虹ヶ咲というコンテンツとその界隈における声優

本ノートは虹ヶ咲に触れる人々の中でも、私のような考えを持つ人が少なからずいるということを知っていただきたく思い執筆しました。恐らく理解していただける人の方が少ない話とは思いますが、心に留めておいていただけると幸いです。

ですが本記事は物凄くネガティブな発言で構成されています。ラブライブもとい虹ヶ咲というコンテンツとその界隈に全く不満の無い方は読むことをおすすめしません。

余計なことはいいから結論だけ知りたいという方は「最後に」だけ読めば大体分かります。

また、筆者は「キャラクター」という言葉に非常に強い抵抗がある為、総称などやむを得ない場合を除いて、「アイドル」のように彼・彼女らを象徴する単語を用います。この場合は高咲侑もアイドルに含まれます。


声優の部品として扱われるアイドル達

コンテンツの展開と界隈の風潮に分けて実例を後述しますが、虹ヶ咲は声優を第一に考えたコンテンツ展開をしています。元々ラブライブというコンテンツが声優によるライブや動画配信を売りにしているコンテンツですので、当然と考える方もいらっしゃると思いますが、問題なのは声優の出力にアイドルを利用しているという点です。

元々声優の顔出しなんて行われていませんでしたが、その理由を考えたことはありますか?簡単な話です。声優なんて所詮、キャラクターや作品を構成する一つの要素に過ぎません。
(ご指摘がありましたが、「所詮」というのは声優に対する過剰な扱いに対してですので、声優そのものを批判する意図はありませんのであしからず。【2024/03/16(土)追記】)
小説ならば文章のみ、漫画であれば吹き出しの入った静止画といった形で物語と登場人物は出力されます。それらに比べより現実に近い手法として音声の付いた動画が用いられます。その手段を構成する一つとして声優が存在するのです。言うなれば小説における「」(鉤括弧)、漫画における吹き出しです。
まさにキャラクターの出力方法として声優を利用していると言えます。

上述の考えからすると、声優を売りにするラブライブそのものに抗議しているのかと思われるでしょう。そういった点に嫌悪感を示していることは事実なんですが、商売であり、かつ結果が出ている以上、嫌いであっても否定するつもりはありません。しかし、声優によってアイドルの前提が覆されてしまう光景が繰り広げられるのが、この界隈だと認識しています。

コンテンツ

アイマスでプロデューサーもやっていたので、765プロASなんかは声優の特性や個性をアイドルに反映した例があることは多少は心得ています。ですが、それはそのアイドルが形作られる段階での出来事であり、声優の近況・
行動による後付けはあまり記憶にありません。(そもそも避けていたので何とも言えませんが…)
それに対して虹ヶ咲では、声優がアイドルに及ぼす影響がタブーの領域を冒していると言わざるを得ません。

にじよんにおける高咲侑

もともとアニメ本編(1,2期)の方が声優に関連したネタを交えていたことがいくつかありました。(私は一切知らなかったのに、Xで画像2枚貼り付けて投稿する人達のせいで知ってしまったものがいくつかあります。記憶消したいです、本当に。そいつらは一生恨みます。)とはいえ、カットの一部を似せたりする程度ですし、アイドルたちの個性に影響するものはなかったように思えます。

ですが、にじよん1話では高咲 侑が「ヒトリダケナンテエラベナイヨー!」と発する事態が起きました。嫌悪感だとかそんな綺麗な言葉では表せません。はっきり言って気持ち悪かったです。
声優の為に侑ちゃんの性格を捻じ曲げる大手、それを見て喜ぶオタク達。もう何もかもが気持ち悪かった。誰も侑ちゃんのことなんて見てやしない。皆の言うネタで盛り上がりたいだけで愛なんてどこにもない、騒ぎ立てる場が設けられただけ。
そう思うには十分すぎる出来事でした。
この言葉が高咲 侑らしいと言う人間は、高咲 侑のなんたるかを何もわかっちゃいない。
「応援する楽しみが増えた」「私は皆のライブが見られれば」というのは、浮気性だとかではなく、スクールアイドルが好きという気持ちに優劣をつけないという彼女なりの向き合い方。幼馴染の歩夢や、スクールアイドルを教えてくれたせつ菜を特別視するだけの一途さも持ち合わせている。人間関係を茶化すような子でないことは明白です。

少々話が逸れた気もしますが、この発言自体が高咲侑その人を茶化したことで生まれたもの、それを茶化された本人に言わせるという、声優を出力する為にアイドルを利用しているという最悪な事例だと断言できます。
唯一の救いは、アニメ本編ではなくにじよんだったということです。

