ヘルパー日記7
Aさんは、62歳、病院勤務の看護師だった。夜勤の際、廊下で倒れてしばらく誰からも発見されず、朝になってすぐ点滴治療を受けたが、右半身麻痺と言語障害が残った。脳出血は一刻も早い治療が必要だ。血腫を溶かす点滴は遅くとも4時間以内に開始しないと回復は難しいと言われている。そういう知識を充分もっていたAさんは、薄れゆく意識の中でどんな思いをしただろうか。
Aさんは新築のどっしりとしたマンションの8階にデイトレーダーの息子さんと住んでいた。サービスは掃除、入浴介護、買い物、夕食用意だった。とても前向きな方で、伺うと、ノートに左手で文字を書く練習をしていた。
あさのあいさつおはようございますおはようございますおはようございますひるのあいさつこんにちはこんにちはこんにちはばんのあいさつこんばんはこんばんはこんばんは 小学生のような文字で何回も何回も・・・
すぐ横が地区センターだったので、そこの図書室で本を借りて、翌週返すことができたため、自分の本を借りるとき、Aさんの字の練習になるような本を見つけると、一緒に借りて持って行ったりした。
掃除がすむと入浴だったが、マンションの浴室は狭く、体格のいいAさんとわたしで、洗い場はほぼいっぱい、という状況になった。冬でも、入浴後は全身汗びっしょりで、Aさんの着替えを手伝った後、脱衣所を借りて、私も下着まで着替えなければならなかった。爪切りも頼まれたが、Aさんは職業柄か、短く切るのが好きで、「もっと切ってちょうだい」というので、切りすぎて血が滲み、大慌てした。そんなときも、「大丈夫、大丈夫、すぐ血なんか止まるから」とゆっくり話しながらAさんは落ち着いたものだった。
夕食は、材料を買いにAさんを乗せた車いすを押してでかけ、帰ってから私が用意することもあり、散歩を優先したいときは、お弁当を買ってくるときもありだった。桜満開のころは、少し離れた桜並木まで出かけ、二人でお花見を楽しんだ。クリスマスのときは、から揚げを作り、想いをこめて“I‘m dreaming of a White Christmas ・・・” と歌うと左手で右手の甲をたたく、というAさん流の拍手をして喜んでくださった。
ヘルパーにも慣れてきたわたしは、「歌って踊れるヘルパーになる!」とその頃、豪語していた。もちろん、冗談半分で。依頼された仕事をこなした上のことであるが、ちょっとした楽しみを感じてほしい、わたしも感じたい、と思い始めたからだ。宝塚大ファンのMさんのお宅では、ヅカファンならだれでも知っている「ベルサイユの薔薇」のテーマ曲「愛、それは甘く」を歌った。足が弱って来たKさんとは「箱根の山は天下の剣」と一緒に歌い、それに合わせて足ふみ運動をしていただいた。Kさんは90歳を過ぎていたが、若いころは幼稚園の先生をやっていて、歌が大好きだった。
常勤ヘルパーであったわたしは、身体介護の人を多く担当していたため、腰痛がひどくなり、やむおえず、2年ほどでA さんの担当をおりることになった。新しく担当するヘルパーと訪問し、いろいろ引継ぎをしていると、Aさんが「やめちゃうのね」と涙をためて言った。気丈なAさんの涙になんとも情けなく、つらい思いでいっぱいになった。
身を曲げて話すわたし
身をねじって見上げる君
車いすを通して交わす会話は
一本の支柱に咲いた
二輪の朝顔のよう
ヘルパー日記7おわり
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