”図書館に関する本”で読書会!
さる9月18日に行われた謎の読書会「金曜の会」は、4名のオンライン参加、5名の書面参加、計9名の参加者となりました。
今月のテーマは「図書館」でした。簡単なようで意外と難しいテーマだったのか参加者も少なめでしたが、その分濃い話で盛り上がりました。
全体として、「図書館はどうあるべきか」「図書館が何をもたらすか」といった、機能や意義に関する本が多かったように思います。
また図書館を通して何か光を得るような話もあれば、図書館に魅入られ惑わされるような話も登場しました。
というわけで今回も例によって偏愛の強い選書となっておりますが、立ち寄られた皆様も「やっぱこれだよね」「あの本がないじゃないか」と言いながらご覧いただけたらと思います。
↓↓↓紹介された本一覧↓↓↓
★紹介された本と、紹介者による短いコメントを記載しています。
★またタイトルにはAmazonなどへのリンクを貼ってあります。
★推薦本紹介の合間にかわされた、チョットしたお話を「閑話」として挟んでいます。
★複数推された本については「*」が推薦者数になります←new!
●書面参加部門
・Nk氏
中島京子『夢見る帝国図書館』**
前代未聞「図書館が主人公の小説」。帝国図書館の歴史を紐解きながら、資金難に悩まされながら必死に蔵書を増やし守ろうとする司書たち(のちに永井荷風の父となる久一郎もその一人)の悪戦苦闘を、読書に通ってくる樋口一葉の可憐な佇まいを、友との決別の場に図書館を選んだ宮沢賢治の哀しみを、関東大震災を、避けがたく迫ってくる戦争の気配を、図書館自身はどう見守っていたのか。知的好奇心とユーモアと、何より本への愛情にあふれる一冊です。
スーザン・オーリアン『炎の中の図書館』
1986年にロサンゼルス中央図書館で火災が発生。200万冊の蔵書のうち40万冊が焼け、70万冊が損傷した。この火災の経緯を軸に、放火犯として逮捕された男の半生、図書館の歴史、公共空間としての図書館の存在意義を語る、本と図書館好き必読のドキュメント。
ウィリアム・ミラー『僕の図書館カード』
1920年代のアメリカ南部。おかあさんやおじいさんからたくさんお話を聞いて育った「ぼく」は、本が読みたいという気持ちでいっぱい。でも、黒人は図書館を使うことができません。図書館カードが持てなかったのです。本を買うお金もありません。「ぼく」は図書館から本を借りるために、ある考えを思いつきます――。BLM運動のうねりの今こそ是非読みたい絵本。
・Td氏
小川洋子『ミーナの行進』
主人公が親の都合により,芦屋の叔母の邸宅に居候した一年間を著したものである。主人公にとっては,全くの異世界であるが,不思議な伯母家族と病弱で美しい読書家の従妹・ミーナ,そしてカバ。たくさんの幸せとその裏に見え隠れする切ないエピソードがたっぷり詰まった,郷愁を誘う物語。
主人公がミーナに頼まれ,芦屋市立図書館に川端康成の本を探しに行くと「眠れる美女」を薦められるくだりは出会うべき本と出合えた楽しい場面である。
有川浩『図書館戦争』**
メディア良化法の制定に伴う公序良俗を乱す表現を取り締まる組織と、過剰な取り締まりに対抗する図書館の組織が銃撃戦まで交えて「表現の自由」を奪い合う闘争を描いた作品。設定は緩いが,昨今の「表現の自由」への制約状況も鑑みると(例:香港),考えざるをえない課題を提示したSFとも言える。
・Ui氏
マイク・トムソン『戦場の秘密図書館』
爆撃をうける街で、地下に隠された図書を読みに行く少年の物語。私たちはなんと幸せに本に出合える国に住んでいることかと感謝した。
リサ・クライン・ランサム『希望の図書館』
黒人を受け入れてくれる図書館とあって、友人ができたうえ、希望に膨らむ少年の物語です。この本を読んで、黒人は利用できないという差別があったことを知りました。
・Ky氏
立野井一恵『日本のもっとも美しい図書館』
以前「世界の図書館」は何かで採用されたので、同じころ出版された日本の図書館の方を今回は推薦。もちろん海外の図書館と比較すると規模や蔵書は比較にならないものの、日本における様々な図書を置く空間の試みの2015年版として読めば、その限界も含めて色々考えさせられる本。中では淡路島の図書館も印象に残っている。コロナを経て図書スペースの在り方を今後考える意味でも一読を。というよりビジュアル本なので、一度眺めることを勧めます。
