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父がワイルドに見えた日

こんにちは、にっしーです。
父の命日も近くなったせいか、ふと父との夏の1日を思い出しました。
今回は、それを書こうと思います。

父の実家は島にありました。
なので夏はよくその島に行きました。
父の実家に1人預けられて、なんてことも多かったのですが、親戚のオジサンやオバサンも面白くて、楽しい思い出となっています。

さて、その日はお休みだったのか、朝から父も一緒でした。
島の対岸にもう少し規模の小さい島があり、父はその島の砂浜に行こうと言い出しました。
理由は、日陰になってて涼しいから。
岩場にサザエでもいたら、それを焼いて食べようと父は言います。
今でいうデイキャンな提案に、子供の私は瞳を輝かせました。
サザエの炊き込みご飯も美味いんだぞ、とも言いました。
父は飯盒をぶら下げてます。
もしサザエがとれなかったら? そんな疑問は少年時代の私にはありません。
砂浜で焚き火をして、サザエの壺焼きや炊き込みご飯を食べるなんて、冒険小説みたいです。
ワクワクで父の後について行く私。
絵日記のよい題材になりそう。
サザエがとれなくても、先生もクラスメイトもこの場にいないのです。
とれたことにして、日記をでっち上げちゃえば良い、と企む程度に図々しい子供でもありました。

で、砂浜に下りて行くと、見慣れぬ生物がいました。
いえ、見たことはあるのです。
学校とかテレビとか図鑑では。
生きて動いてるのを初めて見たのです。
カブトガニ。
そう。生きた化石とも呼ばれるアレです。
一匹のカブトガニの上に、もう一匹のカブトガニが乗っかってたので、交尾中だったのかも知れません。

さっそく父は捕まえました。
海中ではどうだか知れませんが、砂浜ではいとも簡単に捕まえれたのです。
「サザエなんかより、よっぽど良いもんが獲れたな。美味いんだぞ。食べたことないだろ?」
えっ? 戸惑いながら、私は頷きます。
生きた化石を食べても良いの?
カブトガニを捕まえました、って程度なら日記に書けて、友達にも自慢できそうですが、それを食べたとなると、書いて良いものか……。
友達がドン引く顔が浮かびます。
「食べるってドコを食べるの?」
得意気な父に恐る恐る聞きます。
だってカブトガニですよ!?
甲羅みたいなのに覆われてて、食べる所なんて無さそうです。
「脚だよ」
父は、嬉しそうにカブトガニを裏返して私に見せました。
それを見た瞬間、ギブでした。
まるで昆虫な裏面。
蟹みたいな脚が、うじゃうじゃ動いてます。
「この脚を折って、塩茹でや焼いて食うんだよ」
父は、今にもカブトガニの脚を折りそうな勢いでした。
「待って待って待って!」
「ん?」
「生きてるよ?」
「死んだカブトガニは食べんだろ」
「生きた化石だよ? 食べて良いの?」
「ん? ダメなのか?」
そう聞かれると、私にも食べて良いのか悪いのか分かりません。

結局、カブトガニは海に放してあげました。
可哀想ですし。
そりゃ生きるか死ぬかのサバイバルだったら分かりませんが、歩いて20分程度の距離に父の実家はあるのです。
今でも、あの時、カブトガニを食べておけば良かった、と悔やむことはありませんから、たぶんあの選択は正しかったんだと思います。

実は、その後、私は密かに楽しみにしてたことがあったのです。
食う気満々の父から、私は命を救ってあげたのです。
命の恩人です。
昔話では、鶴や亀は恩返ししてくれます。
だからカブトガニも恩返ししてくれるのでは?
しかし、そんな気配は微塵も無く……。

カブトガニはダメだな。
子供心に私は思いました。
そういう恩知らずだから、生きた化石とか言われて絶滅危惧種的になってるんだろうと。
自業自得だな、って。
今考えると、図々しくも酷い話ですが、子供ってそういうものなのでしょう。

そして、カブトガニを食う気満々の父の笑顔を命日間近に思い出すというのも如何なものでしょう。
まぁ、思い出の父は、笑顔は笑顔ですから、ま、いっか、と流してます。

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