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SINSIN AND THE MOUSE

(父との別れ)


吉本ばななは、大好きな作家の一人だ。以前「キッチン」の感想文を書いたが、今回は新作「ミトンとふびん」のなかから、「SINSIN AND THE MOUSE 」について書いてみようと思う。

母を亡くした喪失感の中にいた主人公ちずみが、友人に誘われて台湾に旅行に出る。そこでその友人の新婦、さっちゃんの友人、SINSINとめぐり会い
次第に惹かれあっていくという物語だ。ざっと書いてしまうと、これだけのストーリーだったのかと感じるが、主人公たちの心の動きが丁寧に語られ、読み手の心を揺さぶる。

ばななの小説は、いつも死のイメージが霧のように漂っていて、そのなかに主人公たちがそっと浸っているように感じられる。かすかに射してくる希望の光を待ちながら。

さて、主人公光岡ちづみは台湾の知らない街にきて、わずかながら心が癒される。

母を看取るという死の色のコンタクトレンズをやっと外したようだった。
だから世界がみんな新しく見えるのだ。勢いよく輝いているのではない。しみじみと美しい色彩が浸みてくる感じだった。

SINSIN AND THE MOUSE より

シンシンは、がっちりとした身体で185cmもあるが顔立ちが可愛いくて
「合成写真みたいな人」だった。一方
「小さいっていいね、ちづみさんのこと、僕は片手で持ち上げられそうだ。」
というシンシンの言葉で主人公の姿が見えてくる。彼は子供のころ読んだ絵本にあった、壁の中に住んでいる小さなネズミたちを思い出すのだ。ネズミたちを友達と思って淋しさをやり過ごしていた頃のことを。彼は言う。

「なんだかその小ささがたまらなくて。むずむずするんだ。手を握りたいとか、抱きしめたいとか、もっと言うとその小さな服を脱がせたいと思ってしまった。でも、ボクのことを誤解しないでほしい。僕はそんなことを初対面の女性に言うような人間じゃないんだ。(後略)」

SINSIN AND THE MOUSE より

つぐみはその率直で飾らない言葉と、母を失ったつぐみの気持ちにそっと
寄り添ってくれるシンシンに、大きな安心感を覚え、今の哀しみがやがて癒えることを予感する。

ばななの描写は頼りなげで儚げで、気を付けて掴まないと風に乗ってどこかへ飛んで行ってしまう柔毛のようだが、それがわたしの心にふわりと心地良く舞い降りる。生きていくことは悲しいばかりじゃない、と。

父を失うことは怖いことだった。しかし、目の前で壊れていく父を見るのはもっと怖かった。なんとかやってこれたのは、神様が私の心にフィルターをかけて感じにくくさせて下さったのかもしれない。しばらくは、いつも一緒に歩いた道を行くたび、一緒に行ったコンビニに入るたび、切なさでいっぱいになるだろう。父の座っていた椅子を見て喪失感にさいなまれるだろう。
それでもやがて悲しみは心になじんでいく。

なんとかなる。悲劇でも楽観でもない。目盛りはいつもなるべく真ん中に。
なるべく光と水にさらされて。情けは決して捨てず。

吉本ばなな作「情け嶋」より

その言葉を忘れないようにしよう。

          おわり


父が旅立ちました。
いろいろ温かいお言葉をいただき本当にありがとうございました。

引用はいずれも吉本ばなな作「ミトンとふびん」新潮社より

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