”詩・短歌・俳句”で読書会

更新遅くなりましたが、徳島を拠点に読書で世界征服をたくらむ「金曜の会」、8月の定例会が行われました。

テーマは『詩集・歌集』です。
今回のZOOM読書会では、オンライン参加が7名、書面での参加が2名と、計9名が集まりました。今回は奥が深く日常触れる機会の少ない(多い人は多い)テーマのためか、推薦のかぶりが多かった印象です。しかし同じ人を推していても、推薦者によって視点や評価軸がまったく違ったりして楽しかったです。

↓↓↓紹介された本一覧↓↓↓​

★紹介された本と、紹介者による短いコメントを記載しています。
★またタイトルにはAmazonなどへのリンクを貼ってあります。
★推薦本紹介の合間にかわされた、チョットしたお話を「閑話」として挟んでいます。


・Ob氏

寺山修二『寺山修二全歌集』

映画『田園に死す』の冒頭は突然に短歌の読み上げから始まるが、この短歌こそが元である。各々に非常にショッキングな内容となっている。「あたらしき仏段買いに行きしまま行方不明の弟と鳥」など、おどろおどろしい。言っていることはよくわからないが、雰囲気がいいと思う。
映画と同時に短歌にも、なんだかおしゃれなイメージがある。単純なホラー風味ではなく、客観的に”おかしさ”を楽しんでいるようなところが寺山修二らしさだろうか。寺山修二は「劇作家」として好きだったが、そこで垣間見た雰囲気も、歌集の方でも存分に味わえると思う。

滝口修造

武満徹のピアノ曲「遮られない休息」の原詩を作った詩人。シュルレアリスムの詩だが透明感があり雰囲気もいい。シュルレアリスム詩と言えばアンドレ・ブルトンや北園克衛を連想するが、とくに滝口は音楽を経由しており、音調も言語感覚も豊かである。また彼の詩は感じが難しい。分からない漢字はわからない漢字として受け取っても十分に面白いけれども。

ルイス・キャロル詩集

「数学の先生の詩集」だと思うと興味深い。ナンセンスやギャグのイメージもあるが、例えば「スナーク狩り」などは言っていることがよくわからない。子どもがでたらめな言葉を使ったり聞いたりして喜ぶような、そんな感覚で書かれたのか、「言葉だけでできている」という感触が強い。この「言葉が唯一主体であり、それらをどのように扱うのか」というアプローチは多分に数学的で面白い。他にエンデなどを読む時にも感じることではあるが、解釈の広さがある一方で、不思議と悲劇的な雰囲気などを感じ取ってしまうところにも(数字の世界には存在しない)言語の奥深さがあって興味深い。

・Ne氏

ブレイク詩集

リンドバーグ『海からの贈り物』を読んだのは失恋のさなかだったが、そこに引用されていたのが出会い。強がりを言うにはもってこいだった。天使が出てきたり若者、娘、悪魔なども出てきて異国情緒も十分だが不思議とその感性は分かる。

金子みすゞ詩集

海の魚の目線、虫の目線、といったまなざしで世の中を見ているところが好ましく、また自分自身の幼いころのまなざしと通じており、そのころのものの見方を呼び覚ましてくれるようでもある。

吉野弘詩集

夕焼け、虹の足、I was born、雪の日に、教科書で出てくる詩が主に好きだったが、「元旦の朝日には朝日という名前が~」みたいなものに驚いている市があって、そういう部分は幼い時の自分の生活体験の中にある。中学くらいに詩との出会いの原点はある。
詩人としては着眼点が凡庸で、「その程度のことを詩にしてほしくない」という気持ちがあるし、なんだか昭和の親父的に臭いセリフも気になるけれども、その分高尚さが薄れ、自分たちと通じるところも多い。

・Id氏

寺山修二全詩集

すでに紹介されているので詳細は省くが、補足しておくとこの本の六十二頁から「新病草紙」というのがあり、古文体で架空の病気を並べたもので非常にユーモアを感じる。寺山修二のユーモア感覚というのは、彼のオリジナリティの一つかなとは思う。

窪島誠一郎『詩人たちの絵』

画家の詩や、詩人の絵などを紹介する本。立原道造、宮沢賢治、富永太郎、小熊秀雄、村山槐多などの絵と詩が紹介される。詩と絵を両方やったいがいの共通点は「みんな夭逝している」ことで、三十台まで生きた人はあまり多くはないのではないか。どんな詩があったのか、正直あまり覚えていないが、絵は面白いものが多い。村山槐多の絵は愛媛の美術館に多く収蔵されているらしく、機会があれば行ってみたい。

大岡新・谷川俊太郎『詩の誕生』

大岡新と谷川俊太郎の対談集。どんな時に詩が生まれるかについて谷川俊太郎は「卵子の生成のように一瞬で生まれる」という。詩的情緒については、子供が書いた稚拙なものの中にも詩情を感じることもある。それは時代や環境によっても変わっていくものである。また新しい詩を作るために自動書記など脈絡のなさを探ったりということもしていて、そういう作業をずっと続けているうちにまともな文章を書けなくなったというような話も出てきて面白かった。

参考……ボルヘス『詩という仕事について』
単独の言葉としては指摘ではないがある脈絡の中に入ると指摘になるということや、ある平凡な言葉がセルバンテスの作品中で使われた結果今では詩情のある言葉になっていたりということが書かれている。

上田敏詩抄(現・上田敏全訳詩集)

