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死んでしまいたいという人にかける言葉

 Sさんは、私がケアマネになって最初に担当した思い出深い利用者だ。脳梗塞で入院、リハビリを受けていた病院での退院カンファランスで初めて会った。少し気難しい顔のおしゃれなおばあ様で、左側から支えられ、右手で手すりにつかまってやっと歩ける程度。81歳、同じ年のご主人とアパートで暮らしていた。

 さっそく、週2回の通所リハビリと週3回の訪問介護(ヘルパーさんに家事援助、身体介護をお願いする)サービスを開始した。通所リハは、介護老人保健施設(老健)で行っている、リハビリを主体のサービスだが、すっと開始とはなかなかいかない。老健は数が少なく、空きが少ない。運よく空きがあっても、送迎車の都合が合わない。車いす対応の送迎車、となると数が少なく、調整に苦労する。で、開始まで時間はかかったが、なんとか希望日に通えることになった。

 Sさんは、第一印象とは違い、「あはっは」と大きな声で笑う方で、ヘルパーさんに料理を教えたり、私ともいろいろ話をしてくれるようになった。子供がいなかったせいもあり、とても頼ってくれて、嬉しかったり、困ったり。朝6時に電話があり、夫婦喧嘩を仲裁してくれ、と言われたときは、さすがに勤務時間外だし、ケアマネの仕事ではない、と断った。もうかんべんしてよ、だった。

 担当して3年ほどたったとき、「ご主人の様子がおかしい」とヘルパー事業所の責任者から電話があり、急遽訪問すると、ご主人がベッドの脇で横たわっていた。声をかけると、意識はあったが言葉がもつれている。これは脳梗塞だ、と救急車を呼び、病院まで付き添った。担当看護師に事情を話し、
いったん帰社。こういう時、ケアマネはずっと付き添っていなくてもいい。でも、ご主人が入院したら、Sさんは一人では生活できないので、ショートスティ先を探さなければならない。それも、今日から!空いていそうな施設に片っ端から電話、電話、電話・・・緊急ショート、という制度があり、担当の施設はあるが、そこも空いているとは限らない。

 なんとかみつかり、Sさんをタクシーで施設に送り、書類を書いたり、持ち物に記名、服薬中の薬を分ける、などの仕事が終わったら8時になっていた。ご家族がいればお願いする仕事まで、全部やらなくてはならなかったから。

 このショートステイ先を訪問したときのことだ。Sさんが、「もう死んでしまいたい」と泣いて訴えたのは。ご主人は意識はあったが、絶対安静で入院、ご本人も麻痺が強くなってきている・・・絶望されたのだ。困った。下手なことは言えない。考えに考えて私の言った言葉は
 
 Sさん、こんなこと、年下の私がいうの、生意気かもしれないけど、命はとっても大事なものよ。こんなに医学が進歩した今だって作れない。Sさんを生んでくれたお母さんのこと、思い出して。お母さんは命をかけてSさんを生んでくれた。いまだってお産は大変だけど、その頃はもっと大変だったと思う・・・
 死にたいなんて言わないで、ご主人の回復を祈りましょうよ。
一緒に、ね。

 この言葉が通じて、Sさんは、生きる希望を見出したように明るくなった・・・ことはなかった。残念ながらそんな簡単なものじゃない。

 この後も書き始めたら止まらないくらい、色々な問題が起こり、数年後、Sさんはご主人とほぼ同じ時期に亡くなった。今はまたお二人で仲良く暮らしていられる、と思いたい。
 「あっはっは」の笑い声、今でも忘れられない。

               おわり



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