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期待すること、しないこと

ふと気づいたこと。
人にも物にも期待しないほうが精神的に穏やかでいられるということ。

人は期待してしまう生き物だと思う。
たとえば、親は子どもにどうしたって期待してしまう。
それは贔屓目もあるのだろうけれど。

出来杉くんは、みんなに期待されている。
けれど、期待されていないのび太のほうが
たぶん気楽に生きている。
(と思う)
ちびまる子ちゃんだって、期待されていないからこそ、
自分らしく振る舞えている。
(たぶん…)

期待というのは、勝手にするくせに、
それに応えられないと、裏切られたようなショックを与える。
こちら側としては、期待してくださいと頼んだわけではないのに。
期待に応えようとがんばっても応えられないこともあるのに。
それなのに、である。

投資を例に挙げると、
上がると思って買ったけれど、
予想に反して下がることもある。
そんなときに、なんで!?と思うのは期待しすぎということ。
期待されたほう(人ではないが)としては
「勝手に期待したのは、そっちでしょ」という感覚なのではないだろうか。

小学生の甥っ子は算数のドリルが解けないと怒られる。
「これくらいできるでしょ」そうやって。
でも、それだって親の期待でしかない。
解けないと怒られて、
でも解けなくて泣いてしまう。
「〇〇くんはできるのに」
「こないだは解けたじゃん」
そう言われたって、できないときはできないのだ。
そして、そうやって怒られるたびに
自己肯定感というのは簡単に下がっていく。

働いていたとき、
先輩からアドバイスなんかをされなくなって、
それがとても寂しかったことを思い出した。
自分はもう期待されていないのかと。
自分はもう見放されたんだと悲しかった。
当時のわたしのように、
期待されないことを悲しく思う人もいると思う。
けれど、期待して応えてもらえなくて怒るくらいなら、
期待なんてしないほうがいいのではないだろうか。

期待するほうも、精神的に穏やかに過ごせると思うのだ。
期待されるほうも、期待されるより信じてもらったほうが嬉しいと思う。

小田桐あさぎさんの言葉に
「気づいたら8割解決」
というものがあるのだけれど、
期待している自分に気づいたら、
その時点で8割は解決しているのだ。
残り2割は、どうしたいかを選べばいいだけ。
期待を持ち続けるのか、
握りしめていた期待を手放すのか。

最近のわたしはイライラしたり
泣きたくなったりと不安定なのだけれど、
なんでだろうと自分のなかに潜ってみたら、
過度な期待が存在していた。
それに気づいたら、心が少し穏やかになった。

人にも物にも自分にも、期待はしすぎないこと。
期待と信じることって全然別物。
期待するくらいなら、ただ信じてあげよう。

期待している自分に気づいたら、
期待していたんだねって寄り添ってあげる。
それだけで心は少し楽になるから。

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