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海砂糖 #シロクマ文芸部

海砂糖の味は幻になった。

取材で海辺の町を訪れた僕は、さびれた和菓子屋を見つけ、色褪せたのれんをくぐった。老婆が一人菓子ケースの後ろに座り、ぼんやり店番をしていた。
「この辺りに昼ごはん食べられるお店ってないでしょうか?」
「ないねぇ~」
老婆は嗄れ声で答えた。ケースの中に売れ残りなのか、薄桃色の饅頭が二つだけ並んでいた。しかたがない、これを昼食代わりにしよう。
「そうですか・・・それでは、このお饅頭二つください。ここで食べたいんですが」
「ああ、いいよ、そこの椅子使っていいから」
老婆は店の隅にある木の椅子を指差した。
ほどなくいかにもあり合わせといった皿に薄桃色の饅頭が二つ、それに茶わん一杯の薄いお茶が運ばれてきた。
一口食べてその絶妙な甘さ加減に驚いた。ほのかに甘く、花の香りがする。甘さに香りがあったらこんな香りだろうと想像される香り・・・
「これ、美味しいですね、甘さ加減が何とも言えない」
「へえ、お客さん、いい舌してるね。これは海砂糖使ってるんだよ」
「海砂糖って?」
老婆は少し腰を曲げて立ったまま、話し始めた。そのとき窪んだ眼に光が宿ったように見えた。

その話とは
昔、この浜に若い娘が住んでいて、漁師と好いた仲になった。娘は毎日夕方になると、漁師の帰りを待っていた。だけど海には嵐がつきもの、大嵐にあって漁師の乗った船は何日待っても帰らなかった。そして待ちくたびれた娘も姿を消してしまった。
浜辺は枯れ木や泥が打ち寄せられて、すっかり荒れてしまったが、そのうちサトウキビに似た草が生え、その葉が海から吹いてくる風にサラサラと鳴るようになった。「ここにいます」と、言うように。
サトウキビに似ているその草の茎から、砂糖に似た甘い汁がとれた。
「この饅頭にはそれを使った餡をいれてあるのさ」
老婆は少し顎を突き出し、両手を腰をささえるように後ろにまわした。

僕は、内心小躍りをした。これを記事にしてみよう!きっと話題になる、そしてこの饅頭は爆発的に売れる!と。
ところがそう話すと老婆は表情を固くした。
「お断りだね。海砂糖はすっかり生えなくなり、もうこの饅頭の餡に使ったものでおいしまいさ。ものにはすべて終わりが来る。それでいいんだよ。さあ、食べ終わったら帰っておくれ」

僕は立ち上がり外に出ようとして、ふと振り返り聞いてみた。
「その娘ってもしかしてお婆さんではないですか?」
老婆は遠くを見るまなざしのまま答えた。
「さぁね、でも人の心には海があってその底には秘密が一つや二つ沈んでいるものさ」

                 おわり



小牧さんの企画に参加させていただきます。小牧さん、今回も物語を含んだ書き出しの言葉、ありがとうございます。

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