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錯視心覚集

言いたいことばかり書き連ねても、幾ら書き続けても言い足りないから一向に遺書を書く手が進まない。もう面倒なので今まで書いてきたもの全部纏めて置いて勝手にしてもらおうかな、どう解釈されてもどう曲解されてもいいや。飲み込んでくれる人が居たら本望だ。

幾ら言おうと綴ろうと、言葉だけでは足りない。何もかもが言い足りない。単に相応しい言葉を見付けられていないだけの可能性はあるけれど、今のところ回りくどい言い回しで周辺から見ていることしかできない。立ち入ることができないし、できても全部を見る前にいつの間にか追い出されてしまう。踏み入れたところで、そこで朽ち果てるだけだというのに、それはどうやら許してくれないみたいで。

表したいものをかいていたら言葉や絵になっていたけれど、それらも決して全部を言えているわけじゃない。催吐薬を使う様に音楽に寄りかかって、何度も喉を絞め、何度も指先に頼ったけれど、やはり借り物では限界があるみたいで。中核から吐き出されたものだけど、中核そのものは見えてこない。吐き出された片鱗から思い描く他ない。私は其れを飲み込んで、搔き集めた片鱗を、私の血肉にしていく。それはまた次に吐き出すための動力源となる。いつか心臓ごと吐き出せないだろうか。

どう足掻いたって正しく扱えない、というかそもそも正しさを確かめようがない。精々副作用を弱くしようと試みることくらいしかできない、それすらできているのか、確実に確認できる術はない。自分に使っても意味がない、効き目も何もない。だからこうして巨大な陳列棚に並べている。同時に誰かが並べたものを、目に付いたものから飲んでいる。上手く飲めているかは知らない。

私は私が今生きている、私が投げ込まれた私の世界しか実感として知らない。誰かが投げ込まれた先の世界は、記号を通してでしか知ることができない。其の記号も其の世界そのものではなく、やはり単なる記号でしかないから、上手く飲み込めなくて只浴びるだけになる事ばかりだ。似ていると思っても、やはり其れは一方的な感想でしかない。それでも記号で世界を共有して、あわよくば誰かと互いに、此の柔い心臓を抱きたい。

温かい湯に浸かって其の儘此の肉をゆっくりと溶かしてしまうのが、本当は一番の理想ではある。しかし其の源泉を私は持ち合わせていない、或いは発掘できていないだけ?芯温は何度だろうか、寒いのは外気のほうが冷たいからだろうか。此儘凍死してしまいたいのに、冷めた湯に沈められて、眠りにつく前に起こされてしまう。温くて気持ち悪い、酷寒の夢で終わらせて欲しいというのに。此の地に源泉が在るとは聞いているけれど、もう探すのに疲れてしまっている。微温湯を幾ら辿れど微温湯の儘で、しかし其れに温かいと浸かる人ばかりで。源泉を見つけたらしき人たちは、未だに温いと言うばかりで。私も其処に入れてほしいのに、どうやら招かれざる客らしい。

只の線なのに、只の色なのに、只の波でしかないというのに、其れ等を記号として、媒介させるものとして、其れ等に此の血を託す他無い。雑談が騒がしい、沈黙から聞こえてくる心根の波に耳を傾けたい。託すことのない記号ばかりが鳴り響いて煩い、掴んで引っ張らないで、痛いから。其方側に広がる理想郷は、どうせ行けないのだから知らない方が良い。見せて来ないで、掬い取らないで、せめて私ごと掬い上げて。

くだらない小さな物語たちを、只横切るだけだったり、少しだけ垣間見たり、別の誰かが大げさに開いたものを覗いたりする。大抵は果汁を飲み干す様に、蜜を舐める様に味わうだけ。此の小さく醜い物語に恐らく誰も興味はないのだろうが、それでも小瓶に詰めて海に流すことだけは勝手にしていこうと思う。誰も拾い上げなくていい、邪魔だと捨ててもらっても、どうなろうと行く末を知ることはないのだから。

人生を喩えた目の前の風景は、只芽吹き咲き乱れ散っていくだけだった。共に捨て去ったはずのものを、再び搔き集めるというのを、幾度となく繰り返している。擲ってしまおうと決意したはずなのに、結局惜しんで捨て切れない。持っていたって仕方がないことくらいは理解しているはずだというのに。やはり那の風景に、此の身を準える他ないのだろうか。

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