有川浩『図書館戦争』**
誰かがちゃんと推薦文も書くと思います。ただブラッドベリの「華氏451度」を踏まえているのは明らかだと思われますので、図書館のKさんが紹介文を書かれていれば読んでみたいです。
ボルヘス「バベルの図書館」**
ボルヘスの短編。図書館という用語でネットサーチしていて偶然その存在を知った。設定に興味があるが未読です。
・Ss氏
中島京子『夢見る帝国図書館』**
この小説では、不思議な存在感を放つ喜和子さんにまつわる現実の物語と、喜和子さんが書きたかった「夢見る帝国図書館」の物語が交互に語られます。帝国図書館の創設にまつわる紆余曲折、図書館を守り育てようとする職員の奮闘が時にコミカルに描かれてて、図書館に勤める身としては、この部分だけでも興味は尽きません。また、帝国図書館に通った多くの文豪も登場します。どこまでが現実でどこからがフィクションかもよくわからないけど、史実はしっかり押さえてあって、それが物語の厚みとなって面白く、その調査の熱量に敬意を抱かずにはいられない。なぜ喜和子さんは、帝国図書館の物語を書きたいのか。その謎解きは少しせつなく、「夢見る帝国図書館」というよりも「夢を見たい」人たちの物語に思えました。
ウィリアム・カムクワンバ ブライアン・ミーラー
『風をつかまえた少年』
この本、好きすぎてあちこちで紹介してます。干ばつに苦しむマラウィで、村の人たちを少しでも助けたい、と風力発電を作ることを思いついたウィリアム少年。満足に学校にも行けなかった彼がこれを実現できたのは、小学校に作られた図書館で物理の本に出会ったからでした。1冊の本との出会いが、出会った人だけでなく、周囲も変えていく。本が運ぶ知識や好奇心の力の大きさを感じる1冊。
https://www.lib.tokushima-u.ac.jp/m-mag/back/079/79-2.html
好きすぎて図書館のメルマガに長大な文章を載せてしまいました。
・Mt氏
菅谷明子『未来をつくる図書館』**
2017年にワイズマンによって映画化もされたニューヨーク公共図書館を紹介した本。1895年に創設されて以来、サマセット・モームやトニ・モリソンなど、名だたる作家たちに愛されてきた。コロナ渦で多くの図書館が閉館を余儀なくされる中、地域の人や旅行者の誰もが自由に立ち寄れる図書館の大切さが、あらためて痛感させられる。
●オンライン参加部門
・Mi氏
髙橋恵美子『学校司書という仕事』
神奈川の高校で学Mi校支所として勤務してきた著者による、実際に現場を見てきた感覚や、その社会背景について紹介された本、館のとりくみや問題点が分かる。現・日本図書館協会学校図書館部会長の著書。
岡本真・森旭彦「未来の図書館、はじめませんか?」
市民と行政がキーワード。発信型図書館のあり方など。
”まちづくり”と図書館は現在流行りだそうだが、そういう風なものも章立ての中には入っていて、「まちから生まれる図書館」みたいな関連についても書かれている。
小田垣宏和「図書館パートナーズの作り方」
著者は図書館外の方だが、ボランティアとして企画主導も含めて協力しながら隅田区ふきふね図書館パートナーズの活動について詳しく書かれていて、定年後の人なんかはこの本を読むと、やってみたいなと思うと感じた。
★閑話1 公共空間としての図書館はどうあるべきか
Yo「Miさんは今回、図書館にかかわる人たち主眼の選書ですか」
Mi「そうですね。私自身図書館のユーザーであると同時に、司書と会話をする中で図書館業務そのものにも興味が湧いて、図書館とはいつもかかわってきました。図書館関連のイベントでも企画者側にまわることもあります。そういう経験から、図書館を中心とした生活や町全体との関わりについて書かれた本が目につきました」
Yo「徳島の公共図書館についてはどんな印象ですか、Miさんはどんな活動をされていますか」
Mi「例えば、本屋さんが毎月一度、お話をしに来るイベントがあって、ずっと参加しています。そこでは中側から企画を見ている感じです」
Yo「最近では本の整理や貸し出しサービスだけではなくて、市民とのつながりやまちづくりを前面に打ち出してきている図書館はずいぶん増えたように感じます」
Mi「NY公立図書館の例に見るように、公共の図書館を公民館的なものとして作っていくのもいいと思います」
