といった膨大なデータが含まれています。
ルールブックさえあれば、その世界における様々な冒険を作り出すことができます。
卓越したGMの手腕でルールブックをぶん回せば、あらゆるAAAタイトルのデジタルゲームでも実現できない「完全に自由なゲーム」さえ実現しうるのです!

すごくないですか!?

とくに、そのルール、あるいは「システム」と呼ばれるものには関心があります。
戦闘。交渉。商売。成長。不利な局面をひっくり返す──軌跡を起こす──手続き。製品ごとに様々なルールがフィーチャーされており、処理方法もダイスを使ったり、カードを使ったりと様々あります。
結果、ゲームごとにルールの「手触り」は大きく変わってきます。わかりやすいもの。リアルなもの。とにかく爽快なもの、などなど。
こうしたルールはすなわち、ゲームデザイナーが鋭い洞察力により世界を分析・分解・理解し、デフォルメしたものに違いありません。そこに様々なセンスや独自視点の味があり、またこれが面白いのです!! 面白いだろ!! 面白いといえ!!

……ようやく話がつながります。

「生成エンジン」への執着とギャップ

amphibianが執着していたのは、キャラや関係性やシチュエーションを産み出しうる世界そのものであり、それを支配するゲームルールやデータベース、そしてそれらを内包するルールブックであった、のではないでしょうか。

キャラや物語といった「生成物」ではなく、それらを出力する「生成エンジン」に、いつしかamphibianは魅入られていた、のではないでしょうか?

amphibianがキャラにあまり執着しないことも。
amphibianが「萌え」を介さず苦しむことも。
amphibianが毎回、世界観とお話の整合性処理・辻褄合わせに苦しみ、プロットやシナリオの全てがただのアリバイ工作のように思え、なにもかも嫌になり、Devil Daggersに走ってしまうことも。
そう考えれば、一貫性を持つような気がします。

直近のお仕事でも、似たような体験(失敗)を立て続けにしています。
作品の設計をするにあたり、amphibianはまずルールや設定を作りがちです。たぶん一般的な尺度でいえば、かなり過剰な密度で。
そしてクライアントに、「ほら、面白そうなキャラや話が生まれそうでしょう!」と迫るのです。
「いえ、分からないので、まずそのキャラや話を見せて下さい」と返されます。
それはそうだわ。
でも、amphibianはたぶん、無意識に、こう表明したかったのです。
amphibian自身には、魅力的なキャラや物語を生み出すための強烈な情動はないかもしれない。
でも、魅力的なエンジンさえ設計できれば、そのエンジンがきっと、お眼鏡にかなう魅力的なキャラや物語を産み出してくれるはずです
、と。

具体的なゲームデザイン・仕様策定の現場においても、このギャップは超・邪魔です。
たとえばamphibianのシナリオを生かしたゲームを作ろうとします。
ふつう、シナリオをみて、それに合わせたシステムを考える、という発想になります。
でもamphibianはまず、新奇で斬新なシステムを盛ろうとします。いい物語が生まれる保証もないのに――いや、「このシステムで面白いゲームを産み出してみせるぜ!」みたいなドライブ感を楽しみたいとamphibianは思っているのでしょう多分。
はたから見たらそんな危ない話に乗れるわけもないですよね。
ですよね~。
どうすればいいんだ。

とりあえずの、まとめ

これまでamphibianは、創作論みたいなものをいっぱい書いて流布してきたのですが、ここへきて根底の信頼性が揺らいできました

もしかすると、amphibianが示してきたやり方は、TRPGのルールブックを作るやり方であって、物語を作るやり方ではなかったかもしれません

少なくとも、このやり方に従った場合、amphibianのように制作の現場でアホヅラで立ち尽くす羽目になりかねません。

皆様におかれましては、十分にご注意いただけるよう願いつつ。

自分については、ちょっと現状でやり方を変えるのは無理そうです。
であれば、何かしらうまくやっていく方法を考えるしかありません。

一応、自分は創作や作文や論理立てが嫌いなわけではないようです。
(このテキストも気づけば休みを潰して一日書いていました)
ただし、世界そのもの、世界の真理に魅入られている。
そう自覚したうえでなら、何かしらもっと、今までより生産的な動きができるのではないでしょうか。

また、誤解なきよう願いたいのですが、やっぱり、自分が「キャラに興味がない」とか「嫌い」とか断じてしまうのも、正しくはないと感じるのです。
amphibianはamphibianなりに、キャラに対し、公正かつ真摯に向き合い、愛されるように、活躍するように考えて、送り出しています。このキャラはこう動かす、という明瞭な基準とこだわりを持っていますし、全てのキャラに強い思い入れを持っています。
そこに「萌え」という執着はないかもしれないが、自分なりの「愛」はあるように思えてなりません。
そこを違えなければ、まだ自分にも、皆様に愛していただけるものが出力できるのではないか、という希望を持っていられます。

この性質が珍しいのか、あるいは別段よくあるのかはわかりませんが、何とか売りに転換してやっていこうと思いますので、お楽しみいただければ幸いです。

今回はここまでです。

それでは皆様、よい生き残りを。


※色々考えた結果、性癖ゆがめられたヒロインは「らんま1/2」のシャンプーと「Gガンダム」のアレンビーかもしれん。
生体暗器で戦うサイバー修道女の正体は不明です。