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ショートカット恐怖症、後編

大学生になった私は、今まで抑えてきたものを全て取り払うかの如く様々なヘアスタイルにチャレンジした。
高校卒業と同時にパーマをかけ、その頃流行りの茶髪、カーキ、赤、ピンク(はっきりした色ではなく茶髪ベースにその色を入れた)、金髪に近いオレンジ、強めのブリーチ。

帰省して親に会う度に、リカちゃん人形、とうもろこしのひげ、などと言われつつ、ありとあらゆる手段で髪を痛めつけていた。

それでも何故か、ショートカットにはしなかった。

ショートカットにしてしまったら、またあの地道に髪を伸ばすステップ(少しずつ伸ばしては揃えて、を繰り返す)を踏まねばならない、と思うと、思い切れなかったのだ。

だがしかし。

ショートにしたい、という欲望は、ある日突然降ってくる。

きっかけは雑誌のスナップ。いつもなら何日かで収まる欲望が、日に日に増していったのだ。

大学4年の春。私は11年ぶりにショートカットにチャレンジした。
11年ぶりのイメチェン。気合を入れて、当時有名だったカリスマ美容師に予約を入れる。埼玉から恵比寿に上京し、手に持った雑誌の切り抜きを見せてお願いした。
ワックスをつけ、毛先をクシュっとさせた私の癖毛すら味方につけたショート。

完璧だ。


翌日、周りの反応を楽しみに、まずはバイト先にお披露目だ。

お、お母さん!!

バイト仲間の男の子の第一声。
ガーン…と思いつつ周りをうかがうと、もはやその言葉のインパクトにみんなが引っ張られ、半笑いである。
確かに、あのカリスマ美容師がセットしたスタイルは再現出来なかった。しかし、お母さん、とは…。
失意の私は、翌日からはヘアピンをフルに活用しアレンジを決め、極力お母さんのようなパーマをストレートに伸ばすように心がけた。

そして、手帳の1ページに大きな文字でこう書いた。

未来の私へ。
どんな事があっても、ボブより髪を短くするな!
楽しいのは初めの3日、そのあと地獄の半年だ。
ショート欲がわいたら、お母さんの事を思い出せ!!

 未来に対する提言である。
それ以来40になるまでのおよそ20年、この提言を頑なに守り続けているのである。



40を過ぎた頃、特大のショート欲が爆発するのだが、それはまた別のお話。

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