優木せつ菜の交代

上述のように、声優自体は所詮一部でしかないと思っているので、やむを得ない事情での交代は気に留めません。廊下による声の変化や、極端に言えば鬼籍に入られたとか。ですが、ライブが困難という理由で交代が発生するのはやむを得ない事情なんでしょうか?声はこれまで通り当てることが出来るというのに。

この件に関してもほぼ全てに憤りを覚えました。声優のライブなんてアイドル達とは一切関係のない事情で彼女は自身の一部を奪われたんです。なのに誰一人としてその声を失った優木せつ菜の身を案じる声を上げません。
誰もせつ菜ちゃんのことなんて見ていなかった。

ライブでのパフォーマンスが出来ないことを理由にした判断は本人によるものだと聞き及んでいます。当該声優の方を責めたくはないのですが、その判断が全てだとしたら、自分のことをアイドルだと勘違いした、声優としては致命的な判断だったと言わざるを得ません。事務所やコンテンツ側に選ばされたと思いたいです。

このように声優の行動や事情を優先してアイドル達の個性を蔑ろにしています。
冒頭で触れたキャラクターという言葉への抵抗は、キャラクターを物のように扱う言葉と思っているからです。実際、多くの人が架空だから偶像だからとそういう風に捉えているでしょう。そして虹ヶ咲というコンテンツはアイドルを声優を売り出す為だけの道具くらいにしか思っていない。前述の件はそうとしか考えられない愚行だと私は思います。

界隈

コンテンツの展開に意を唱えましたが、それを受けるファン界隈にも同等かそれ以上に嫌悪感を抱いています。少なくとも同類だとは思われたくないとまで思っています。

声優ネタではしゃぐオタク

この界隈で一番目立つのがこれです。声優の言動=アイドルの言動とでも思っているのでしょうか。ライブや動画配信といったイベント・私生活の言動を反映させたがる輩が多すぎます。
一番嫌いなのはiPhoneシャワーというやつですかね。三船栞子の声優が私生活でiPhoneをシャワーで洗ったことから生まれたネタですが、声優を弄るネタではなく、栞子ちゃんの奇行として扱おうという人が多すぎます。割と前のネタなのに未だに擦る人が見受けられる点も気持ちが悪いです。栞子ちゃんがそんなことをするとは全く以て考えられないのですが、皆さんには違って映っているのでしょうか?同好会の中でも一二をを争う常識人。品行方正、あらゆることを卒なくこなし、何事にも真面目なのが栞子ちゃん。その反面、真面目過ぎる点が空回りすることがある。くらいに思っているのですが、常識足らずだとか機械音痴だとかありましたか?機械音痴が雑談しながらキーボードを打てるわけないでしょう。
最近では野球のルールを分かっていない優木せつ菜みたいなのがありましたが、彼らにはせつ菜ちゃんが良く分かってもいない言葉を使うような人間に見えてるのでしょうか?僕の知る限りそんなことなかったんですけどね。

声優の皮がアイドルくらいに思っている層

前項と少し被るのですが、声優の皮としてアイドルが存在していると思っている層がいると思っています。
明確にそれを表しているのが絵を描く層です。声優の代わりにアイドルを用いて、イベントの様子を描いていたりしています。まぁそこまでならギリギリセーフだとは思うんですが、その後もあたかもアイドルがしたことのように扱っていく人が多すぎます。それはレポートじゃなくてただの妄想でしょう。そうでなければ、アイドルの皮を使って声優を楽しんでいるだけのオタクです。

ここまで言及した界隈の風潮は、結局は個人の自由だと理解してはいます。ですが、ここまでしている人間があくまでアイドルやアイドルとしての同好会のファンだと宣言している点がどうしようもなく許せません。アイドルと声優を別々に考えられないような人間がアイドルを愛している訳ないでしょう。彼らはアイドルのことなんて見ちゃいません。声優のファンで声優のライブが好きなだけと断言してほしいです。

最後に

かなり拙い文章だったと思います。私の言いたいことをまとめると

  • アイドルと声優を同一視しない。現実と作品のリンクを履き違えている

  • 声優の為にアイドルを消費させない。アイドルの一部である声優がアイドル本人に変化を強いるような状況はおかしい

  • 自分が好きなものを明確にする。声優が好きだからアイドルも好きなんて言っている時点で、あなたはそのアイドルのことは何とも思っていない。逆もまた然り

という具合になるかと思います。
第三者目線で言えば物凄く勝手な話とは重々承知しています。ですが、コンテンツとの向き合い方が人それぞれならば、私のような人間も多少は生きやすいように、界隈には配慮していただき、コンテンツの展開はより慎重であって欲しいと願います。

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