Ob「すみません、こういうの(イベント)は、本そのものを超えて、もっと広い活動をされているということでしょうか」
Mi「例えば紹介した小田垣さんなんかは、本に限らずコミュニティづくりとして活動しています」
Ob「それはつまり、図書館の中で本以外のことについて活動するということでしょうか」
Mi「まあ本はあるにはあるんですが、そこに囚われない活動をしているようですね」
Yo「”公共的な施設”として図書館を街中に位置付けていく活動は近年顕著ですね。高知の図書館なども、プラネタリウムなどもあって多目的ですね。これは世界的なながれでしょうかね」
Ob「なるほど、図書館が地域のハブとして位置づけられるようになっていると」
Yo「そのようですね」
Mi「学校図書館に関しては公共図書館よりも規模が小さいですね。図書委員も義務感で集まっている子が多く、それほど盛り上がってないが、うまくいっているところは図書委員たちが自分から意見を出し合ったりしているところも、まれにあるそうです。そういうふうに、学校図書館ももっとレベルアップして、公共図書館もまたレベルアップして、そこがコラボすれば、さらに強くなるのではないでしょうか」
Ob「そういうような(活発に活動できるような)ところというのは、そもそも先生の対応がいいのか、生徒の質がいいのか、どちらでしょう」
Mi「時代もあるし、先生が学校図書館にどうかかわるかについて、濃淡がありますが……現在の潮流として先生たちは図書館に注目しているのではと推測します。その際司書教諭とほかの教員との連携がどれくらいとれているかがキーになる。学校によっても温度差があるが、根本としては熱心な教員がいるかどうかでしょうね」
Yo「学校司書に関しては各校に一人置くというところをなかなか徹底できていない。教育費の削減のしわよせがあるのではないでしょうか」
Mi「市民の人の中にもできるしやりたい人がいると思うので、そういう人を巻き込んでいくと面白いと思います」
Mi「”サードプレイスとしての図書館”みたいなものは注目されているのでしょうか」
Hn「研究にも強弱があります。がっちり都市社会学なり教育学なりの中でサードプレイス論を援用する方もいれば、なんとなく居心地良いのが素敵だよねという感覚でサードプレイスの語を使う人もいます」
Mi「今の図書館というのは、部屋があっても貸し出しなどできないそうで、気軽に立ち寄って活動する場としては解放されていないのではという印象です。もし条件が緩くなればサードプレイス的な場所として取り扱えるのではないでしょうか」
Hn「これは難しくて、居心地のいい場所というのは必ずしも、開かれた場所ではないんですよね。特に、一人が好きだったり、コミュニケーションが苦手だったり、他に居場所がなかった人を救ってきた経緯が図書館にはある。そういうものを無視して手放しにオープンにすることだけが「サードプレイス化」ではないとは思いますね」
依「居場所のない人にとっての居場所というのも必要なわけですね。その点ゾーニングなどを考えている施設もありますね」
・Ob氏
ボルヘス「バベルの図書館」**
ボルヘスの『伝奇集』は短いけれども、ありえない設定のものが多くて、特にその中の「バベルの図書館」は図書館が主体になった話。かつて国書刊行会から『バベルの図書館シリーズ』という作品集が出ていて、そのイメージが先行していたのですが、ボルヘスの小説のタイトルだと知ったのはつい最近だった。読んでみると非常に変わった小説で興味深い。内容は「六角形の部屋に収められた数々の本に、記号としての文字の配列のすべてが記述されている」というもの。作品自体も面白いが、本作中に登場する六角形の建物の構造について、Antonio Toca Fernandezという建築学の先生が論文を書いていたりする。このように人間のイマジネーションを掻き立てるモチーフを創造できることはすごいし、そこに嵌まっている人間が一定数存在するのも面白い。図書館を再現しようとホームページを作ったりする人もいて、いい意味で馬鹿だなあと思う。
またこの図書館のイメージはエーコ『薔薇の名前』に出てくる図書館のイメージと分かちがたい。ホルヘ師などの登場人物に露骨だが、『薔薇の名前』ではボルヘスに関する存分なオマージュがなされている。
アバディ『古代アレクサンドリア図書館』
