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3日目〜京のHalloween〜

昼食前にK君とサッカーをする。球を蹴ることに満足すると同じ公園にある雲梯での懸垂へと移る。それらは普段の生活の中で寝仏のように布団で横になっていることの多い私にとって、翌日に全身が筋肉痛に侵されるほど激しい運動となった。

売れ残っていた半額のアジフライをご飯のお供にして昼食を食べる。日が暮れる前に、人々が京都で最も集まるエリア四条河原町へ向かうことにした。そこへ行きたいから行くのではなく、他に行く場所が見当たらないから行くのである。登山家はそこに山があるから登るらしいが、そこに山がないとき登山家はどこへ向かうのだろうか。少なくとも四条河原町という場所は目標を失った登山家をもいっぱいに広げた両腕でもって招き入れてくれる街なのである。

錦市場の近くにある老舗百貨店の駐輪場に自転車を止める。向かう先は寺町京極にあるカルディコーヒー。歩いて錦市場を通り抜けようとする中途、買うはずもないのに細い道の左右に立ち並ぶ店を点検でもするように注視する。があまりの人の多さに途中で弾き出されるようにして道を逸れる。

かつて東京でK君と散歩するときはよくカルディコーヒーに立ち寄った。とっくに味の覚えてしまった甘ったるいホットコーヒーが試飲できるからである。だがここ数年、感染症の影響により店前でコーヒーを恵み授ける天女は全く姿を現さなくなってしまった。それが復活したとはK君の報である。

カルディコーヒーへと続く最後の直線。寺町商店街からつづく三条名店街のアーケードである。その青い看板の店先、たくさんの通行人を前にして積まれた紙コップの山から一つを手に取り銀のポットからコーヒーを注ぐ一人の女性の姿が見えた。その優雅な様は静寂なホールで大勢の観客の視線を一身に浴びながら美しい音楽を奏でているようである。

我々は鳴り響く音色に誘われるようにして女性の前で列をつくる。私の番が来た。すると彼女の奏でる音色は突然顔を歪ませる不協和音へと変貌してしまう。間近でコーヒーを注いでくれている15秒程の間、待ち遠しいというポジティブな気持ちなど一切なく、早くこの場から立ち去りたい気持ちから私は枯れ木のように棒立ちとなり、直立は気味が悪いからと右足を動かすかどうか思考したり両手の置き所を失って情けなく宙を漂わせたりするのである。他者を使役して買うはずもないコーヒーを試飲することに対する抵抗感がこのような不用の自意識を生み出すのだろう。そうした苦悶の末にようやく女性の手から甘い香りを漂わせる一杯のコーヒーが手渡される。この瞬間の解放感と少しの背徳感を店内で会話しながら味わうのである。

それから我々は木屋町通りに面した人工芝の広場へと向かう。そこは女子高生の溜まり場にもなっている。石段に腰掛けると近くでスマホのカメラに向かって至る所で彼女たちが踊りを踊っていることに気がつく。その多発するステージを眺めながら輝かしい高校時代を思い返して、そのとき想像した未来と30歳目前にして試飲のコーヒーを目的とする現在とを自然と比較する。私と似たような道を歩む子がこの踊り子たちの中に果たしているのだろうか。彼女たちはこれから大学へ進学したり会社へ入社したりして歳を重ねるにつれ仕事がどうとか結婚がどうとか子供がどうとかと何億人もの人が悩んで来ただろうことと同じような内容をテンプレートのようにして悩むのだろうか。

もう日が暮れかけている。女子高生たちが帰りはじめる。我々は四条通へと出た。八つ橋を爆食いするためである。本来なら試食して気に入った八つ橋を購入するし、気に入らなければ退店する。それが良識ある一般客の姿であり社会的常識を身につけた人の行いだ。我々は八つ橋など購入しないのにさも提供された自分の菓子のように試食しまくる小さな反社会的な種族なのである。

私は京都市中の八つ橋専門店を抑えていてどこが試食に適しているか知っている。一つの店に拘ると顔を覚えられて別日に再訪したとしても「おかえりやす」と言われてしまう。この澄ました顔で発せられる「おかえりやす」の攻撃力は馬の後ろ蹴りのように一撃で我々を退店させる破壊的な威力を誇る。我々も一人一人の店員の顔と性格を把握しているように店員もブラックリストの顔はしっかりと記憶しているのだ。だから記憶されないように存在感を消してひっそりと試食することがコツとなる。かつてK君はこの点を理解し切れずに度々の来店の末に「常連さんですねえ」という激烈なる一撃を食らった。

ある八つ橋店へと入る。人の混み具合、死角となる試食スペース、店員の全体の客への意識の低さ、それらが絶妙に噛み合っている。カットされた八つ橋を同時に何切れも爪楊枝に突き刺す。その大胆さとは裏腹に口へ運ぶときはあたかも一切れしか刺していないかのように平然と振る舞う。そうして試食用に用意された八つ橋は神隠しにでもあったように忽然と店から姿を消すのである。

帰りに三条会商店街で毎年開催されるハロウィン夜店に立ち寄る。様々に仮装するちびっ子たちが楽しそうにしている。ミカン詰め放題を終えたK君がそれを見て君はカオスで無礼講のようなお祭り騒ぎが好きなのだろうと言う。確かにその通りである。だが望むならば、品行方正なちびっ子たちには大人たちがひっくり返ったり怒り狂うような盛大な悪戯を実行して欲しいのだ。

“Trick or Treat”
「お菓子くれなきゃイタズラするぞ」

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