ヴェルレーヌ、カールブッセなどの訳詞が有名。ブッセなどは現地であまり有名な人ではないが、上田敏の訳の良さもあって日本ではよく知られている。ところで「山のあなた」といえば三遊亭歌奴なのだけれど……

★閑話 詩と絵と音楽

Td「『詩人たちの絵』とても興味深く拝見した。やはり詩人の方は頭の中に絵を描いて、それを言葉に落としているのだろうか」
Id「映像イメージが先か、言葉から映像が想起されるのか、人それぞれかもしれない。けれどもこの本を読んでのイメージとして、それぞれの創作にどこか共通点があるように感じる」
Yo「言葉と絵や音楽は表現という大カテゴリの下にあって共通が多い。例えばギュンター・グラスなどはもともと絵画系の人であるし」
Id「ホフマンは音楽も絵もできるからずるい」
Yo「ゲーテやヘッセもまたそこに加わって……」
Ob「音楽なんかも、音響と言葉の調子には相関があるように思う。例えばゴルフ(作曲家)の曲は、音の流れと言葉がとてもよく合っている」


・Mi氏

田丸まひる『硝子のボレット』

Mi氏
徳島の歌人の歌集。『砂糖菓子の弾丸は撃ち抜けない』のイメージを想起した。性愛の表現も知的、美的に表現されていて見事に伝わってくる。普段あまり名前を聞くことはないが、意外と身近なところに詩人というのは隠れているのだと感じる。
Mt氏
Mi氏から紹介のあった通り、性に関して悩んでいる女の子たちのことを掬いあげ、それを生々しく露悪的に示すのではなく、作品として丁寧に昇華しているのが素敵だと思う。

谷川俊太郎『ふわふわ』

二人の詩人の対談。ボケとツッコミのような、気軽なトークのようでいて、各所に鋭いツッコミも入る。

石毛拓郎『詩をつくろう』

小学校の教員でもある作者が、子供たちに対してどういうふうに詩をつくるのかを説いている。説得力と工夫があって非常に解かりやすい。自分で書いている人が手引きするというのはポイントだと思う。

・Td氏

永田和宏・河野裕子『家族の歌』

妻は歌人、夫は細胞生物学者でもある歌人。息子も息子の嫁も歌人という歌人一家の短歌エッセイ集。河野裕子さんが亡くなるまでの間に、家族の中で交換した詩集の内容。三十一音なんおにどうしてこんなに伝わるのか、詩だから素直に伝えられる、歌にすることで研ぎ澄まされる、生を感じるような短歌集。

永田和宏『現代秀歌』

今後百年読まれてほしいと願う一人一首、合計百首の短歌集。昭和二十年後半から現代まで。穂村弘、俵万智、酒井修一など。こういった新しい人たちの、日常と地続きの表現としての短歌もよいと思わされる。

・Mt氏
徳島在住の三人に絞った(田丸まひる『硝子のボレット』は前掲)。昨年、徳島市の文学書道館で『現代詩歌の冒険』という企画展が開催された。市内出身の歌人・詩人などが紹介されており、それに触れて歴史を追うのも面白いかなと感じた。

鈴木漠詩集

戦前の詩人で徳島生まれ。戦時疎開により剣山のふもとあたりで過ごし、57年になって神戸へと移り住み詩作に励んだ。作風は現代思想が好きな人なら面白いのではないかという哲学的内容。そのあたり関連性を掘り下げて読んでみるのも楽しそう。

清水恵子『ダダ』

1951年小豆島生まれで、現在徳島市在住。徳島新聞の詩壇選者もされている(上記、鈴木漠氏の仕事を清水さんが引き継いでいる)。女性詩人で性愛的なことも含まれるが、詩の作品中の出来事と、作家の個人的な事情とを混同されがちだという問題もあり、そこに反発し続けている。厳格な父のいる家庭から独立する過程で詩を書くようになったそう。

三社を見比べて、徳島の中で活動していた詩人に触れることができ、また女性として詩をやっていることの悩みや、独特の世界を構築している仕事のすばらしさに触れることができてよかったと思う。

・Hn氏
紹介をしようと思っていた詩人、歌人のうち、寺山修二、吉野弘、穂村弘についてはすでに紹介がなされたので詳細は省き、補足にとどめる。
寺山修二はもともと短歌出身の人で、季節感の一瞬を読む俳句と事故の経験のにじみだす短歌の中間に位置するような読み方をされる。
吉野弘は教科書に載っていた作品はピンと来なかったが、「日々を慰安が」など、痛ましくネガティブな詩が混ざることで、その優しく美しい世界への理解が決して絵空事ではないことが浮き彫りになる。ここにはステレオタイプの詩人らしい夢想家像ではない、会社勤めを経験してきた著者の感覚がにじみ出ている。

八木重吉詩集

ぼんやりと不思議な感性を持つけれども、どこかネガティブで自傷ぎみの、けれども非常に柔らかく美しい言葉を使った詩を書く。詩はどれも短く、現在でいえばTwitterなどでつぶやく感覚に似ているかもしれないが、言葉の洗練という部分でいえば天地ほどの差がある。

岡野大嗣『たやすみなさい』

不幸な生い立ちだとか、表面的な意味での、恋人と別れた、誰かと喧嘩した、死別した、といった時の孤独ではなく、自らその独りの生き方を諦め混じりに認めつつもやはり感じてしまう拠り所のなさを切り取って歌い上げる歌人。現代人の感覚に肉薄していると感じる。


次回のテーマは「図書館」になります

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