膨大な図書館のイメージをもって描き出したボルヘスやエーコとは違う、古代エジプトのアレクサンドリアに「国家の強靭化=知識の集積」という目的のものとつくられた図書館に迫るノンフィクション。知識の集積はすなわち強さであるという図式など、図書館創造の思想に対する源泉のように感じる部分も多い。プラトンのアカデメイアやアリストテレスのリュケイオンに範を置くムセイオンという学術機関と図書館との関係が描かれる。
自分も、「図書館=知識の集積所」という固定観念がある。そのイメージ(ボルヘスやエーコも含め)の起源をのぞけるような気もする。アレクサンドリアの代図書館は残念ながら、ローマ帝国滅亡後は散逸してしまうが、その語膨大な書物がどこへ消えたのかについては謎に包まれている。
Mi「知識の集積所というのがだんだん形になってきて、ここは足りないかもと足していくうちに頭の中には理想の図書館が形作られる。その理想の世界を、現実の知識を集めながら本物にしていく快感というのは抜け出せなくなると思いました。コレクター的な執念を感じますね」
Ob「これは神様の執念なんですよね。ボルヘスは本を壊す人も書いていて、狂信的な人が本を壊すんですが、神の図書館はその程度では傷つかない。一つや二つが欠けるというような、細かいことではなくて、もっと”全体的に知識が集まっているところ”そのものへの執着を筆致に感じるところです」
Mi「壁一面、手の届かないところにまで本を並べる感じ、日本の図書館とは並べ方が違うのではないかと感じますね」
Ob「確かに、図書館の在り方については西洋人的な見方ですね」
・Hn氏
エーコ『薔薇の名前』
すでに紹介(言及)があったので紹介は割愛する。また昨年度のブックリストに『薔薇の名前』は選ばれているが、「図書館の本」という題目では外せないと思い再度推薦した。
中島敦「文字禍」
もう一つ図書館と聞いて外せないと思ったのが中島敦の名短編「文字禍」。本作で出てくる図書館はいわゆる紙の本を並べた施設ではなく、本文中では以下のようにつづられる(これがラストに効いてくる)。
両河地方では埃及と違って紙草を産しない。人々は、粘土の板に硬筆をもって複雑な楔形の符号を彫りつけておった。書物は瓦であり、図書館は瀬戸物屋の倉庫に似ていた。
物語は古代アッシリアの宮廷にて、毎晩文字の霊のささやくのが噂になり、解決を命じられたエルバ老博士が、文字の霊――言葉と文字との本質に迫るというもの。文字の霊性とは何なのか、歴史とは何を指すのか、人の認知がどれほど幻想の上に成り立っているのか、等々、問いは深く、しかしあまりに身近で、初めて本作を読んだとき「なんて小説が存在するんだ……」と感動した。
岸政彦『図書室』
先ほどの閑話の中で少し触れたけれど、居心地のいい場所、大切な場所というのは、必ずしも開かれて、交流が盛んで、コミュニケーションが活発な場所というわけではない。静かに一人で思案を巡らせたり、世の中の本流からずれているのではないかと感じる自分の感性に、少しばかりでも共感してくれる誰か、誰か一人だけを求めて通う場所というのも大切な居場所である。本作で描かれる図書館(図書室)も、主人公にとってのそういった場所となっている。
物語は主人公の小学生の頃の回想を中心としていて、そこでは図書館で一人本を読むのを好んだ主人公と、そこでたまたま知り合った他学校の男の子との会話や、二人の想像の世界が限りなくリアルに描かれる。作中の出来事はずっと静かで、大げさではなく、そういう小さい、普段見過ごしがちの感情や行動に目を向ける感性はさすがのもので、フィールドワークを主とした社会学者でもある作者の強みでもある。本作における一連の物語も、後年大人になった主人公にとって「何かの転換」でも「いっとう大切な思い出」でもない、ただの埋もれた記憶の一つであるというアプローチも素敵。
・Yo氏
井上ひさし『本の運命』
山形出身の小説家で、戯曲家でもある作者のエッセイで、自分も倣いたいと思うところが多々ある。本の運命と書いているが、それに関連するところでは、漱石全集を手放した作者が後年、海外でその本と再開するエピソードなどが登場する。
今回もたいへん盛り上がりました。次回は「図鑑・図録で読書会」です!!
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