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ショートカット恐怖症、前編

私の母は、和田アキ子に似ている。

身長は164センチ。私が産まれてからはずっとショートカット。

そんな母のもと、私もずっと、刈り上げのスポーツ刈り一歩手前のベリーショートで小学生時代を過ごしてきた。

ずっと男の子みたい、と言われてきた。
実際お店でトイレを借りて入ろうとしたら、
ボク、そっちは女の子用だよ!
と止められた事もあるし、家に来たセールスの人に、お嬢さん、ではなくボク、と呼びかけられる事の方が多かった。

3年生くらいになり、髪を伸ばしたい、と母に訴えると、自分で結んだり手入れできるようになるまではダメ、と言われ、しぶしぶ引き下がっていた。

やっと髪を伸ばし始めたのは4年生の頃。早く伸びてほしくて、暇さえあれば髪を引っ張っていた。
ちょっと結べる部分が出来たら、可愛いゴムやパッチン留めをいそいそと買いに行き、結べる部分を一生懸命結んだり、とめたり。

イチゴやウサギ、リボンのついたヘアゴムやピンを、可愛いお菓子の缶に入れてうっとりと眺め、肩より長い髪になった自分を想像して早く三つ編みができるようになりたい!と願っていた。

ベリーショートがスタートだったため、結局小学校の頃は1番長くてギリギリ結べるくらい。
そしてそこから自分の癖毛に気付き、サラサラロングへのイバラの道を歩み始めるのであった。

とにかくまっすぐ、サラサラに。
その呪縛に中学から高校までの6年間、縛られ続けていた。
髪の毛のボリュームを抑えるため、手ぬぐいでほっかむりをして寝る私を見た母はゲラゲラ笑って写真を撮ったりしていた。
癖毛で悩む同士は多く、縮毛矯正が近くの美容院で始まった時は、試した子の周りに群がって触らせてもらったり、金額の高さにがっくりしたり。

気がつけば小学校以来、ずっとボブからセミロングの間をうろうろ、すっかりショートカットから離れ、ヘアアレンジもいっちょまえになったのであった。

続く

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